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おおむねごはんばかり。

アナタと二人、同じ匂いで。

2011年02月02日 | おもいつき
 すれ違うアナタの匂いはきっと夕陽の輝きと潮風のような質感を持って私の髪の毛や衣服、素肌を波立たせていることでしょう。このトキメキや胸の鼓動は本物だと思っていたいのです。
 始業のブザーがなります。とても味気ない音色ですが、感情によって彩られています。今日もアナタが後ろにいます。後ろに座って仕事をしています。電話をかけたり受けたりしています。なんて素敵な声なんでしょう。事務チェアの軋む音さえも私にはチェロとかバイオリンの音色に感じられて仕方がありません。私の椅子はアナタのように素晴らしい旋律を奏でてはくれません。
 そうです。私はアナタに弾かれたいのです。
 顎の、首筋の、腰のラインには自信があります。お尻と脚は少しだけ残念です。いいえ、少しでは無いかもしれません。だから毎日アナタを想いながらウォーキングしています。アナタ成分が不足している時は、ゾンビみたいになっていますが、大体はスキップに換わります。二人で並んでのスキップです。妄想です。妄想なので維持が大変なんです。素に戻ると心がバブルスライムになります。でも、目の上あたりにパチパチと毒素がはじけています。恋は病です。本当に病です。
 アナタのことを初めて知って、初めて判らなくなった日のことを憶えています。この会社に入社した日のことです。だから、今くらいの時間になりますね。さっきのブザーが恋心のスタートでした。なんて便利なブザーなんでしょう。
 アナタの匂いに釘付けになりました。頭の中が一挙に真っ白になりました。身体から全ての力がすぅっと、引き波のように抜けて行ったあの瞬間の感触を生理レベルで憶えています。アナタの匂いは七色に輝いて、恋愛に疎い私の意識を弾き飛ばしました。
 肉食系といった便利な言葉を私はアナタの匂いに贈りたいのです。
 その日の退社後、私は急いでガスマスクを探しました。デパートでは取り扱ってませんでした。当然ですよね、戦時中じゃありませんから。けれども私にとってはもう、開戦直後の大混乱だったんです。頭の中でわけのわからない暗号文がいくつもいくつもいくつもいくつも飛び交っていました。全てが解読不能です。不能ですが、それが何であるのかは何となくわかっていました。恋です。恋です。恋以外の何ものでもありません。
 最近のネットはとても便利です。ちょっと検索するだけでたいていのものが調べられたり、手に入れられたりします。でも、でもです。シンプルに「ガスマスク 通販」と打ち込めばいいのに、恋に侵された私はその前にアナタの名前を打って調べてしまいました。アナタと私の色んな相性を占いで調べてみたりもしてしまいました。珍しい苗字のアナタは、アナタ一人しかいないようでした。悪い相性の出た占いは無視しちゃいました。いい結果しか私は信じません。信じてなんてやるもんですかの勢いが恋心を物語っていました。
 それにしてもガスマスク、ああ、ガスマスクってなんで可愛いデザインのものが無いのでしょうか。本当に無骨なデザインばかり。胸の大きな女友達が言ってました。「胸が大きいと可愛いデザインのブラが少なくて苦労するんだよ」と。ちょっとムカついて聴いていましたが、今ならあの娘の気持ちがわかります。彼と近付きたい、彼を引き寄せたいって思う女心を踏みにじる無骨なデザインばかりを見続けていると心が荒んできますよね。
 てめえ、○○社、ふざけんじゃねーって叫んでしまいたくもなりますよね。
 仕方が無いので私は自分でガスマスクを彩色することにしました。デコレーションすることにしました。ベースは薄いピンクで、後はデコレーションシール何かで飾りつけることにしました。あのー、あれですよね。その時、やってしまってから気付いたんですが、目のところまでシールを貼っちゃうと前が見えなくなってしまいますよね。
 でも、恋は盲目だからって思いました。反省とか情けなさは、剥がすのに苦労し始めたあたりでやっとやってきました。結局は買い直しました。買い直して「アナタすぺしゃる」にしました。名前です。このゴーグルの名前は「アナタすぺしゃる」です。
 ここまでして、ここまでして私はアナタにアピールしているのに、アナタは気付いてくれません。ガスマスクをアナタの好きなマンガのデザインにだんだんと似せるように改良を施してますが、それがお気に召されないのでしょうか?グラップラー刃牙っぽくなってますが、刃牙っぽくしてるんですよ。最初のベースもシールももはや過去の遺物です。鬼の顔をつけるのには一晩かけました。駄目ですか?もしかして散眼っぽくしなくちゃいけませんか?愚地独歩がお好きなんですか?
 「ガスマス子」って陰で呼ばれているのは知っています。アナタへの気持ちを誰にも教えていないのでしょうがありません。でもでも、アナタまでその名で呼んでいると知った時はちょっとへこみました。でも、ちょっと嬉しくもありました。アナタが私を嘲笑であってもほんの少し特別視してくれているとわかったんですから。全てはここからだと思いました。
 恋も憎しみも同じ感情の表と裏なのですから。無関心じゃないってわかっただけで、希望が湧いてきました。全てはここから、ここからの私の頑張りにかかっているんだと、私も草食系を突き抜けて肉食への道を歩むことに決めました。
 だからガスマスクの口の部分を改造して携帯電話の受話部分をすっぽりその中に隙間なくしまい込めるようにしたんです。これでアナタとお話ができます。アナタと心置きなくおしゃべりができます。あとは、どうやって電話番号を教えるかでした。教えて、かけてきて欲しいとまで伝えなければなりませんでした。これは私には難しい問題でした。だって、私は「ガスマス子」ですもの。もしかしたら、その行為で完全に嫌われてしまうかもしれません。それだけは避けなければなりません。
 任務は誰にも悟られぬよう、アナタだけにそれとなく、耳障り良く伝わるようにしなければなりません。私は私のそれまでに培ってきたファッションを捨てました。これだけはと避け続けてきたロングブーツを履くことにしました。出来るだけ履き続けることにしました。欧米風に部屋の中でも土足で過ごすことにしました。眠る時もです。眠る時は心持ち熟成を早めるよう、湯たんぽで細菌の活性化を促しました。子守唄さえ歌ってきかせる夜もありました。
 この匂いによって、私はまず、アナタと同類、同志であると伝えたかったのです。猛烈な腋臭については、腋パットをどうにかアナタの腋に擦り付けて原因菌の移植をと企んだのですが、アナタはその隙を与えてはくれません。
 てか、くれよ。擦り付けさせてくれよ。私にアナタの原因菌を分けなさい。素敵なアナタの可愛い原因菌を私に育てさせてちょうだい。そして、一緒に愛を育ませてちょうだい。
 アナタと二人、同じ匂いで。


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