ありのまま日記

第142回目 神は罰を与えるのか?

先日ある方がこんなことを言っていました。

因果応報って、罰が当たるってことだよね…と

この方の思考ベースには、常に責任転嫁が付きまとっていまして、物事の受け取り方も三次元的であります。

三次元の世界では被害者意識はお金儲けができるので、被害者意識が暮らしの基本になっています。それは、ある意味生き方上手だと褒められるようですが、最近の地球エネルギー上昇によるネガティブスパイラルが激しく、今だシフトできない自分の取り扱いに苦慮しているようです。

罰が当たるという表現のベースには神仏=純粋なる宇宙エネルギーと自分とは大きな隔たりがあり、エネルギーの分離状態を意味しています。

因果応報とは自分の行いがそのまま返ってくるという宇宙の法則であって、良い行いも悪い行いも返ってくるのが因果応報です。

一方、罰が当たるとは悪いことをしたから神がその戒めを与えたという発想からきています。

罰という言葉そのものが、良い行いをも含んでいませんね。だから三次元的だというのです。

また『罰が当たる』神が罰をあてるというのは神を冒涜している表現ではないでしょうか

自分の煩悩による行いの結果が辛く苦しいものなので、神に責任転嫁しているだけですね。自分の思いや行いの結果だと認めたくないのです。

他に悪いことが起こっても『罰が当たったんだ』と思っている証拠でもあります。

純粋なる宇宙エネルギーは私たちをあるがまま生かし続けている力そのものであり、善悪の判断をしません。

善悪の判断もしないその大愛が、なぜ私たちに罰を与えることができるのでしょうか?

宇宙は壮大なる自己責任の世界です。

それにしても、自己責任を取るということは、とても難しいことのようですね。

悪いことが起きても、それを自分の思いと行いの結果として受け取ることが難しい。常に他人のせいにする。

生前自分が設定したこと以外のことは絶対に起こらないというのに。

認識が可能な意識を持っていながらも自己責任の意味が分からないのは、遺伝子の劣化以外考えられないことですね。

人の遺伝子はやはり長い年月をかけて劣化してきているのでしょう。

自己責任を取るという意味が分かる方の遺伝子は、極めて稀で正常ということです。

唯一の救いは、遺伝子劣化した魂も今回のアセンションでは救済されることになっていることです。

本当に神の愛は大きいです。

神が罰を与えるなんて、人をコントロールし戒めるための悪魔的発想なのです。

 

 


自由と平和への解放を

 

 

在るがままで

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