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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

大相撲春場所  悪いけど、まったく興味がわかなかった!

2015年03月19日 | 相撲

大相撲春場所。

昨年ぐらいから人気を回復してきた大相撲。
この春場所も、
数年前からは考えられないほど、
連日よくお客さんが入りました。

そして、
連日の熱戦。

こう書くと、
素晴らしく盛り上がった土俵という感じがするのですが、
現実にはワタシは何だか今場所の土俵を、
本当に白けた感じで土俵を見つめています。

もちろんその主要因は、
横綱・白鵬の全く横綱らしくないふるまい。

白鵬は、
先場所千秋楽後の記者会見での『舌禍』事案に絡んで、
マスコミとはもう『口も聞きたくない』ということのようで、
何のコメントも出さないし、
全く相撲記者たちを『無視』するような形を貫いているようです。

白鵬ほどの人でも、
マスコミの後ろにはたくさんのファンがいるということを、
感じても考えてもいないんだなということが感じられて、
何だかワタシ、とてもさびしく思っちゃっています。

”好角家”であるやくみつる氏やデーモン小暮氏も、
この一連の白鵬の振る舞いには一家言あるようで、
ワタシも彼らとは全く同じココロモチです。

ひとこと言えるとすれば、
『晩節を汚すなよ』
これだけです。


白鵬とて人間。
言いたいことは山のようにあるでしょうが、
日本の国技である相撲という世界に身を置いて立身出世を果たし、
第一人者となったからこそ、
『誰からも尊敬される存在』
であってほしかったというのが本音。

ワタシは初場所後の『発言』について、
『行司、審判にもっとしっかりしてほしい』
ということは全くその通りだと思っています。
異論は全くないし、
もっと発言していってもいいようにすら思います。

しかし、その後の『自分は差別されている』という言葉については。。。。。
大いに失望して、
それから白鵬を応援する気が失せてしまっているんです。

ああ、やっぱり白鵬も、
心の底ではそんな風な思いを抱きながら、
土俵に上がっているんだなと思ったら、
もうワタシ、駄目でした。

しかもその発言が、
大鵬関を記録で抜き去った翌日に”図った様に”出てきちゃったもんだから、
『ああ、この人はもう【日本人で俺に意見できる奴はいない】とでも思っちゃったのかな』
なんて感じてしまいました。

そう思ったら、
今まで自分自身であれだけ大好きで、
尊敬してさえいた白鵬のこと、
スーッと潮が引くように興味がなくなってしまいました。

自分でもかなり不思議な感覚です。


思うところといえば・・・・・。

相撲を見る時、
長い事ワタシにとっては、
日本人だろうが外国人だろうが、
同じ『お相撲さん』という感覚しかありませんでした。

覚悟を決めてこの厳しい世界に入ってきているからには、
日本人だとか外国人だとか、
全く関係なくファンは見ていると思うんですよね。
ワタシも特段『日本人だから頑張れ』とか、
『外国人だから負けろ』なんて思ったこと、
全くありません。
まあ、同郷の力士は応援する拳に力が入りますけれどもね。

日本人だから・・・・外国人だから・・・・・
土俵に上がれば全く関係ないですよ。

それはたくさんの相撲ファンにとっても恐らくそうで、
あの外国人力士のパイオニアと言われる高見山があれほど相撲ファンに愛されたということが、
如実に物語っていると思うんですよね。

小錦、曙、武蔵丸。

ハワイから来た力士は皆、
そのキャラクターで愛されました。
(小錦は同じような”差別”という舌禍事件を起こしましたが)

それは真摯に相撲に取り組んでいるからということとともに、
相撲のしきたりをきちんと守って、
相撲というものに取り組んでいたからだと思います。


反対に、『強ければ何をやっても許される』
と考えていた節があり、
相撲をただの格闘技のひとつとしか見ていなかったであろう朝青龍は、
”ヒール”のレッテルを張られて、
どんなに強くても相撲ファンから愛されて尊敬されることは少なかったと思います。

ただ『強い、弱い』だけではなく、
大相撲の『様式美を見る』『日本の伝統を見る』ためにファンは大相撲を見ているというという観点が、
すっぽりと抜け落ちた『ただ単に強かった奴』でしたね。
尊敬もされませんでした。


日本人力士だとか外国人力士だとかって、
相撲を見るうえでは、
全く関係ないんですよ。ワタシにとっては。

ワタシは日本人の力士だって、
大っ嫌いな力士はいましたよ。結構。
今でも覚えている『大嫌いな力士の筆頭』は双羽黒。
あのくすんだ目つきと取り口が、
嫌いでしたね。
(プロレス界に行っても、彼の”心”が成長することがなかったので、結局は成功できなかったですからね。)

まあ、
昨今の全くふがいない”日本人力士”の現状を見ると、
何とも言えないもどかしい気持ちが沸騰して、
『叱咤激励』という意味合いが強く、
『日本人力士は・・・・モンゴル人力士は・・・・・』
とことさら強調して言われているのだと思いますがね。

モンゴル人力士ばかりだから『日本の国技の危機』なんていう人がいますが、
全く的が外れているとしか言いようがないと思ってしまいます。



しかし今場所を見ていると、
嫌になるぐらいの脆さを見せる”日本人大関”3人については、
『日本人力士の現状』をよく表しているとは思います。
それに対して『1年後にはあっという間にこの3人を抜き去っているだろうな』と思われる”モンゴル人力士”の照ノ富士と逸ノ城。
そのコントラストが、
鮮やかなことは確かです。

照ノ富士と逸ノ城の取り組みは、
久しく忘れていた、
『同じ力の者同士ががっぷり四つに組んで取る大相撲』
の風情があって、
ワタシはとても好きです。

力士にはそれぞれ役割があるというのがワタシの”相撲観”。
立身出世を遂げて横綱・大関まで上り詰めるタイプの力士もいれば、
『記録・地位よりも記憶に残る力士』として土俵にパッと花を咲かせる力士もいます。

鷲羽山、富士桜、麒麟児、逆鉾、寺尾、舞の海、高見盛・・・・・・。

彼らは三役に上がるのも苦労をしていたタイプでしたが、
それでもいまだに彼らのキップのいい相撲っぷりは、
目を閉じると頭にすぐに浮かんできます。


上を目指す体格、素質。。。。
それがある照ノ富士、逸ノ城は、
どんどん強くなっていってほしいものです。

そして千秋楽の結び、
『勝った方が優勝決定』というシチュエーションでの、
東西の横綱としての力相撲を、
見せてほしいと念願しています。

多分もうしばらくすると、
稀勢の里や豪栄道、琴奨菊なんかは、
『昔はこの二人に勝ってたりしたんだよなあ・・・・・』
と懐かしく思い出す…
なんていう時が訪れるんじゃないかな?

おそらく早ければ来場所、名古屋場所ぐらいから、
『現大関』はこの二人の『未来の横綱』に対して、
全く歯が立たなくなると思いますから。

(そして『日本人期待の星』の冠付きで期待されていた遠藤は、大けがで幕下までの陥落が確実視されているようですね。たぶん『力士生命にかかわるような大けが』だと思います。完治しても元のところまで復活するのは、容易ではなさそうです。残念な出来事ですね。)

それがワタシの【大相撲近未来予想図】です。


明らかに力の違う二人が出現した大相撲。
彼らもまた、
たくさんのことを学んで【大相撲を背負って立つ】力士に成長していってほしいと思います。

背負って立つには、
もちろん心・技・体がバランスよく揃っていないとだめですよ。

そしてその2人の出世の『壁』になるべき【現在の大横綱】は、
どうか晩節を汚さぬよう、
”自分の相撲道”を全うしてほしいと思います。

それにしても優勝争い、
盛り上がりませんね。

 


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