今日は神菜さんの撮影であった。
神菜さんとはcosmintの撮影会で知り合ったのであるが、その時に僕の写真をちょいと見てもらったところ、非常に気に入ってもらい、僕からのお誘いも快く承諾して頂き、今回の撮影となったわけである。
こういった出会いと展開とで撮影を撮影をさせてもらうというのは、とても嬉しい。
さて、夜中のうちにcosmint撮影会のプリントを仕上げ、
ちょいと睡眠をとり、待ち合わせ場所へと向かった。
今日の神菜さんの服装は非常に僕のつぼにはまった。
黒と、ビビッドな赤と。いいねぇ。
渡したプリントは大変よろこんでもらえた。
撮影をしつつ、球体間接人形が大好きということで、持参したベルメールの写真集を見てもらった。あの写真集を最後まで面白がって見てくれる女の子は大変少ない。生きたまま死に続け、そして、死んだまま生き続ける、といった観点で作られた人形の写真は、大抵の人間に対して嫌悪感を覚えさせる。その嫌悪感は何故発生するか?という点について考えてみると非常に面白いのだけど。
今日の撮影で色々撮ってみて、技術的、そして機材に関して言えば、スポット測光のできるカメラが、FEロックの出来るカメラが、そして全域で明るいズームレンズが欲しくなった。そんな金ないよ。
しかし、今日は素敵な写真が撮れた。
神菜さんありがとう。
帰りに渋谷に寄ってみたのだが、路上で売られていた写真が目に止まった。
写真作家たつろうさんの作品である。
http://www.geocities.jp/tatsurophoto/
その、写真と言葉とが織りなす空間、感覚、感情が、今の僕の心にぐさりと突き刺さったのだった。
潔く格好良く生きていきたいものだ。
そして、写真と言葉との相乗効果によって発生するメッセージ性を思い知らされた。
彼には言いたいことがあり、伝えたいことがある。
僕にはそんなものはない。
悲しくなった。