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おおむねごはんばかり。

ブロードキャスト

2010年09月19日 | おもいつき
 幻想の一歩手前で踏み止まる。君は細くて長い舌をだらしなく垂らして、私の薬を欲しがる、素っ裸の四つん這いで。犬のような生活だと、誰かに言わせたいのだろう、薬のためであればどのような醜態でも見事にこなしてみせるだとか、殊勝な心掛けで。私も君も、この薬とやらが角砂糖だと至極単純に理解して遊び呆けている。想像力とはどうやら、本当に果ての無いものであるらしい。

 物語に私を組み込もうとして、頻りに名前を知りたがる。私はいつでも嘘の名前を用意している。お望みの語彙と音韻とで、アナタ好みの名札を付けてみせようじゃないか。今日はどうやらワインの銘柄に執着したいようで、アルコールを嗜まない私を困らせたいらしい。どのような名前でも良いじゃないか。私は適当なカタカナ言葉で銘柄を取り繕う。グアテマラのワインで、日本には輸入されていないが、世界的には良く知られているんだとか、そのような遊びで。

 サクマ式ドロップをひどく乾いたアスファルトの上に吐き出して、蟻の行列ができるのを待つのだそうだ。飴に着いた君の唾液は陽光に熱せられて沸騰こそしないだろうが、見事な蒸発を見せて、ささやかな残余の成分が、蟻の子の気を違えてしまうかもしれない。あのような行為の果て、君の舐めたモノを思い出してごらん。

 怒りと憤りに任せて、貴方は私をかつての誰かと比べようとしている。その誰かが、私の知っている誰かなのか、私は詮索しようとして余計に貴方を焦らせてしまう。愛している筈なのに、理解の範疇から食み出してしまう私を、貴方はきっと恐れている。愛しているから、判りあえるだなんて、私にもそのように思っていた頃はあったけれど、判らないから判りあおうとするスタンスを優しさで彩り、自分の焦燥をなだめすかす技巧に長けた方が精神衛生上、芳しい行程と結果を生み出すって知恵を、いつの間にか身に着けていた。紫陽花のブーケ。それは紫陽花のブーケのイメージで、私の右胸に安全ピンで付けられている。落として失くした筈の、小さなイヤリングの更に小さな良心の欠片は、きっとその花弁の何処かに隠れている。
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