カメラマン気分

カメラマン気分

ピースサイン

2004-08-12 14:06:15 | Weblog
イベントにおけるレイヤーさんの、
通りかかった友達へのピースサインは、
カメコの列切りをお願いするサインではないか?

それにしても、
コスプレイベントでの撮影にはどうしても違和感を感じる。

そもそも本来、コスプレイベントというのはコスプレをするためのイベントであって、コスプレの撮影をするためのイベントではない。
しかし、例えばカメコを追い出して純粋なコスプレイベントにしようとしても、コスプレイベントは絶対に成り立たないとも思う。
それは、金銭的な面においてだ。
コスプレ参加4000円でも成り立たないであろう。
コスプレイベント主催なんて実はまったくもって儲からない役回りであり、コスプレイベント開催には皆が思っているよりも遙かに金がかかるものなのだ。

レイヤーさんと、その前に出来たカメコの列、そしてその間の関係性といったものが、もっと巨視的な視点によって見いだせる関係性の象徴的な縮図、あるいはマンデルブロート集合のように思えてならない。



なんだ、やっぱり自然じゃないか。
そんなことを思う休日のカメコなのであった。

保護という行動について

2004-08-12 01:47:57 | Weblog
「今日はどこどこで何々を保護してきたよ」

別に迷子の子供を保護したわけではない。
ここでいう保護という行動は大抵秋葉原において実行にうつされる。
保護される対象は同人誌であったり、中古の掘り出しゲームであったり、あるいは限定の心惹かれる何かであったりする。

この文章を書いている僕の視界の片隅には、
以前に秋葉原のT-ZONEで保護してきたPC-FXボードの箱が認められる。
パソコン通信の掲示板でその情報を知り、
急いで秋葉原へと向かって保護したのである。
ワゴンに箱が山のように積まれ、その値段は2000円という大変な破格であった。

家に帰って愛機のPC98というパソコンに差して起動してみたはいいが、
面白いゲームは付属品のさめがめくらいのものであった。
メッセサンオーにてついでに保護してきた
PC-FXのマスコットキャラクターであるロルフィー何とかちゃんとやらが登場するそのディスクマガジン的なソフトに収められていたコンテンツはなんか見習い女神みたいなのが主人公でどじをやらかして三人の先輩女神に怒られたりするアニメに関する物だった。
あれ、なんていったっけ?女神ほにゃらら天国?

とにかく画質はプレステ1よりもひどく、
スプライト性能はスーパーファミコン並のように思えた。
これまたNECはとんでもない糞ゲーム機を市場に投入して戦いに挑んだものだ、と僕はただただ驚愕するばかりであった。

そんな何年も前のある日の出来事をちょっと思い出しつつ、
僕はウィスキーを飲んだ。

でも、僕はこういったPC-FXとかメガCDとか、
そういったどうしようもないデバイスが好きだ。
所持しているゲーム機で一番新しいのはドリキャス、
それも発売当日に買った物だ。
箱には湯川専務の顔写真がでかでかと印刷されている。
そろそろ現世代機を買おうと思っている。
もちろん選択肢はX-BOX以外にありえない。
中古でHaloを買ってきて、思う存分遊ぶのだ。

近代文明は、人間の、死に対する恐怖によって支えられている

2004-08-12 01:27:43 | Weblog
そもそも、死というやつはまったくもって不可解な現象だ。
物事を理解するためには頭脳でもって
その対象について考えなければならないのであるが、
死というやつは頭脳そのものが死んでしまう、
機能を停止してしまう。

そういったこともあって、
死という現象については解明がなされていないと考える。
もちろん肉体的には解明されているが、
精神的にはまったく解明されていないのではないか?

人間は分からないものに対して恐怖を感覚する。
もしくは見えない物に対して。
それ例えば宇宙人であり、例えば亡霊である。

人は死が怖いからこそ、生きるために必死になる。
(あるいは、必死になるようにプログラミングされている可能性もあるが。)

しかし、例えば、死といった現象に関して完全に解明がなされ、
死ぬことが、朝食のトーストをかじることと等価になってしまえば、
人は死をまったく恐れなくなるであろう。
その時、近代文明は崩壊する。

星新一の作品で、
とある科学者が霊界の人間と通話することのできる装置を発明する、
という内容の話があった。
世界中の人々がその装置を用いて霊界の妻、夫、子供、親、
そういった人々と会話をし、
「まったく霊界というところは快適だ。
今まであんなに苦労して生きていたのが馬鹿みたいだ。」
という話を聞き、
全人類が自殺をしてしまい、、、、
といった話である。

村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」に出てくる「壁に囲まれた街」は、
まるで死語の世界のように感じられた。
そこには何もかもがあって、何もかもがない。
そして、とある人の死は周りの人間にとっては一瞬の出来事であるが、
その本人にとっては、
死という瞬間が頭脳のフィードバック回路によって永遠の時間へと分解され続け、
その中で永遠の楽園、もしくは苦痛を感覚し続けるのではないか?
そこにこそ街が、天国が、そして地獄があるはずだ。



ウィスキーをやりながら、そんな妄想をしている。