カプアン通信

別れ



お休み中にもかかわらず、多くの方に
カプアン通信に訪問していただき、ありがとうございました。

右欄外にあります、アクセス状況の「トータル訪問者数」が
3月15日現在、999,000人を超えております。
あと数日で100万人を超えそうです。

たくさんの方がいらっしゃっているのに休業のままでは心苦しいので
すこしずつ平常営業に戻します。


有り難いことに、連日、親戚や友人
とくに犬友達が自宅に弔問にいらしてくださっています。
ちばわんのボランティア仲間からも、お香典や、お供物を頂戴しました。
改めてお礼申し上げます。


母は、葬儀後、体調を崩すこともありましたが
いまは元気にしています。
いままでは、我々と世帯が別だったこともあり
一緒にごはんを食べることは、お正月や、
お祝いの席くらいしかありませんでしたが
母を呼んで一緒に夕ごはんを食べることも多くなりました。

それから・・・療養中だったカプアはすっかり元気になりました。
ご心配ありがとうございました。
最初は、母がわれわれの世帯に来るたびにカプアは吠えてましたが
いまはすっかり慣れています。



きょうは、犬の話ではなく、父との別れついて記します。
(長くなりますがご容赦ください)


父は90歳を過ぎたある日、突然、歩けなくなり
病院の診察で「パーキンソン症候群」と診断されました。

パーキンソン病は難病です。父は難病医療券を持ってました。
歩行が困難になったことから、「身体障害者手帳」も持ってました。
要介護認定も受けて、最終的には「要介護4」(寝たきりの手前の認定)でした。

2カ月に1度、循環器の専門医と脳神経内科の専門医の診察を受けていて
治療により、短い距離なら介助すれば自力で歩けるようになりましたが
去年くらいから再び、家の中から外に停めたクルマまで歩くことや
車椅子からクルマに乗り換えることが困難になりました。

日々の着替えも大変なので、朝だけ毎日ヘルパーさんにきていただき
週2回、訪問看護の看護士さんに来てもらってました。
夜の着替えや、紙パンツの取り替えは、私と妻が交代で行い
毎日、ほぼ父の介護で予定が埋まってました。

去年の暮れ、母が心筋梗塞で入院してあとから
認知症的な症状も現れましたが、概ね、意志の疎通は問題ありませんでした。
身体が不自由なことを除けば、食欲もすごくあり
93歳にしては、何でも良く食べました。

ただ、毎日、寝ている時間が多くなり、
その結果、夜眠れないので「睡眠薬」を欲しがるようになりました。
私が管理して、医者に言われた「用量」以上は渡さないようにしました。
脳神経内科医から、飲み過ぎると認知症が進むと言われたのです。


2月20日頃、夜中に父が母を起こし
「敏明(私の名前)が帰って来なかったから、晩ごはんを食べてない
何か作れ」と言ったそうです。
夕飯は私が持って行くことが多かったのですが、もちろん晩ご飯は食べています。
母は、しかたなくパンを用意したら、
「そんなのは晩ご飯ではない」と怒っていたそうです。
でも、翌日はそんな出来事は忘れてしまいます。

そんなことが何回かありましたが、日中は、だいたい機嫌良く過してました。
ただ、ヘルパーさんにはよく「はやくお迎えがきて欲しい」と言っていたそうです。
しかし、夜になると「睡眠薬」を欲しがり、「眠れないと死んでしまう」と
朝と逆のことを言いました。


2月25日水曜日
父は、長年お世話になっている、四ッ谷にあるクリニックに行きたがりました。
便秘で困る。と訴えてましたが、その日は下痢でした。
その少し前は「自分は前立腺がんなので、大病院で手術してもらう」と言い張りましたが
馴染みの先生に、手術をしても別のことで不具合を生じる。
それに「たぶん、がんではないよ」と言ってもらいました。父はすこし不満そうでした。

2月26日木曜日
この日は、長年お世話になっている六本木の整形外科に行きたがりました。
ひざが痛くて立てないと訴えました。
たしかにしばらく前に、病院の帰りに立てなくなって、
エレベーター内で四つんばいになってしまったことがありました。
普通は90歳以上で、病気をしていれば、歩けなくなることもあるだろうと思いますが
整形外科に連れて行って
患部に注射をしてもらったら歩けるようになり、この日は上機嫌でした。

2月27日金曜日
この日は、前夜、咳が出て眠れなかったからと、近くのクリニックに行きたがりました。
さすがに3日連続で、このときも元気そうに見えたので
たいした用事ではありませんでしたが、用事があるからダメと伝えて
「しばらく様子を見たら?」と言って外出したのですが、
午後に外出先から戻ると、やっぱりどうしても行きたいと言うので、
クリニックに連れて行って、車椅子に乗せた父を看護師さんに任せて
あとで迎えに行くことにしていったん家に戻りました。

しばらくしたら、「先生がご家族に話したいことがあるので来てください」と電話がありました。
何だろうと思ってクリニックに行くと、
先生から「インフルエンザに罹ってます」と告げられました。
「家族が感染しないように、部屋を分けるなど隔離してください」と言われ
「入院は、感染が蔓延するおそれがあるので普通は断られます」と言われました。

父は、自分の不調の原因がわかったためか、上機嫌でした。

しかし、父の隣で寝ている母は連日父の世話をしていて、部屋の構造上も隔離は無理でした。
ネットで検索したら、“息苦しさを訴えている場合は入院させてもらえることもある”
と知り、かかりつけの総合病院に相談したら、
差額ベッド(高額な部屋)なら入院できると知りました。
お金がかかってもいいから入院させることにして、
18時半頃、入院の準備をして救急外来に向いました。
ここは、昨年12月に母を連れてきたところでもあり、そのとき長時間待ったことが
デジャブのように思い起こしました。

最初だけ診察に付添いましたが、血中酸素濃度を測る装置で検査したら
看護士さんと先生が、「おや?」と顔を見合わせました。
あとで知りましたが、酸素の量が異常に少なかったようです。
それから、レントゲンやCTなどいくつかの検査をすることになり
廊下で2時間くらい待たされました。

やがて、廊下に先生がやってきて、インフルエンザの症状はたいしたことはないけど
肺の状態が非常に悪く、急変する可能性がある。と告げられました。
その場合、蘇生措置など治療方針を確認する時間がないので、先に決めてください
と言われました。
詳しくは、肺に直接、挿管する必要があるかもしれないけど
お父さんのお年だと、死ぬまで管が抜けない可能性があること
治療のために強いステロイド薬を使う場合があり、心停止もありうるけど
心臓マッサージは肋骨が折れる場合もあること、など聞かされました。

すぐに母に電話をして確認してから、
先生に「苦しまない」「痛みがない」ことのみ優先してください
と伝えると、先生も「それが一番いいと思います」と答えました。

このお願いは、13年前、急性胆のう炎で父が手術したときも
先生にお願いしたことでした。
父は長年沢山の病気をしましたので、これ以上苦しませたくなっかったのです。


やがて、ストレッチャーに乗せられて、父が出てきましたが
荷物は全部わたしが預かっていたのに「携帯がない! サンダルもない!」
と大声で騒いでました。
もう9時過ぎで、病棟は消灯後の時間でしたので
ストレッチャーを押している看護士さんに
「静かにしてくださいね」と注意されました。

父が個室の病室に入ってから、準備でまた1時間くらい待たされましたが
父に会って、預かっていた携帯を渡したら
「おお、あったのか!」とにっこり笑いました。

これが父とかわした最後の会話となりました。

でも、そのときは、とても元気そうに見えたので
案外、長くかからずに退院できるのではと思いました。
何の根拠もありませんでしたが
それまでも、重い病気で何度も入院しても生還できた父だったので
今回も大丈夫と思ったのです。


しかし、夜中2時過ぎに、当直の先生から電話があり
肺の機能がさらに落ちていることを知らされ、
顔に圧着させる人工呼吸器を使うとの連絡でした。
いますぐに来る必要はないけど
また電話をするかもしれません。と告げられました。

そして朝7時半すぎ、今度は看護士さんから
危篤なのですぐに来てくださいと電話がありました。
タクシーを呼び、私だけ行くつもりでしたが、妻が母を起こして
寝巻きの上にコートを着せて連れてきました。

8時頃父の病室につきましたが、なぜか誰もおらず
父だけが寝ていて、いびきをかいてました。
あとで、顔につけた人工呼吸器で強制的に呼吸をさせている音
と知りました。
そして、ベッドサイドの心電図モニタがゼロになっていることに気がつき。
もう亡くなっていると知りました。


7時40分頃に心肺が停止したそうですが、看護士さんの話では
人工呼吸器をつけたあとは苦しまなかったと教えてくれました。
父は穏やかに微笑んでいるような寝顔でした。
そして、首には、前夜渡した携帯のストラップが
しっかりかかっていて、胸ポケットに携帯が入ってました。


事前にお願いしたように、チューブだらけにもならず
理想的な旅立ちだったのでは、と思います。

ただ、「これから本格的な介護生活がはじまる」と思っていたので
あっけない別れに、現実のことでないように感じました。


父が亡くなったあと、さまざまなことが起きましたが
それは、追々記していくつもりです。


ながながと個人的な話を読んでくださり
ありがとうございました。




父の病室の準備を待つ間に撮った東京タワー。

自分が胃がんで入院したときと同じ風景と気がつきました。

コメント一覧

カプアンパパ
幸多家さん
お悔やみコメントありがとうございます。

幸多父さんのお父様は10年も前に逝去されたのですか。
お若いときで大変でしたね。
カプアンママの両親も、カプアンママが若いときに亡くなっています。
私は、お葬式を主宰したのははじめての経験で
右往左往するばかりでした。
もっとも父の葬式を予行演習をするわけもないので仕方がないですね。

ありがとうございました。
カプアンパパ
ちゃっぴ母さん
ありがとうございます。

さいわい、両親と近くで暮すことができたので
人間はこんな風に老いていくのか、とか
こんなに簡単に旅立ってしまうのか、など
いろいろ経験することができました。

ちゃっぴ母さんは、まだ心身ともにお若いですが
われわれも、そろそろ高齢世代に向いますので
肉親の死は心に響くものがあります。
元気なうちに好きなことをしたいですね。

ありがとうございました。
カプアンパパ
おろちさん
先日はお花をわざわざ届けてくださってありがとうございました。

いまも、別の対応をしたら、急逝はなかったのでは、とか
早く病院に連れていってあげればよかった・・・と考えることがあります。
しかし苦しまずに旅立てたのは良かったのではとも思っています。

ありがとうございました。
幸多家
お父様の件、お悔やみ申し上げます。

うち(幸多父)は10年ほど前に父が他界しましたが、
落ち着いた頃に疲れが一気に出ると思います。
ご家族の皆様、お体を大切に。
ちゃっぴ母
心よりお悔やみ申し上げます。

同じ36会で同じ年くらいの両親もつものとして、カプアンパパの丁寧な両親へのやさしさは、すばらしいです。
私もその日が近づいているのを、親元に行くたび実感し、どうしようと思いながらも、とりあえず普通に生活できている今はあえて静観している状態です。

落ち着きましたら、カプアンパパも無理せずなにより、お体を大切にして下さいね、お父様も見守ってくれてますね、きっと。

おろち
お疲れ様でした。
経過が判りました・・・
その日の事は走馬灯のように何十辺でも脳裏で繰り返されるものです。
未だ暫くは色々思いがめぐる日々でしょうが、くれぐれも気を落とさないで、半歩ずつでも動いて下さい。
お母様お大事に!!
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