単に格差拡大と言うと資本主義経済に於ける一つの原動力としての魅力以外に見えて来ない。なぜなら、それによってより強い自由競争が発生し、革新的な技術やアイデアが生み出され、競争力が強化され、その恩恵によってより多くの富が得られるという構造だからだ。社会主義国の様な自由競争の無い社会では、競争力を失うとともに貨幣価値が下がり、物不足に悩まされる事になる状況は何度も目にして来た。
但し、同時に詐欺やスパイも、より巧妙になり、ある意味先端的な犯罪行為が日夜、進化していくという諸刃の剣も明らかではある。しかし、これも又セキュリティや有事における対策の強化に、ある程度貢献しているので、自由競争は厳しい進化の過程で生き残る為には必要不可欠であると考えられる。
しかし、資本主義経済における格差拡大にはもう一つ注目するべき点がある。それは、少子化にダイレクトに繋がる点だ。
先日、例のごとくテレビを見ていると、オスの熊の首にぶら下げていたカメラが、突然現れたメスに近づいていくと猛烈なスピードで逃げられてしまう、という現場を捉えた映像が目に止まった。それ以外にも、オスの鷹がメスに大きな太刀魚を羽ばたきながら与えている映像や、最近では縄張りの中にいるヒョウがオス同士で猛烈な闘いを繰り広げる映像が目に止まった。
これら野生動物の世界はルールが無い完全な自由競争であり資本主義自由経済においては大いに参考になる。
これらから読み取れる事は、
・環境に制限があり、常に強者に入れ替わっている事
・メスは本能で強者の子孫を残そうとする事
・自由競争では闘いが必ず起きる事
などであるが、ここからも大きな戦争は社会主義国の方が発生しやすい事が読み取れる。社会主義国の様に全ての人を均等に扱ってしまうと、環境が際限なく悪化する。強者も弱者も均等なので増殖が止まらないのだ。
通常、制限のある環境に、食物が無制限に有るとは考えにくい。食物が枯渇すると攻撃的になり、政府を倒す動きが活発になるのだ。歴史的な戦争は全てここから始まると言っても過言ではない。
逆に、自由競争社会では、常に小さな闘いが起きているのでガス抜きになり、環境の均衡が自動的に修正維持され続ける、と考えられる。
日本における少子化の問題は、資本主義国で有りながら社会主義がベースになっている点だ。
・環境に制限が有るにもかかわらず法律によって弱者が守られているので強者が入れない
従って女性がその地域に魅力のある男性を見つける事が出来ないのだ。
つまり少子化問題には構造的な問題が隠されていると考えられる。
自由競争社会に社会主義的な弱者を保護する政策が混ざると、その地域から「強者」が疎外され、女性がその地域に魅力を感じなくなる。にもかかわらず実態経済では弱者の方が財産を多く保有している、という矛盾が生じてしまうのだ。これが格差であり、この状態が長く続くと徐々に拡大していくと考えられる。
格差拡大とは、強者が多く資産を保有しているという常識を覆し、弱者が資産を多く保有し続けている状態、と考えられる。
この事によって少子化が進行し労働力不足になり、外部から低賃金の労働者が流入し、格差が更に拡大するという悪循環が起きる。
従って、資本主義によって格差が拡大するのではなく、ここでも社会主義が格差を拡大する要因になっていると考えられる。
理論的には「強者」が常に適切に評価されれば富が循環し、一定の場所に留まる事は無いはずだ。
ここで言う強者とは戦いにおける勝者と同じである。従って、勝者が多いか少ないかによって格差が拡大しているかどうかを測る事が可能だ。
格差が拡大すればするほど勝者は減っていると捉えられる。
勝者の少ない社会とは何であろうか。
社会主義国では勝者は殆どいない。なので誰と結婚しても変わり無い。なので限りなく増殖する。最後は破滅である。
自由経済では、新たな産業を創造するのも自由だ。産業として定着出来れば強者として財をなす事が出来る。但し自己責任だ。失敗すれば何も残らない。
自治体はどうであろうか?失敗しても責任はどうであろうか?自治体や国は弱者が強者になる道を与えていないであろうか・・?
但し、同時に詐欺やスパイも、より巧妙になり、ある意味先端的な犯罪行為が日夜、進化していくという諸刃の剣も明らかではある。しかし、これも又セキュリティや有事における対策の強化に、ある程度貢献しているので、自由競争は厳しい進化の過程で生き残る為には必要不可欠であると考えられる。
しかし、資本主義経済における格差拡大にはもう一つ注目するべき点がある。それは、少子化にダイレクトに繋がる点だ。
先日、例のごとくテレビを見ていると、オスの熊の首にぶら下げていたカメラが、突然現れたメスに近づいていくと猛烈なスピードで逃げられてしまう、という現場を捉えた映像が目に止まった。それ以外にも、オスの鷹がメスに大きな太刀魚を羽ばたきながら与えている映像や、最近では縄張りの中にいるヒョウがオス同士で猛烈な闘いを繰り広げる映像が目に止まった。
これら野生動物の世界はルールが無い完全な自由競争であり資本主義自由経済においては大いに参考になる。
これらから読み取れる事は、
・環境に制限があり、常に強者に入れ替わっている事
・メスは本能で強者の子孫を残そうとする事
・自由競争では闘いが必ず起きる事
などであるが、ここからも大きな戦争は社会主義国の方が発生しやすい事が読み取れる。社会主義国の様に全ての人を均等に扱ってしまうと、環境が際限なく悪化する。強者も弱者も均等なので増殖が止まらないのだ。
通常、制限のある環境に、食物が無制限に有るとは考えにくい。食物が枯渇すると攻撃的になり、政府を倒す動きが活発になるのだ。歴史的な戦争は全てここから始まると言っても過言ではない。
逆に、自由競争社会では、常に小さな闘いが起きているのでガス抜きになり、環境の均衡が自動的に修正維持され続ける、と考えられる。
日本における少子化の問題は、資本主義国で有りながら社会主義がベースになっている点だ。
・環境に制限が有るにもかかわらず法律によって弱者が守られているので強者が入れない
従って女性がその地域に魅力のある男性を見つける事が出来ないのだ。
つまり少子化問題には構造的な問題が隠されていると考えられる。
自由競争社会に社会主義的な弱者を保護する政策が混ざると、その地域から「強者」が疎外され、女性がその地域に魅力を感じなくなる。にもかかわらず実態経済では弱者の方が財産を多く保有している、という矛盾が生じてしまうのだ。これが格差であり、この状態が長く続くと徐々に拡大していくと考えられる。
格差拡大とは、強者が多く資産を保有しているという常識を覆し、弱者が資産を多く保有し続けている状態、と考えられる。
この事によって少子化が進行し労働力不足になり、外部から低賃金の労働者が流入し、格差が更に拡大するという悪循環が起きる。
従って、資本主義によって格差が拡大するのではなく、ここでも社会主義が格差を拡大する要因になっていると考えられる。
理論的には「強者」が常に適切に評価されれば富が循環し、一定の場所に留まる事は無いはずだ。
ここで言う強者とは戦いにおける勝者と同じである。従って、勝者が多いか少ないかによって格差が拡大しているかどうかを測る事が可能だ。
格差が拡大すればするほど勝者は減っていると捉えられる。
勝者の少ない社会とは何であろうか。
社会主義国では勝者は殆どいない。なので誰と結婚しても変わり無い。なので限りなく増殖する。最後は破滅である。
自由経済では、新たな産業を創造するのも自由だ。産業として定着出来れば強者として財をなす事が出来る。但し自己責任だ。失敗すれば何も残らない。
自治体はどうであろうか?失敗しても責任はどうであろうか?自治体や国は弱者が強者になる道を与えていないであろうか・・?