SPORTS! SPORTS! 寝てもさめても

16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

平成最終日 スポーツの感動もたくさんありましたなあ。。

2019年04月30日 | スポーツ全般

平成の終了まであと十数時間。

名残惜しくも平成の時代は去り、
新たに令和の時代が始まろうとしています。

思えば平成の時代にも、
本当にたくさんの感動をスポーツから貰いました。

『スポーツのチカラ』
というものを信じてやまないワタシとしては、
新たな時代にも新しい感動がたくさんあるということを、
信じて疑ってはいません。

新たな時代に行く前に平成のスポーツというものを振り返る企画が新聞でも雑誌でもテレビでもてんこ盛りで、
たくさんの感動のシーンがまた目の前で見ることができたというのは、
とても意義深いことだと思っています。

平成のおよそ30年間。
どんなシーンに感動したかということを振り返ってみると、
ま~たくさんありすぎて、
まとめることなどとてもできないだろうなあ・・・・・そんなことを思っています。

そんな平成のスポーツ。
それぞれの人たちが、
それぞれの感動を心に刻み込んでいるんだろうなあ・・・・
そんなことを思いながらちょっと振り返ってみたいと思います。


一番の感動。

とても順番をつけることはできないので、
ランダムに思いつくまま。

昨日テレビで見たのは、
2011年のなでしこジャパンのワールドカップ優勝。

今見ても感動で涙が流れてしまうような、
そんなものすごい試合でした。
澤選手の延長後半での同点ゴール。
今見ても鳥肌が立っちゃうような、
すごいゴールでした。

日本チームがワールドカップを制覇。
そんなことが起こるなんて、
予想だにしませんでした。


そして感動と言えば、
98年の長野五輪、
ジャンプ団体の金メダルですね。

原田の1本目、
前回五輪を思い起こさせるような大失速のあとの、
2本目の特大のジャンプ。

そして「船木いいい~」
と彼が叫びにならない叫びをあげる中、
エース船木が見事なジャンプを決めての大逆転での金メダル。
いまだに思い出に残っています。


サッカーのワールドカップ、
ドーハの悲劇と、歓喜のジョホールバルの戦いも忘れることはできませんね。

ドーハの悲劇は、
「えっ」
という感じで、
しばらく現実感がなかったのをよく覚えています。

呆然とする

という本当の意味を、
体の芯から分かった瞬間だったかもしれません。

そしてその悲劇があったからこそ喜びも何倍にもなった、
ジョホールバルの戦いでした。

翌日コンビニ売り・駅売りのスポーツ紙を買おうと奔走したのに、
どこも売り切れで往生した思い出も、
今となっては懐かしいですね。

サッカーはそれ以降、
現在までワールドカップを外さないというすごい実績を積み重ねて、
まぎれもない強豪への道を突き進んでいます。

サッカーが勃興したのが平成の時代。
そして世界と伍していく令和の時代が、
すぐそこまで来ています。


ラグビーの2015年ワールドカップ、
南アフリカ戦も決して忘れることはできません。

あの試合、
本当にすごかった。

勝つなんてこれっぽっちも思っていなかったワタシ、
試合が開始されて時間が進むにつれて、
『これはすごいぞ・・・・もしかしたら』
という思いが強くなっていきました。

そして最後のシーン。

リーチが残り5m、時間はないというシチュエーションで同点のキックを選択せず、
トライで逆転を狙う選択をしたときには、
本当にゾゾ~ッと鳥肌が立って、
あとはもう、歓声を上げるでもなく、
まさに「息をのんで」ワンプレーワンプレーを見守っていました。

そして訪れた歓喜の瞬間。

もうこれは「一生ものの感動」という以外、
表現のしようがない瞬間でしたね。

令和が始まってすぐ、
その感動をも超えるシーンが、
我々の前に繰り広げられるかもしれません。


野球で言うと、
二つのシーンが忘れられません。

一つはMLB,
野茂投手の大活躍です。

野茂が海を渡ってアメリカにやってきた95年、
MLBは前年からの選手会のストに揺れた年でした。

開幕からいつものようにメジャーリーグは行われず、
「いったいどうなってしまうんだろう」
とファンがやきもきした中で日本からやってきた無口なサムライは、
独特のフォームからキレッキレの速球とフォークで相手打者をまさになで切って、
マウンド上で黄金のように輝く姿を見せてくれました。

幸運にもワタシ、
野茂に関しては、
初勝利を挙げた6月の試合と、
優勝を決めた9月の試合を生観戦できましたので、
本当に感動と誇りの高さに、
いつまでも立ち上がって拍手を止めることができませんでしたね。

初勝利を挙げた試合で、
野茂が勝利の瞬間ベンチの前でラソーダ監督と抱き合った瞬間、
不覚にも涙が出てしまったのを思い出します。

そしてワタシが最もうれしかったのは、
アメリカの長年の野球ファンが野茂に向かって言った言葉。
「あなたがメジャーリーグを救ってくれた」

その言葉を聞いた時もまた、
鳥肌がゾゾ~っと経ってしまいました。

記録やその技術などではイチロー、松井秀喜、ダルビッシュや大谷などに及ばないかもしれない野茂ですが、
あの年のあの輝きは、
誰にもまねできない『野茂だけのもの』です。
まさに「太く短く輝いた」野球人生だったと思います。

ちなみにドジャーズのユニフォームをまたとった背番号16の野茂。
そのでっかいポスターが、
ワタシの部屋の一番目立つところに、
もう20年以上飾ってあります。
野茂はワタシのヒーローなんです。

そして大好きな高校野球では、
忘れられないのは98年、
横浜高校の松坂大輔。

あの年の横浜、
そして松坂は本当にすごかった。

そしてその横浜を倒そうとしたライバル、
特にPL学園のすごさもまた、
ハンパではなかったですね。

PL学園と言えば、
70年代から甲子園に君臨した王者。

83年~85年にはKKコンビで黄金時代を迎え、
その後輩の立浪らを擁した87年には春夏連覇を達成しました。

中村監督は甲子園での勝率が何と9割。
負けるところを見るのが「事件」になるぐらいの絶対王者ぶりを、
20年にもわたって続けたチームですね。

そのPL学園において、
この98年のチームは、
PLの黄金の歴史の中で言うとどんなによく言ったとしても『中の上』ぐらいのチーム。

毎年キラ星のごとくドラ1選手を輩出するチームにあって、
この年のチームの3年生は一人もドラフトでプロに行く選手はおらず(大学を経てプロ入りした選手はいますが)、
珍しく「全員野球」で臨むチームでした。

これまでのPLと違って、
打線爆発で圧勝という試合は少なく、
接戦を勝負強さでものにして・・・・・
という試合が多く、
「PL強し」
という報道はほとんどなされませんでした。

しかし・・・・

松坂を擁し、
絶対的な強さを誇り戦う相手を蹴散らして栄光へまっすぐと進んでいた横浜に対しては、
「PLの怖さとは、こういうところなんだよなあ」
ということを満天下に見せつけるような素晴らしい戦いを展開。

その前年まで、
甲子園では力を持ちながらまずい試合展開で上位に勝ち進めなかった横浜高校。

それを払しょくするような「超絶な戦力」で甲子園へ乗り込んできた横浜と、
戦力は劣るものの甲子園での圧倒的な勝負強さを前面に押し出して戦うPL。

この両者による【激闘数え歌】は、
本当に甲子園の歴史に深く刻み込まれるような素晴らしい戦いを、
春も夏も繰り広げてくれました。

春の選抜、
PLはこの大会で引退となる稀代の名将・中村監督の最後を飾ろうと、
圧倒的に有利とされた巨大戦力の横浜に、
牙をむいて襲い掛かりました。

8回までは完全にPLペースの試合。

しかし『勝負弱かった』はずの横浜がここからまさかのまくりを展開。
『終盤の大逆転勝ち』というPLのお株を奪うような逆襲でPLを破り、
甲子園での両校の立場を逆転させたのでした。

そして両校は夏の甲子園でも準々決勝で激突。
県大会から「投げては松坂が150キロ超の速球とスライダーで相手を寄せ付けず、打ってはあっという間に相手を葬り去る」
春からグレードアップした横浜高校の超絶ぶりはものすごく、
苦戦をしながらなんとか勝ち上がってきたPLとは大きな差があるのではと予想されていました。

しかし、
この試合も、
横浜を相手にしたPLの打線の集中力はすごかった。

序盤から「あの松坂」を打線が攻略して主導権を握り、
『俺たちはPLだ!』
という矜持を、
大甲子園で全国に見せつけてくれました。

そしてその後横浜が追いかける展開になり、
「狐とタヌキのバカ試合」ではありませんが、
両校の虚々実々の駆け引きも相まって、
実に高度な『これが高校野球のレベルなの?』とみている人だれもが思うほどの、
すごいハイレベルの戦いとなりました。

結果はご承知の通り、
延長17回という激闘の末、
横浜が伏兵・常盤の決勝2ランで9-7と宿敵・PLを何とか振り切って、
準決勝への進出を決めたのでした。

松坂は前半打たれたものの、
疲れの出る延長に入ってから、
サヨナラの危機をいつも背中に感じながら、
PLの裏の攻撃を完ぺきな投球で抑え切っていました。

その松坂の延長の投球、
本当に素晴らしく彼の『本当のチカラ』を見た思いがしていました。

しかし延長12回、16回に横浜が1点をリードすると、
PLの打線がそれまで全然打てなかった松坂に対して、
執念で牙をむき2度にわたって2アウトから追いつくという離れ業を演じてくれました。

あの時のPL。

これが長く王者に君臨してきたPLの真骨頂だ、
本当に【本物のPLのすごさ】を見たという感じがして、
震えました。
凄かった!

延長18回に決着した79年の箕島―星稜戦。
そしてこの延長17回決着の横浜―PL戦。

この2試合は本当に、
高校野球の歴史に燦然と輝く「ものすごい大激闘」ですね。

延長でタイブレークが採用された現代にあっては、
この2試合に匹敵する激闘は、
今後現れるはずもありません。


そして松坂の横浜のストーリーは、
これで完結を迎えなかったことが凄かったですね。

翌日先発を回避した松坂に対し、
絶好調の明徳義塾の打線が襲い掛かり8回まで6-0と大量リード。

しかし敗色濃厚の横浜は8回に執念の大反撃を開始。
4点を返した9回表、
そこには腕のバンテージをびりびりと破り捨ててマウンドに上がる松坂の姿が。

その瞬間の甲子園のどよめきと大歓声もまた、
甲子園の名シーンの一つに数えられますね。

完全に球場の魔物を味方につけた横浜。
9回裏は先頭打者が初球をたたき塁に出ると、
まさかのセーフティーバント、そして送りバントのFCであっという間にノーアウト満塁。

電光石火の満塁劇。
『これが横浜だ!』
というすごいプレッシャーを明徳にかける、
息をもつかせぬ速攻でした。

そしてこの瞬間にもう、
『甲子園の魔物』というのがどれだけ恐ろしいのか、
観客の一人としても、
身にしみてわかった気がしました。

あとはもう、
横浜の大逆転勝ちのシナリオが遂行されるだけという、
「見事な劇画調感動ストーリー」
の出来上がりでした。

難敵中の難敵である明徳をも振り切って決勝に進出した横浜高校。
しかし、
それだけでも感動におなか一杯になっている全国のファンに、
松坂大輔という男は「極上のデザート」まで用意してくれていました。
それが決勝の京都成章戦でのノーヒットノーランです。

『そんなこと、あるわけがない』

というようなストーリーを、
松坂自身が原作・脚本・演出・主演までこなして完結してくれるんですから、
これはもう、何をかいわんやの結末でした。

そして1998年の夏の甲子園は、
伝説の大会となったのでした。

この大会ももう、
長嶋監督言うところの『国民的行事』となった大会となりました。

こんな大会、
たぶん「空前絶後」と言ってもいいでしょうね。

その後2006年にあの斎藤佑樹とマー君こと田中将大の投げ合いなどがありましたが、
それでもあの98年の大会には、
印象として大きく及ばないとワタシは思ってしまうのです。

色々な感動の大会やシーンは数多くあれど、
やっぱりワタシにとって98年の大会、
そして横浜高校と松坂大輔のその名前は、
「史上最高の」の冠をつけて、
永遠に刻まれました。


ということで、
最後はやっぱり、
高校野球を語って、
平成のスポーツの締めにしたいと思います。

やっぱり『高校野球オヤジ』ですしね。

ということで、
平成という時代に深く感謝して、
明日からの令和の時代に備えたいと思っています。


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