いきなりのメール失礼致します。どうも初めまして。なぎさと呼んでください。結婚して4年、目下26歳です。受付やってたんですが、何故か26歳年上の社長に目をつけられて結婚しました。でも、えーとですね、主人の年齢が年齢なので私、セックス面でとても満たされない日々を送っています。。もとから人並み以上にエッチが好きってのもあるんですけど、いますっごくしたくてしょうがないんです。。どうしても我慢ができなくて、ネットで相手を探していたところ、近い場所に住んでるらしい貴方を見つけてこうしてメールしている次第です。主婦という立場上、秘密厳守での関係を持ちたいと思っているのですが、そちらとしては何か希望する条件はありますか?私、仕事はしてないんですが、お金とか全然平気です
http://www.sony.jp/products/Consumer/dvdrecorder/
ヨドバシに寄った際にちょいとDVDレコーダーが気になって、
売り場に足を運んでみた。
なんと、これらの製品はいつの間にこんなに求めやすくなっていたのだろうか!
僕が以前から欲しいなぁと思っていた製品が5万円台だ。
それはソニーのスゴ録という製品で、
例えば写真というキーワードを設定しておくと、
コンピューターが自動的に判断して、
写真に関する番組を自動録画しておいてくれるのだ。
後は帰ってきて録画されている番組の中から、
見たい番組を選択するだけで見れる。
これはあたかもテレビ番組にgoogle検索をかけるかのようだ。
気に入った番組は本体からDVDにダビングして保存することも出来る。
うーん、5万円かぁ、、、。
ヨドバシに寄った際にちょいとDVDレコーダーが気になって、
売り場に足を運んでみた。
なんと、これらの製品はいつの間にこんなに求めやすくなっていたのだろうか!
僕が以前から欲しいなぁと思っていた製品が5万円台だ。
それはソニーのスゴ録という製品で、
例えば写真というキーワードを設定しておくと、
コンピューターが自動的に判断して、
写真に関する番組を自動録画しておいてくれるのだ。
後は帰ってきて録画されている番組の中から、
見たい番組を選択するだけで見れる。
これはあたかもテレビ番組にgoogle検索をかけるかのようだ。
気に入った番組は本体からDVDにダビングして保存することも出来る。
うーん、5万円かぁ、、、。
今日は銀座をぶらついてきた。
愛用のカメラに36枚撮りのフィルムを詰め込んで、
目に付いた物をパシャパシャと撮りながら、
写真展を覗いたり、
アップルショップに入ってみたり、
紅茶を飲んだり。
さて、写真展の作品には大抵タイトルが付いているけれど、
どうしてなのだろう?
写真を見た後にタイトルを見ると、違和感を感じてしまうことが多々ある。
また、写真は写真だけで語らせるべきである、
ということを言う人もいるけれど、
はたしてそうなのだろうか?
現時点での僕の考えとしては、
写真にタイトルなんて無くても良いのでは?と思う。
写真にタイトルを付けることによって、
写真には強烈な意味性が付加される。
例えば空の写真を撮って、
タイトルを付けなければ唯の空であるし、
「愛犬が死んだ」
なんてタイトルを付けてみると、
強烈な印象を持ってしまう。
それが真実であれ、虚偽であれ。
じゃあタイトルを付けなければそこに真実が写るか?というと、
そうとも限らないのではないか。
フレーミングという行為を意図的に行うことによって、
そこには在る意味、編集が施され、
その虚偽の映像をあたかも真実であるかのように見せてしまう。
そう考えていくと、
タイトルを付けても付けなくてもそこには撮影者の意図が少なからず混入し、写真という物には真実性はなく、そこには切り取られ編集された現実のみが写る、と言うことになるのかも知れない。
うーん、よく分からなくなってきたぞ。
でもとにかく今の僕にとっては写真を撮ることがひたすら楽しく、
そして写真にタイトルを付けることがとにかく嫌だ。
僕の視点をそれのみで他人に見てもらうだけでいいじゃないか。
愛用のカメラに36枚撮りのフィルムを詰め込んで、
目に付いた物をパシャパシャと撮りながら、
写真展を覗いたり、
アップルショップに入ってみたり、
紅茶を飲んだり。
さて、写真展の作品には大抵タイトルが付いているけれど、
どうしてなのだろう?
写真を見た後にタイトルを見ると、違和感を感じてしまうことが多々ある。
また、写真は写真だけで語らせるべきである、
ということを言う人もいるけれど、
はたしてそうなのだろうか?
現時点での僕の考えとしては、
写真にタイトルなんて無くても良いのでは?と思う。
写真にタイトルを付けることによって、
写真には強烈な意味性が付加される。
例えば空の写真を撮って、
タイトルを付けなければ唯の空であるし、
「愛犬が死んだ」
なんてタイトルを付けてみると、
強烈な印象を持ってしまう。
それが真実であれ、虚偽であれ。
じゃあタイトルを付けなければそこに真実が写るか?というと、
そうとも限らないのではないか。
フレーミングという行為を意図的に行うことによって、
そこには在る意味、編集が施され、
その虚偽の映像をあたかも真実であるかのように見せてしまう。
そう考えていくと、
タイトルを付けても付けなくてもそこには撮影者の意図が少なからず混入し、写真という物には真実性はなく、そこには切り取られ編集された現実のみが写る、と言うことになるのかも知れない。
うーん、よく分からなくなってきたぞ。
でもとにかく今の僕にとっては写真を撮ることがひたすら楽しく、
そして写真にタイトルを付けることがとにかく嫌だ。
僕の視点をそれのみで他人に見てもらうだけでいいじゃないか。