Akatsuki庵

日々と向き合って

2024春彼岸の旅~その2 2日目の朝も寒かった

2024年05月07日 05時31分05秒 | 泊りがけの旅行

前日からの続き~

3月21日(木) お彼岸後半に入ったのに冷え込みが厳しい。

定宿に連泊する際は中日(なかび)は朝食つきにしておくのだが、
今回は予約時にそのコースがなかった。
ま、宿の朝食は高いしね。大阪駅構内で済ませようか。

と、早前に出たものの~
結論からいえば、6時台はどこも開いてない。
ほとんどが8時か8時半の開店。

寒くてそんなに待てないので、マクドナルドに入った。
マック(いや、大阪だからマクドか)に入ったのでン十年ぶり?

先に座席確保を忘れて仕切り直し、一番安いチーズマックセット290円を注文して店員さんに「え?」という顔をされた。
(恥ずかして朝食写真も撮れず)

長テーブルの隅っこで「チーズバーガーも珈琲もさすがに美味しくなったなぁ」と思いつつ食べていると、
向かい側に座っていた男子2人(明らかに夜行バスを降りてきた感じ)のうち一人が「水原一平が解任だってさ」。
え? 大谷亮平の? 仲良さげだったのに? てか2~3日前に夫婦そろって2ショット写真が公開されたよね。
通訳解任して、あとどうすんの? イチローと違って、奥さん英語ペラペラな感じじゃなさそうなのに。

などなど、たった一言で思考がクルクル。
いかん、いかん。ここは客の回転率速そうだし、私もとりあえず食べ終わったから出なければ。

と、行く当てもないのに店を後にした。(正確にいえば9時半にならないと目的地が開かない)

約2時間、どう時間を潰そうかと思いつつ、とりあえず南下。
御堂筋に至る。
大江橋手前から堂島浜通(天満市場線)を東へ。

難波橋を横目に見ながら更に東へ進み、阪神高速の高架を潜れば、そこは天満菅原町。

 昔ながらの建物がっ。

再現もの? でも、明らかに古い蔵もある。

2月から3月にかけて『あきない世傳 金と銀』を一気読みしたので、つい聖地めぐりをしたくなった。

電子版を出してないので、かったるいと思いつつ、2~3冊ずつ買い足したわん。
てか、角川春樹は電子書籍を嫌っているのか?
弟の角川歴彦は電子書籍を超推進していたのに。スタンスが真逆じゃないか。(まぁ、仲が悪いとも聞いているが)

天満橋は何度が行ったことがあったけど、橋を渡った天満宮の辺りは馴染みがない。(御堂筋の東側って、用事ないし)
何年か前に天神橋商店街を南から北上したし、前回も南下したけどね。

これからはちょいちょい散策してもいいかも。

 天満宮にも参拝。

天神橋商店街のはずれにレトロ喫茶を発見。

 

朝食を済ませてしまったことを軽く後悔した。また今度。

 天神橋。渡るのは初めて。

小説には何度も登場するからねぇ。

 渡っていても、つい中之島を眺めてしまう。

渡った先は前回も歩いた道。(藤田美術館→ベトナム料理屋)

同じルートを辿りつつ、わざわざ高麗橋を渡って高麗橋筋を西へ。

 ここから惣次さんが「いつか、ここで店を持ったる!」って言ったのねぇ。

そういえば、堺筋のあたり。今はパッとしないし、北浜のあたりも静かなビジネス街だけど、
昭和の終わり頃までは三越百貨店があって、三越劇場もあった、ような。(昭和63年に映画を観に行った記憶がある)

平成になってだいぶ変わっちゃったんだろうなぁ。
(そういえば小説でも江戸から下ってきた越後屋が~というくだりがあったっけ。そっか、そこが三越百貨店の場所?)

高麗橋筋もこの辺りが船場でいちばん呉服屋が多かったなんて、今では信じられない。
布地を扱う店はもっちょっと南、本町筋っていう印象がある。

道修町は薬問屋が多かった名残は今はあるけどねぇ。

そこいくと適塾が今もまんま遺っているのは奇跡だな。

御堂筋を横切って、土佐堀通を錦橋を渡った。

あ、昔の賑わいを描いた浮世絵だ。(あるのは知っていたけど、ちゃんと意識して眺めたことがなかった)

 たしか、天神橋 もしくは難波橋。

  たしか、高麗橋からみえる高麗橋筋を描いた風景。

 中之島と船場あたり。

土地割は江戸時代も令和も変わらないけど、風景だけは変わったね。

次回に続く~


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