16年も前のお話、
まだ子供が3歳ごろだったが、あの頃に夫がなんだか怪しい様子だった。
そう、浮気をしていたのだ。毎晩、夜遅く帰ってきて深夜3時なんて日もあったっけ。
そうそう、わりと直感がさえている私は、ピーン!ときてしまうのです。
だけども、聞き出すこともできず「モヤモヤ」
自分の性格を思うと、先の見通しがはっきりしないことにとても不安を覚えるし、
そんな不安を抱える日々を送りながら、まだやんちゃな子供を育てるのに必死でした。
今思い出すだけで、何か苦しい思いがこみあげるほどでした。
10か月ほども不安を抱えていたでしょうか、ついに私の精神に支障をきたすこととなったんです。
突然の不眠症状として現れました。
いままで、どんなに怒っていてもどんな状況でも関係なく、電池を切るかの如く眠り上手だった私。
それが、突如として眠れないなんて、もう不安でいっぱいだった。
小さな子供を抱えていて、昼寝もできやしないし、すがるように心療内科を訪れることとなったのです。
軽い安定剤と睡眠薬をもらい、しばらくぶりにぐっすり眠った。
しかし、そこから恐怖との戦いだった。
夜になるころになぜかソワソワして、落ち着かなかった。
薬をもらったけれど、大丈夫だろうか?
いつ頃治るのだろうか?
そんな、新たな不安が押し寄せ、もう最初に抱えていた不安を超えていた。
それから、10か月ほどよくわからない戦いが内側にあったように思う。
いつからか、そのこだわりや不安も薄らいでいった。
けれど、今もあの頃のことを鮮明に思い出すことができずにいる。
人は、本当に苦しかったことを忘れようとする生き物なのかもしれない。
嫌な記憶、つらい記憶はなかったことにできたらいいのにね。
でも、その記憶こそ曖昧だが、その時感じた感情は心の奥のほうにしっかりと刻み込まれていたのでした。
そして、このタイミングでそれが呼び覚まされたのでした。
なんだか不思議だけれど、マイナスエネルギーをため込むと病気になって現れ、それを治そうと
必死になるとまた次のよくないことが起こる。
ちょうど、実家の母が骨折し入院したり、難聴の薬の影響から胸にしこりができ、悪い物ではなかったけれど、
過剰に心配をしてしまった。
それらのことが、すべて重なって不眠症状とそれに対する不安を連れてきてしまったのかもしれない。
いいときは、次々といいことが起こるように、
私たちの人生は陰陽でできていて、本当にバラ色みたいな日々もあったけど、
知らず知らずのうちに陽が極まって陰になっていたのでしょう。
けれど、いいことばかりの人生はないし、悪いことばかりがそう続くものでもない。
それが私が40年以上生きてきたなんとなくの人生の法則であり実感だ。
必要なことは、どんな時も一筋の光を見出していくこと。
それに向かっていくイメージと今できること、にフォーカスし受け入れていくことなのかもしれない。
あらゆるものを手放し、なるようになると腹をくくる覚悟をどんなときも持っていたい。
まだまだ未熟だけれど、ヨガで学んだ瞑想をとりいれたり、
深い呼吸(腹式呼吸)を意識的にしてみたり、ため息をはくのも悪くない。
あとは、どんなにつらくても笑うこと!!
これが、何よりも薬となるし、こういうときこそ自分の内側を見つめながら真摯に今を生きたい。
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