カプアン通信

サリー

カプアとアンジェロに出会うきっかけを作ってくれたのが、先代のサリーです。
サリーは、人間が大好きで、とても穏やかなワンコでした。
いままで、私は6頭のワンコを飼ったことがありますが、
室内で一緒に暮らしたのは、サリーがはじめてのワンコでした。
一緒に過ごせたのはたった2年足らずでしたが、かけがえのない家族でした。

3月4日はサリーが天国へ旅立って、ちょうど3年になります。
きょうは、サリーの想い出をお話しします。


15年くらい前の話ですが、東京中野区の両親の家の周辺で、泥棒が頻繁に出るようになり
番犬を飼いたいという話になりました。
最後に飼っていた犬が亡くなってから、長い年月がたってました。
当時はインターネットは普及してなかったですし、里親制度のことは知りませんでした。
犬を買うといえば、ペットショップに行くのが普通でした。

当時私は銀座で働いていて、松屋のペットショップにワンコを見に行くのが楽しみでした。
そして1992年の春、一匹のシェットランド・シープドッグの子犬がいつも
売り場の檻の中にいるのが気になってました。

そのワンコは、檻のすきまから指を入れると、やさしく舐めてくれますが
売れ残り成長してしまい、お座りの姿勢だと天井に頭がついてしまうので
いつも首を傾けていました。

両親に、シェルティーは賢いので、この犬がいいと勧めて
母と一緒に、銀座まで買いに行きました。すでに6ヶ月になってましたので
子犬というより、若犬の大きさでした。母は店員に交渉して値引きしてもらい
ダンボールに入れられたサリーとともに、タクシーで実家へ連れて帰りました。
父は、子犬を連れてくると思っていたので、「ずいぶん大きいなあ」と言いました。



実家の庭で飼われていたころのサリー


サリーは、実家の庭で放し飼いにされ、とくにしつけ教室などに行かないのに
お座り、お手、お代り、回れなど、ひととおりの芸をマスターできました。
私が実家に行くと、サリーは大喜びしましたし、私もサリーに会うのがとても楽しみでした。

2001年頃、父が大病し、母も同時期、両目の手術をするということがあり
二世帯住宅に、両親と同居することになりました。
サリーは10歳になっていて、それまで大きな病気はしませんでしたが、
熱中症にかかったりし、屋外の生活は厳しくなってきました。
私たちは、両親に頼み、玄関の土間にサリーを入れてもらいました。

2002年4月、サリーはえさを大量に吐いて動けなくなりました。
実家近所の年老いた獣医に診てもらったら「治らない、安楽死させた方がいい」と言われた
と母から電話がかかってきました。私は慌てて、夜中でも診てもらえる獣医を探し
夜中に中野から港区のK獣医まで、タクシーでサリーを運びました。
K獣医師は「子宮蓄膿症」と診断し、高齢だし、心臓が弱っているので
全身麻酔に耐えられるかわからないと言いました。
しかし、手術をお願いし、翌日の手術に備え徹夜で看病をしました。



子宮蓄膿症の手術をした直後のサリー


サリーは手術に耐え、元気になりました。当時、我々は犬を飼ってはいけないマンションに
住んでいて、早朝に散歩に連れ出しましたが、エレベーターで1階フロアに下りた途端
おしっこを大量にしてしまったり、ウンチが出なくて、外で浣腸をしたり
サリーを看病していたあいだは、いろいろな想い出ができました。

2003年、ついに今の家が完成して、サリーが引っ越してきました。
サリーは我々夫婦の世帯で飼われることになりました。

それまで母は、40年以上過ごした中野の家や、たくさんの友だちと離れるのが辛く、
港区に引っ越したら、友だちができないのではと危惧してましたが、
サリーとの散歩を毎日することで、たちまちワンコ友だちがたくさんでき
新しい環境に慣れたのはサリーのおかげだといってました。
私もワンコと部屋で過ごすのが夢でしたので、サリーと過ごせてとても幸福でした。
50年近く生きてきて、いままでで一番幸せな時間だったと言ってもいいくらいです。



いっしょに暮らしはじめたころのサリー


しかし、サリーの老いは思った以上でした。
晩年のサリーは、主な手術だけでも以下のとおりありました。
2002年4月(10歳6ヶ月) 子宮蓄膿症
2003年6月(11歳8ヶ月) まぶたのおでき、お腹の脂肪の固まり除去
2004年2月(12歳4ヶ月) まぶたのおでき、目元の腫瘍、お腹の脂肪の固まり除去
2004年12月(13歳2ヶ月) 右前足脇の下の乳がん

最後の手術で、病理検査の結果、がんの転移の可能性が非常に高く
余命6ヶ月と診断されました。抗がん剤治療を決断しましたが
抗がん剤投与後、異常行動などの異変が起き、すぐに中止をしました。
暮れと正月には、もとのサリーにもどり、しばしの安息の日々が続きましたが
2005年1月10日、散歩中のふらつきと斜頚がはじまり、2月半ばには立てなくなりました。



2005年元旦のサリー


我々は、サリーのびっこが治ったことがある東洋医学に望みをかけて、
浦和のM医院に通いましたが、先生の診断は、背骨からエネルギーを感じず、脳か脊髄へ
がんが転移しているとのことでした。そして3日後、何度もサリーは吐きました。

かかりつけの獣医さんの診断で、腎不全になりかけているといわれ、
毎日、半日の点滴を受けることになりました。
かかりつけ病院は実家の近くにあり、車で40分くらいかかる場所でした。
朝サリーを連れていき、夕暮れ時に引き取ってくるという毎日ですが、
病気が好転する希望はなく、
このとき見た夕暮れどきの風景ほど、悲しい風景はありませんでした。

夫婦交代で、毎日徹夜で看病をしていましたが
サリーはまったく目をとじず、眠らないように見えました。

動物病院は夜間人手が足りず、また、もしもの時、家族で看取れるようにと
入院はさせず、先生から座薬の薬と、注射器に入った2種類の麻酔薬を預かってました。
てんかんの発作に備えて、順番に効果の強い麻酔薬でしたが、
3番目の薬を使うと心臓が止まる可能性があることも教わりました。
そして、サリーのことを優しく診療してくださった、若いF先生は
もしもの時のために、自分の携帯電話の番号を書いたメモを渡してくださいました。

4日目の朝、東京は3月にしては珍しく大雪の予報が出て
私は、治療の中止を決断し、F先生に電話をしました。
朝、両親が具合を見にきて、サリーが好きだった近所の奥さんが見舞いに来て、
みんなでサリーを囲んだとき、サリーは静かに息をひきとりました。

外から雪の光がサリーを照らして、まるで西洋の宗教画を見ているようでした。

私たちは、サリーのお葬式の準備をしましたが、驚いたことに
サリーのことを知った人が、次々にお花やお供え物を持って弔問にいらっしゃいました。



サリーはまるっきり寝ているように見えました



後日、関係者にお配りした手紙


サリーの闘病は辛かったですが、できるかぎりのことをしてあげられて
お別れができたので、思い残すことはありません。

いずれ虹の橋で、サリーと再会できる日を楽しみにしています。

コメント一覧

カプアンパパ
ありがとうございます。
マックははさま、こんばんは。コメントありがとうございます。
多くのみなさんは、先住犬の想い出がありますね。
とくに、病気の看病をして看取った方は、生涯忘れられない出来事になると思います。
晩年、サリーが死ぬのが恐ろしくて、気持ち良さそうに寝ている時も
こんな風に動かなくなることを想像して、切なくなったりしました。

全国の愛護センターには、病気になったり、年老いただけで、飼い主から処分を依頼されるわんこがたくさんいるそうですが、人間はなんとひどいことをする生き物なのでしょう。
カプアとアンジェロは。寿命を全うして欲しいです。老犬になってもお世話ができるように、家族は健康でいないといけませんね。
マックはは
先住犬のことを思い出しながら読み入ってしまいました。
我が家のごん太も来月が命日で丸4年経ちます。
彼が死んだらもう飼わないと思っていたので、亡くなる前の1ヶ月は寝たきりの彼に添い寝していました。
彼がいなくなってから、寂しくて毎日お風呂で号泣してましたよ。
本当に辛かった。

サリーちゃん、晩年は多くの病気で辛かったでしょうけれど、パパさん、ママさんの愛情をたっぷりもらって幸せでしたね。
きっと、いえ絶対、感謝していると思いますよ。
このおうちの子で良かったと・・・
カプアンパパ
ありがとうございます。
ココママさま、こんばんは。
サリーは、たぶん生まれつき、楽天的で朗らかなわんこだったんだと思います。いつも回りの人間を楽しませてくれるわんこでした。

年を取ってから、いろんな病気をしたのはかわいそうでしたが
診察中や、闘病中も笑っているようなわんこでした。
あと何日命が持つんだろうと思ったときは、私も、早く楽にしてあげたいと思いましたが、安楽死を選ばないで、最期の数日間を家族と一緒に過ごせたのは、サリーのがんばりであり、最後の贈り物だったような気がします。

わんこと人間のきずなは素晴らしいものだと思います。動物を愛してくれる人間がたくさん増えればいいなと願っています。
カプアンパパ
ありがとうございます。
歓ママさま、こんばんは。
サリーと暮らしだしたのは、10歳を越えてからですが
老犬との生活は、穏やかで、ひょうきんなところもあり
若犬とは違った楽しさがありました。
千葉WANでも、老犬を家族に迎えてくださる里親さまがいらっしゃいますが、すてきなことだと思います。

闘病生活は、希望がもてなかったのが一番辛かったです。でも、サリーは脳関係のがんだったせいか、痛がったり、苦しんだりしたことは、ほとんどありませんでした。若い獣医師の先生がとてもよくしてもらえました。
やっぱり、先生にお礼の挨拶にうかがったとき、涙をみせてしまいました。

サリーやコロンちゃんに見守られて、生活をしている気がしますよね。わんこの生活も自分の生活も悔いのないようにしたいものですね。
ココママ
大号泣しちゃいました(TT)
サリーちゃん頑張ったんですね。
その頑張りがカプアンパパさんや家族の心に残って、今でも愛してもらえてること、きっとお空で喜んでますねヽ*′∀`)*′∀`)ノ
うちの前のワンコも今回のウサたんも闘病をしました。
具合が悪くて可哀想だから早く楽にしてあげたい気持ちと、1分1秒でも長く一緒にいたい気持ちとの戦いでした。。
サリーちゃんは色んな病気をしたけど、最後までカプアンパパさんの優しさや家族のぬくもりを感じていられた事、とっても幸せだったと思います☆☆
虹の橋あたしもとーっても楽しみ☆
あたしもあの子達みたく人生を全うしたらいつか再会できるといいな☆
カプアンパパ
幸せにしてあげたいですね
あーちママさま、こんばんは。
サリーは大食いで、16キロと太っていて
鼻にハゲがあったし、スキッ歯でしたが、我々にとっては
ほんとうにかけがえのない家族でした。

15年前と違い、インターネットなどの発達で
わんこについては、いろんな情報がありますし
食べ物や医療も進んでいますが、わんこを家族と考えて、
室内で一緒に暮らすことが、いちばん大切なことですよね。

欅はきょうも少しずつ切られてました。
作業員が楽しそうに切っているのが、ちょっと癪に障りました。
歴史はありますが、小さな神社の、狭い敷地の中のことなので
切り倒すしかなかったのかもしれませんが、やっぱり人間の都合優先ですよね。カプアとアンジェロには木の悲鳴が聞こえたのか、この光景を怖れてました。

カプアンパパ
ありがとうございます。
猫の手さま、こんばんは。
いつもコメントありがとうございます。

わんこ、にゃんこは寿命が短いので切ないですね。
カプアはまだ1歳3ヶ月くらい、アンジェロは2歳半ですが
この若い日々は、じきに過ぎ去ることを思うとしみじみしてしまいます。
実家で飼っていたわんこたちは、庭のすみで亡くなっていたり、
犬小屋の前で息絶えていたり、看取れませんでしたので
かわいそうなことをしたと思います。
できれば、世の中の多くの犬猫が飼い主に看取ってもらえるような時代がくればいいですね。
カプアンパパ
ありがとうございます。
ロンママさま、こんばんは。
いつもコメントありがとうございます。
サリーは我々と暮らすまで10年以上、庭で飼われてましたし、晩年、手術の連続でしたので、幸せな犬生だったかはわかりませんが、もともとの性格なのか、我慢づよく、いつもニコニコしているワンコでした。
サリーとのお別れが、ちゃんとできたので、アンジェロ、カプアとの出会いにつながったと思っています。妻も私も、机の前やベッドサイドにサリーの写真を置いて、いつも懐かしんでいます。
ロンママさまの愛犬も同じ命日なんですね。サリーには、あとすこしで春が来るよって、声をかけながら看病してましたが、もうすこしでした。

メイマミさんのブログ拝見しました。先日のべんくんも同じですが、どうして、こんなことができるのでしょうね、もしかしたら、外で飼っていて家族とは思わないのかもしれませんね。
私は、サリーとお別れしてから、わんこを家族として看取り「命」のことを考えることが、わんこが人間に教えてくれるもっとも大切なことだと思っています。
それを放棄するのは、愚かとしか言いようがありません。

サリーは人間には優しいわんこでしたが、他の犬には厳しいときがあり男勝りでした。オスと間違えても全然気にしませんよ(笑)。朗らかなわんこだったので、きっと天国で笑っていると思います。ありがとうございました。
歓ママ
サリーちゃんとの生活は楽しいこと、辛いことすべてがカプアンパパさんママさんにとって昨日のように思えるのでしょうね。
老いを迎えてもなおみんなに愛されてサリーちゃんは幸せだったことでしょう。
長い闘病生活は家族にとっても辛いものです。
だからこそ最期のそのときを家族とともに過ごせたサリーちゃんは心穏やかに旅たったことと思います。

うちの先代犬コロンも来月には命日を迎えます。
今でも忘れることができないコロンとの楽しい思い出がまた蘇ってしまいました。。
サリーちゃんやコロンが虹の橋でずっと私たちのことを見守っていてくれますよね。
だからアンジェロ君、カプアちゃんや歓、陽芽と楽しい毎日を送らなくては怒られちゃいますよね~
今生きている大切な命をずっと見守って行きたいです。
ロンママ
再コメです。
ごめんなさい、サリーちゃん、女の子だったんですね。失礼しました。そうですよね・・・ほんとうにごめんなさい。
あーちママ
サリーは幸せでしたね。
そして、みんなを幸せにしてくれたんですね。
私は昔飼っていた犬ことで後悔がたくさんあるので、あーちとは絶対に後悔のない生活をしたいといつも思っています。
サリーのように幸せなわんこにしてあげなくてはと思いました。
素敵なお話をありがとうございました。

↓の欅の木はこれしか方法がなかったのでしょうか?
つらいですね。
今は倒す時、重機を使いますよね。
倒される木が悲鳴をあげるようでとても悲しいです。
猫の手
http://blog.goo.ne.jp/10diana01-roro-mook
ことばに詰まります。

どんな形にせよ、いつかはお別れのときがきますね。
そのときまで精一杯生きてほしいと思います。
そしてお別れの時は、絶対にそばにいたいと思います。
実家で飼っていた子達はそれができなかったので…。
ロンママ
サリーくんはカプアンパパさんに見つけてもらって、買われて、そこから幸せの犬生が始まったんですね。驚いたことに私が独身時代に飼っていたワンコの命日も3月4日なんです。明日はドッグランに行く予定なので、次の日にブログに載せようと思っていました。
たくさんの方々に愛されたサリーくん、そして、亡くなったあとも思い出してもらって懐かしんでもらって、今でも幸せですね。そしてそれがカプアンちゃんたちにも繋がっているんですね。
私も何度もこういう経験をしてきていますが、しみじみとしてしまいました。
メイマミさんのところで13歳のシーズーが遺棄されて保護されていますが、何故そういうことがあとを絶たないのか、不思議でなりません。
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