朝日新聞の夕刊をめくっていたら、漫画がデーンと掲載されていた
雑誌「モーニング」とのコラボ企画。
もちろん全面広告。←記事ではない。
『天才 柳沢教授 孫・華子との生活』。
今年になって始まった企画で、今回は第2話。
お題は『日記帳』
幼稚園児の華子ちゃんは元旦に毎日日記を付けると決めたのに続かない。
祖父から様子を尋ねられ、苦し紛れに新聞記事を書き写そうとするが~
柳沢教授(祖父)の日記が奥深い。
「面白い。
たとえ空白だらけであろうとも、嘘を書いていても、新聞のまる写しでも、
10年後50年後に見て面白いのが、日記である。
何故なら、それが、そのときの“自分”そのものだからである。」
また、日記をつける意味についても、
「毎日、日記をつけることは
記憶を残すだけでなく、過去の自分自身から学び、
未来の自分を再構築する上でも役立ちます」
な、なるほど~。
目からウロコが落ちた。
てゆーか、今せっせと毎日blog書き続けているのも、
「後から読んだ時に役立つ」事を私自身が一番理解しているからなのだ。
と、改めて気がつかされた。
ちなみに、私も昔は日記をマメに付けていた。
一度も読み返した事がないが、20冊はあるだろうか。
(実家の押し入れの奥に隠してある)
不思議なもので、順調な時ほどあまり書かず、つらい時ほど長文を書いていた。
その傾向はblogになっても同じ、か
師走もつらくて、予防線のごとく「休むかも」と書きながら続けた。
コメントで「読む方もつらくなるから、休んだら」も書かれた。
でも、それは余計なお世話だ。(と感じた時期もあった)
blogの読者さんは毎日読んで、私の人となりを理解してるつもりかもしれぬ。
しかし、小説のキャラクターじゃないんだから、そんな都合よくはいかないョ。
また、ヘンに期待されても困る。
雑誌の連載コラムではないし、私のキャラを“売り”にもしてない。
商用の文章ではないのだ。
「稽古場での茶道だけではなく、生活を通じての付き合いを模索したい」
と思って始めたこのblog。
きっと同じようなことを考えている人たちは他にもいるはずで、
参考にしてもらったり、逆に参考になるヒントをもらえたら
と思って、コメント欄は設置している。
ほかに世界に散らばるリアルな友人知人への近況報告の意味もあった。
時を重ねるに連れ、閲覧数が増えて、戸惑うこともある。
書いている側は最初のスタンスを通しているつもりなんだけど、
コメント欄に返信書くのが、かなり負担に感じている。
実際にそこそこ親しい友人は安心して返信できる。
一回しか会ってない、また何処の誰かも知らぬ相手に対しては。
読んでますよ、はじめましての挨拶くらいならいいんだけど、
頻繁になると、「相手が見えない」不安が大きくなってくる。
blogやツイッターやってたら、立場が“対等”だから大丈夫なんだけど、
そうでないと一方的すぎて、なんか返信するのに苦痛を感じてしまうのだ。
少しでも省エネしようと模索する中では、書くのと推敲・修正で手一杯
コメントに対応する余裕がまったくなし。
もちろん、書きたい方もいらっしゃることもわかるし、書く分には構わない。
コメントは全て目を通してもいる。
だけど、いただいたコメントに対する返信は、今後は御勘弁いただきたい
その日の気分で返信することもあるかもしれないけで、
原則は控えることにさせていただきたい。
あしからず御了承のほどを。
それから
内容に関して、認識違いや勘違いはあることもあろうが、
行動に関しては嘘は書いてないし、感じたことは正直に書いている
予め書き溜めて、順序投稿することはよくある
それも含め、コメント返せない自分も引っくるめ、
これが“そのときの自分”だと、後から思うのだろうなぁ。
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もちろん全面広告。←記事ではない。
『天才 柳沢教授 孫・華子との生活』。
今年になって始まった企画で、今回は第2話。
お題は『日記帳』
幼稚園児の華子ちゃんは元旦に毎日日記を付けると決めたのに続かない。
祖父から様子を尋ねられ、苦し紛れに新聞記事を書き写そうとするが~
柳沢教授(祖父)の日記が奥深い。
「面白い。
たとえ空白だらけであろうとも、嘘を書いていても、新聞のまる写しでも、
10年後50年後に見て面白いのが、日記である。
何故なら、それが、そのときの“自分”そのものだからである。」
また、日記をつける意味についても、
「毎日、日記をつけることは
記憶を残すだけでなく、過去の自分自身から学び、
未来の自分を再構築する上でも役立ちます」
な、なるほど~。
目からウロコが落ちた。
てゆーか、今せっせと毎日blog書き続けているのも、
「後から読んだ時に役立つ」事を私自身が一番理解しているからなのだ。
と、改めて気がつかされた。
ちなみに、私も昔は日記をマメに付けていた。
一度も読み返した事がないが、20冊はあるだろうか。
(実家の押し入れの奥に隠してある)
不思議なもので、順調な時ほどあまり書かず、つらい時ほど長文を書いていた。
その傾向はblogになっても同じ、か
師走もつらくて、予防線のごとく「休むかも」と書きながら続けた。
コメントで「読む方もつらくなるから、休んだら」も書かれた。
でも、それは余計なお世話だ。(と感じた時期もあった)
blogの読者さんは毎日読んで、私の人となりを理解してるつもりかもしれぬ。
しかし、小説のキャラクターじゃないんだから、そんな都合よくはいかないョ。
また、ヘンに期待されても困る。
雑誌の連載コラムではないし、私のキャラを“売り”にもしてない。
商用の文章ではないのだ。
「稽古場での茶道だけではなく、生活を通じての付き合いを模索したい」
と思って始めたこのblog。
きっと同じようなことを考えている人たちは他にもいるはずで、
参考にしてもらったり、逆に参考になるヒントをもらえたら
と思って、コメント欄は設置している。
ほかに世界に散らばるリアルな友人知人への近況報告の意味もあった。
時を重ねるに連れ、閲覧数が増えて、戸惑うこともある。
書いている側は最初のスタンスを通しているつもりなんだけど、
コメント欄に返信書くのが、かなり負担に感じている。
実際にそこそこ親しい友人は安心して返信できる。
一回しか会ってない、また何処の誰かも知らぬ相手に対しては。
読んでますよ、はじめましての挨拶くらいならいいんだけど、
頻繁になると、「相手が見えない」不安が大きくなってくる。
blogやツイッターやってたら、立場が“対等”だから大丈夫なんだけど、
そうでないと一方的すぎて、なんか返信するのに苦痛を感じてしまうのだ。
少しでも省エネしようと模索する中では、書くのと推敲・修正で手一杯
コメントに対応する余裕がまったくなし。
もちろん、書きたい方もいらっしゃることもわかるし、書く分には構わない。
コメントは全て目を通してもいる。
だけど、いただいたコメントに対する返信は、今後は御勘弁いただきたい
その日の気分で返信することもあるかもしれないけで、
原則は控えることにさせていただきたい。
あしからず御了承のほどを。
それから
内容に関して、認識違いや勘違いはあることもあろうが、
行動に関しては嘘は書いてないし、感じたことは正直に書いている
予め書き溜めて、順序投稿することはよくある
それも含め、コメント返せない自分も引っくるめ、
これが“そのときの自分”だと、後から思うのだろうなぁ。
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茶道の実力の分析しているようで、ご自分の日記を出版することなく、ブログで公開(^_^)。
私たちにとってはうれしい限りです。
茶道ってやはり良質な成分ですよね(^_^)v。
冬場は私は時間が作れますから、あっちゃこっちゃ荒らし回ってます。 ごめんちゃい。