徒然になってないよ

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読書感想・DEATH「死」とはなにか シェリー・ケーガン著(※閲覧注意)

2023-04-22 13:18:09 | 読書の感想

この本に関しては第1講~第3講まで読んで、間を飛ばして、一番気になった第9講「自殺」を読みました。

「死」について哲学的に書かれた本だったので見つけた瞬間興味がありまして。

哲学者らしい文字の羅列が続き、たとえ話でわかりやすく表現されている。

 

私が初めて死に触れたのは、ペットのハムスターの死だろうか。

悲しくて学校でも泣いていたら、クラスの男子に「ハムスターが死んだくらいで」と嘲笑されたのを今でも覚えている。

その次に父の妹である叔母の死。彼女は家庭がうまくいっておらず、よそで騒動を起こし離婚のちアルコール依存症で肝臓の病気で亡くなったそうだ。

叔母の黄疸の死に顔を見た小学4・5年生の私は、死体ってこんななんだと蝋人形を眺めているような気分だった。

その式に参列していたイトコ(死んだ叔母の息子・私と同い年)が泣いていないのが不思議で仕方なかった。

その次は母方の祖母の死。私が高校1年の時だった。

この時きっと私の母は限界に来たのだと思う。祖母の死を聞いた母が泣く姿を前に私は棒立ちするしかなかった。

そう、自殺で亡くした私の身内は母なのだ。

その前から異変は察知していた。しかし今ほどネットが発達してない時代だった上にうつ病やギャンブル依存症も有名ではなかった、子どもの私にはどうすることもできなかった。父や姉ですら何もできなかった。他人任せだったのだから。

最後に母と会話した瞬間を私は忘れられない。あんなに弱っていたのに、どこかでSOSを出していたのに、私は大人なんだから、母親なんだからしっかりしてよって気分で、見捨てた。

ギャンブルに依存して、作った借金が膨らんだ彼女は多分今で言ううつ病だったのだろう。生まれ育った家庭環境が良くなかった母は中卒で、今で言う一般常識がわからない人だった。子供っぽいところのある人だったから母にもどうしたらいいのかわからず文字通り借金で首が回らなかったのだろう。

祖母が亡くなった翌年、私の部屋のクローゼットで首を吊ってなくなってしまった。発見者は私だ。

中学生時代から持病のアトピーの悪化、病院に通わせてもらえない&思春期特有の気難しさによっておそらくうつ病っぽい症状をもともと持っていた私は、それ以降PTSDらしき症状になり、鬱症状と強い自殺念慮に襲われるようになる。

翌年、大腸がんで母の姉、伯母がなくなる。伯母は死ぬ前に母(妹)が死んだことを悟っていたらしい。

20代になって父の祖父母が痴ほうのちガンで死去したが、それは普通に受け入れられた。祖父母という存在なのもあるけど、自然な病死だから特に感情が引きずられることはなかった。病気だし、もう80代だからと認められた。

 

だけど母の自殺に関しては今でもひきずっている。

 

10代のころは兄弟、当時の親友含む友人、知り合った男性に母の自殺のことを話したことがある。

だけどみんな所詮他人事だったし、余計に傷つく言葉を言われたこともある。うつ状態の私に向かって兄弟が「うざいよ」とか冗談交じりに「死ねばいい」と言ってきたこともある。

裏で「母親が自殺したからって……」と陰口をたたいていたことを聞かされたこともある。

一気に人が信じられなくなった。人間が大嫌いになった。

当時はそれに悲しんで余計に殻に閉じこもったけど、今はわかる。同じ経験したことのない人間にわかるわけがない。専門家じゃない人間が何を言えるというのかと。

自分でも当時の自分は性格破綻していたし、鬱鬱した人間だったので一緒にいたくないし、会話していたら不快になる人間だっただろうと考えている。

だから今では人に相談するのは余計に悩む羽目になることだと自分では考えているので誰かに話すことはやめた。

他人には私を救えない。私を救えるのは自分自身だけだと考えている。

 

長いこと心の病と付き合ってきて、新たな体の病気が見つかって苦しんでそれで死にたくなったりして。

こんな苦しみが続くなら、今すぐ死にたい。

それなのになぜ死んじゃいけないのか。

自殺で母を亡くした自分がなぜ死を望むのか。

安楽死はいつ日本で可決されるのか。

私の身近には「死」があった。

 

ここでは本を読んでからなるほどなぁと思ったことを雑に書き記す。

第9講「自殺」では、人が自殺する合理性と道徳性についてまとめられていた。

著者は哲学者としての考えをいくつか挙げていた。

例えば、大きな病気になったとする。それが治る病気であれば悲観して自殺する必要はない。治療して回復して、また以前のように生きれる可能性があるから。

しかし、不治の病で治る見込みがなく、徐々に体の自由を奪われるそんな病気になったとする。テレビ鑑賞や読書もできず、苦痛に襲われ、死を待つ病気なら、その前に自殺をしてしまったほうがこれ以上苦しまずに済むから、患者本人は楽になれる。この場合は安楽死制度があるべきだと私も思う。

また別の話だと、何かの事象で一気に物事が悪くなったとする。たとえ話で言えば、借金で首が回らなくなった状況。私の母のような事例だ。今ならネットが発達していて情報が入手しやすい。債務整理という手段もあるし、以前よりも医療も発達しているのでうつ病やギャンブル依存症の治療もできる。当時の母は周りに知られるのを恐れていたので、原因を隠したままこの世を去った。解決方法が見つかりすれば人生は好転する可能性があるのだ。ゆえにこのケースでは自殺を選ぶべきじゃない。

本のそれらの考えは私もなるほどな、と思った。

だけど周りに相談できない、うつ病などの病気になった場合は周りが気づいて手を差し伸べなくてはそこまで考えが追い付かないので難しい問題である。

その件については今も私は自分のことを責めている状況だ。

 

安楽死制度は議論にもなっていないが、私は後々制度を作ったほうがいいと考えている。

人権人権言いながら病気で苦しんでいる人の人権を無視している気がするのだ。生きているほうが辛いだけなのに、もっと苦しんで死ねって言っているようなもんだ。鬼か。

自殺できない状況の人を代わりに殺したら自殺ほう助、殺人罪になってしまうし、自殺を選べば「死んじゃダメ、明日を生きられない人がいるのよ」と横やりしてくる人間もいるし。そういうこと言っている人間は根本的な解決もできないくせに、無責任な綺麗ごと発言をしていると気づいたほうがいい。

もちろん安楽死していいのは、筋ジストロフィー症のような自由を奪われる難病とか、末期の病気で苦しむ人だけ。それも本人が希望している場合のみだと考えている。

 

自殺はダメ、自殺は残された人を苦しめる。そんなことを思っていた時期もあるけど、その人を救えないくせに止めるのはどうなんだろうなぁともやるようになったのは、母が自殺した年齢に近づいているからだろうか。それとも同年代になった姉が母に似てきたからだろうか。

 

自殺止めた人を表彰するならさ。自殺しかけた人のケアに力入れてやれよって思っちゃう。その後どうなったのよ。ってもやもやする。止めたからなんなの?先延ばししただけじゃん?って。

あと本気で死にたい人は誰にも止められない場所でするから。赤の他人に相談したいとも思わないし、いのちの電話の番号教えられてもかけるわけないじゃん。他人に何を救えるというのさ。

いろいろ考えさせられた本でした。


ドン・キホーテ ミゲル・セルバンテス著 会田由訳【※読破断念】

2023-04-21 10:52:17 | 読書の感想

訳者のことを考えずに借りたら、ちくま書房版は難しくてとてもじゃないけど読破できないと思い断念しました。

90ページは頑張ったけど、冗長すぎて先に進まなくて私には難しすぎた。残り589ページも読めない。全然頭に入ってこないもの。

ちなみに文庫本じゃなくて、ハードカバーで小さい文字&3列ブロックに分かれて書かれている本です。第18章まで頑張りました。

あと途中途中作者が物語の中に割って入ってくるのなに? 二次創作でも読んでるのか私は。

 

Yahoo!知恵袋でもドン・キホーテの訳者についての質問があったので、ここで躓く人が多そうだ。

読みやすい訳者さんを推されていたので、岩波書店版の牛島さんという方の訳本が図書館においてあればそちらを借りたい。あるいは子供向けがいいそうです。

午後以降に図書館に出向くかどうか迷い中。


読書感想・処刑の文化史 ジョナサン・J・ムーア著

2023-04-19 11:58:49 | 読書の感想

あくまで個人の感想です。

 

面白そうなタイトルだと思って図書館で借りた一冊。半日以内で読破しました。

古代から近世のヨーロッパで行われた処刑に関しては詳しく書かれていた。

先に言っておくと、私は無神論者で、神とか信じていません。

 

「魔女狩り」とかいいながら、ろくな裁判をせずにとらえて、辱めて、処刑する当時の聖職者や役人、それを見て喜んでいた観衆こそが悪魔じゃんって思ったよね。

神を信じていないから悪魔も信じていないけど、それらを悪魔と表現するほかない。

なろう系小説で、身に覚えのない罪で処刑される主人公のお話とか見てて、「そんな簡単に処刑されるかぁ?」と疑問に思っていたけど、当時のヨーロッパでは貴族もぺろっと処刑されることがあったようなので、あながち真実味があるのかもしれないと思ったり。冤罪も多かったんだろうなぁ。

自分の執事を殺害した罪で処刑された伯爵とかおるんや……と変に感心したり。昔のヨーロッパ上流階級では使用人は家具って考えだったから、使用人殺してもなぁなぁで終わりそうだと思っていたんだけどな。執事だからダメだったのかな?

わんこそばみたいにほいほい処刑されるし、なんかもうわけわかんないよね。命が軽すぎた時代と納得するしかないのだろう。

でも、加害者に優しい現代において、人一人殺したら処刑、って流れのほうが正しいような気もする。人権人権言いながら、被害者の人権守っとらんやん、って思っちゃうんですよね。

 

そして全部読破した感想は全体的に内容が若干偏っている感じがした。

著者はおそらくオーストラリア辺りの人なのだろうが、植民地支配時代の処刑などはあんまり書かれていなかった。

黒人差別がひどかった時代の話も本当ほんの少しだけ。黒人が捕まったら裁判は一瞬で終わる。その程度の記載のみ。奴隷時代の話が一切なかった。黒人を木の枝に吊って処刑した、その光景を歌になっていたよね。そこは省略するのね。

アジア圏の植民地支配の処刑写真も一枚あったけど、写真が載っているだけで、記事には触れられてない。

そして、アメリカ開拓時代の、先住民による残虐な処刑について書いていたが、白人開拓者による先住民の虐殺や凌辱に関しては端折っていた。

部族の娘をレイプしたから、部族が怒って開拓者を処刑した。みたいに書かれていたけど、もっと散々なことやってきたんでしょ。

そりゃあ他所からいきなりやってきて、土地を奪って先住民を追い出そうとしたり、暴力働いたら、先住民だって躍起になって追い返すし、仕返しするよな、と思ったり。

オーストラリアでもきっと同じことが行われていたと思う。先住民アボリジニは結構ひどい扱いを受けてきたと聞くし。

その辺をごまかして端折っているのは印象が良くないなと思ったり。

ナチスのホロコーストについてもあったけど、毒ガス室については端折られて、アメリカでの毒ガス処刑の話がメインだった。失敗して苦しんだ死刑囚の記録がずらっと並んでいてウェッとなる。失敗することが多かったみたいだ。

毒ガスが非人道的だから世界的に取りやめにしたなら、保健所の犬猫殺処分はどうなんだと犬好きの私は苦い思いになる。

電気椅子も同様に失敗が多かったとか。映画のグリーン・マイルを思い出す。

 

期待していた拷問器具の内容は全然なかった。写真があっただけ。鉄の処女のネタとかないの!?とがっかりした。

内容は自分が知っているものばかりだったので、多くを学べたことはなかったな。

ざっと読んだ結果、日本の死刑方法は一番ましな処刑方法なんじゃないかと思いました。

薬殺とか銃殺は腕が下手な処刑人にぶち当たると無駄に苦しむ恐れがありそうだもん。一瞬で頸椎ボキッとされたほうが一瞬で旅立てる気がする。

そうそう、ロープの長さによって苦痛の度合いが違うというのはこの本で初めて知った。

処刑とは関係がないが昔、自分の近しい身内が首吊り自殺したのだけど、状況記憶から一番苦しい方法で亡くなったんだなと思うと、悲しいやら虚しいやら、発見当時のトラウマを思い出してしまうよね。

あの時のことは10年たっても15年たっても忘れられないよね。

自殺って、誰も何も責められないから、遺族は助けられなかった自分自身を責めてしまうものなんです。

宗教で言えば、自殺した人間は成仏できないと言われているけど、遺族としてはこれで本人が楽になってくれたら、って20年近く経過した今はそう願ってしまう。

 

内容が端折られて少し偏っているし、処刑に詳しい人から見たら内容が浅い本。だけど何も知らない、暇つぶし程度に読むなら悪くない。

グロ耐性のない人はおすすめしないかな。当時の絵と文章で描写されているので。気分が悪くなっても知らないよ。