時には目食耳視も悪くない。

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【動画紹介】ヒトコトリのコトノハ vol.35

2023年12月15日 | 動画紹介
☆本記事は、Youtubeチャンネル『本の林 honnohayashi』に投稿された動画を紹介するものです。
 ご興味を持たれた方は是非、動画の方もチェックしてみて下さいね!

 ●本日のコトノハ●
  『万葉集』の歌を、わたしたちは、美しいものとして、芸術的に味わい鑑賞することだけしか、誰も考えていないが、
  それは、重大な問題点に誰も気づいていないということである。歌は、当時にあっては、それぞれの目的をもつ貴重な
  伝達の手段でもあったのだ。

 『柿本人麻呂 いろは歌の謎』篠原央憲(1990)三笠書房より


 誰しも人生のうちに一度は暗号にハマったことがあるのではないでしょうか。
 限られた人間だけが分かる秘密の記号。ここで大切なのは、自分だけが知っているということなのです。
 自分以外の誰も知らないことを自分は知っているという優越感を心地良く思ったことはないですか?

 また、自分だけが相手と二人だけの情報を共有しているという秘めた連帯感も、冒険心をくすぐりはしないでしょうか?
 いずれにしろ、サスペンス小説や探偵が活躍する冒険小説などでは、読者の心を躍らせるために一役買っているのです。

 私が人生で初めて心惹かれた暗号は、シャーロックホームズの冒険シリーズの『踊る人形』に登場する人形を使った暗号です。
 それから、小学校の図書室にあった江戸川乱歩や、アルセーヌ・ルパンシリーズに出てくる謎の手紙。一見、何の変哲もない文章の中に隠された文字が浮かび上がり、そこから、物語が思わぬ方向へ進んで行き、事件が解決するのが読んでいて小気味の良い感覚がしたものです。
 現実社会で物事がそんなふうにうまく収まることは難しいと実感するのは、もっと大人になってからのことでしたが。

 実際の日常で暗号文のメールをもらったり、こちらが送ったりすることは、一般人として生活している限りありませんし、そもそも暗号が必要になるような事件なんて起こらないのです。
 しかし、はたと気がついたのです。直接的な表現を使わずに、暗号を送り合っていた(しかも日常的に!)時代が日本にあったではないかと。
 そう、万葉集が成立した時代です。人々が送り合った和歌には、一つの言葉、言い回しに複数の意味合いがこめられ、本来ならば面と向かって言いづらいことをかえって鮮やかに言い表していたではないか。

 一見、相手をほめたたえる言葉を使っていても、遠回しに疎ましく思っていたり、皮肉たっぷりであったり、和歌の解釈が一筋縄にはいかないことをご存知の方は多いはずです。
 歌だけ見れば、景色の見事さを描写するような和歌でも、送った人と送られた人にしか分からない秘密が隠されている。
 誰が目にするか分からないから、そんなふうに一般の人たちの目をくらませつつ、本当に伝えたいことを詠みこむのは容易ではありません。

 私は万葉集自体が、そうした編者の思惑をはらんだ暗号なのではないかと思っています。
 一見すると、日本の和歌の伝統を現代に伝えてくれる貴重な資料ですが、私にとって『万葉集』はまさに歴史ミステリーなのです。


ヒトコトリのコトノハ vol.35




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