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Akatsuki庵

後活(アトカツ)中!

vol.10濃茶には…

2009年01月26日 00時01分00秒 | 利休百首
利休百首その十「濃茶には点前をすてて一筋に服の加減と息をちらすな

めちゃめちゃギクッっとするなぁ。
最近でこそ、濃茶の練りに神経いくようになったけど。
天目茶碗はまだまだ。
ホントに練りにくい
マトモに練れてないような気さえする。
手順を体で覚えてない点前ほど、点前に気を取られているなぁ。

点前より美味しい濃茶を練ることに集中せよ
とは初めて受ける注意。
目からウロコというか、新鮮に感じた。

カルチャーの茶道教室に通っていた友人が嘆いてたなぁ。
「稽古の時に練らせてもらえない」って。
濃茶は薄茶に比べると単価も倍、消費量は三杯だからなぁ。
それと、客に入る実力に差があって濃茶は初心者にはビターだからという理由。
あと、飲み回しに生理的な嫌悪を感じる初心者もいるかも。
また、稽古で濃茶練りたい弟子には持参させる先生もいるらしい。

まぁ、本番一発で美味しい濃茶が練られるほどカンタンではないけど。
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vol.9点前こそ

2009年01月21日 00時01分00秒 | 利休百首
利休百首その九「点前こそ薄茶にあれと聞くものを塵相になせし人はあやまり

奥秘の点前は複雑で長くてややこしい。
しかし、型がしっかりいるので覚えていれば、やりやすい(のだそうな)。
↑先生や先輩方曰く。
情けないことに私はまだその境地には至ってない

以前、お家元がNHKの趣味悠々に出演された際、最後の回に仰せになった。
「暮らしの中で気楽に茶道を楽しんでほしい。
でも崩した形の方が難しいんですよ」
確かに。

初歩の方々と一緒に稽古するようになってから、やっと実感できたこと。
「薄茶平点前はシンプルすぎてごまかしが効かないから難しい」と。

つまり、そーゆーこと?
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vol.8何にても…

2009年01月14日 00時01分00秒 | 利休百首
利休百首その八「何にても道具扱ふたびごとに取る手は軽く置く手重かれ

難しい。
重い道具を重たそうに持っのはいけないんだけど、軽々しく扱うのもよくない。
丁寧に、大事に扱いなさい。
という事だと思う。

確かに、茶杓や香合、羽箒は軽い。
軽いものを重々しく扱うのも難しい。

昔、炭手前の稽古を始めた頃の話。
たまたま先生が中座した。
自分では先輩の手前をイメージして、風炉を清めたつもり。
正客に座って兄弟子が一言。
「キミね、テニスの素振りやってんじゃないんだから

見るのと、実際にやってみるのでは勝手が違う。
軽い羽箒の扱い一つままならない自分にしたあの頃。

今は、たぶんテニスの素振りよりかは“らしく”なっているハズ。
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vol.7点前には…

2009年01月11日 00時01分22秒 | 利休百首
利休百首その七「点前には強みばかりを思ふなよ強きは弱く軽く重かれ

 難しいことはよくわからないけど、心当たりが一つ。
 炭手前の時、釜を持ち上げる際のこと。
 口にこそ出さぬものの、「どっこいしょ」とばかりに持ち上げると~
 「重い物を重たそうに持つんじゃないのっ
 と、先生から注意される。
 「重いものは軽そうに。逆に軽いものは重々しく」と。
 あれは、この一首からきていたのかぁ。
 ナットク。

 まぁ、ポーカーフェイスでお客様に気遣いや心配をかけないのが茶人の心得。
 ということなのだろう。
 
 ポーカーフェイスはわりと得意なほうかもしない。
 けど、お点前ではまだいっぱいいっぱい?
 たぶん、表情とか所作に出ちゃっているよう気がする。

 気をつけよう。
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vol.6点前には…

2009年01月10日 00時01分00秒 | 利休百首
利休百首その六「点前には弱みをすててただ強くされど風俗いやしきを去れ

何年か前、人前で点前をする機会が続いた時期があった。
その頃から、師匠や姉弟子から繰り返し言われるコトバ。
「これからは見る人に『美しい』と思わせるお点前をしなくては、ね。」
かくて、ふくさ捌きから指先まで、やたら細かく注意されるようになった。
気を抜くと、まったく容赦ない。
でも、自覚を促されたのは上からの注意ではなかった。

妹弟子のお点前を見ていて、ギクッ
「ワタシの悪い癖が~真似られてるぅ~
自らやっている事は、注意されても理解しづらい。
それが客観的にやられると一目瞭然。
それともう一つ。
初釜や振替稽古で他の曜日のお弟子さんのお点前を見る事がある。
美しい点前をする姉弟子がいれ曜日は、妹弟子の点前も綺麗ナノダ。
これはかなり堪えた。

以来、意識して丁寧に点前の稽古をするようには努めている。
とはいうもの油断すると「あ、今いやしい点前になってる」。
だいたい客観視できる。

同じ曜日には初心者4人いるから、薄茶点前は茶会よりよっぽど緊張するかも
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vol.5上手には…

2009年01月07日 00時01分00秒 | 利休百首
利休百首その五「上手にはすきと器用と功績むとこの三つそろふ人ぞ能くしる

「好きこそものの上手なれ」というしね。
器用は「機用」でもよいかも。
機転というか「はたらき(作用とも書く)」も大事。
そして、稽古を積む。
努力なしには上達はありえない。

まぁ、セオリーなんだけどね。
継続的な実行はとっても難しい。

ちなみに、ワタシは不器用。
もともと左利きだったのを無理に矯正した。
だから、火箸で炭を扱うのもフラフラだし、灰形も下手くそ。
お点前もねぇ。。。
今年も気が遠くなるほど、好き・器用・功積みめざす道を歩まないと。
うっ。
書いていて、気が滅入った
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vol.4はぢをすて…

2009年01月06日 00時01分00秒 | 利休百首
利休百首その四「はぢをすて人に物とひ習ふ是ぞ上手の基なりけり

 一般的にも「恥を忍んで」とか「今更聞けない」などの表現がある。
 「聞くは一時の恥。聞かぬは一生の恥」ともいうなぁ。
 日本人には「聞く」こと恥ずかしいと思う意識が潜在的にあるみたい。
 それは、単に日本人がコミュニケーション下手なだけ?
 まぁ、ヘンに知ったかぶりするよりは素直に教えを乞いましょう。
 教わり上手になりましょう。
 って、ことだわねぇ。
 昔は教本もなかったしね。
 師匠から教わるのが唯一の手段。

 ただ、この一首はそのまま現代に通用するかどうかはギモン。
 社中において、稽古中に湧き出る質問はいいんだけどねぇ。
 (実践して「?」は当然だから)
 
 以前、社中ではない初心者の方と接した折りのこと。
 何でもかんでも聞かれて、少々ウンザリした事がある。
 「それは自分の先生に聞くことでは~
 「初めて体験した時に周囲を観察した
 「自分の経験と常識に照らし合わせたらど~よ」

 などなど内心で思ったことがある。

 昔と違って、今は情報化社会。
 図書館もあるし、書店に行けばテキストもたくさん。
 教育の現場でも調べ学習が見直されている。
 
 だから、稽古場以外の場所で「ん?」と何か疑問に思ったら~。
 自力で調べられることか否かの選別が大事。
 まずは自分で調べてみよう。
 それでも、わからなかったら、または納得がいかなかったら、
 師匠なり先輩に聞くのが望ましいと思う。
 「なんでも聞けばいい」と安直に答えを求める姿勢はオススメしない。

 書いていて、「医療の現場のコンビニ受診とちょっと似ているかも~」
 と思ってしまった。
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vol.3こころざし…

2009年01月03日 00時01分00秒 | 利休百首
利休百首その三「こころざし深き人にはいくたびもあはれみ深く奥ぞ教ふる」

 この度の連載を書くにあたっては『利休道歌に学ぶ』を参考にしている。
 裏千家学園公開講座シリーズの一冊で阿部宗正業躰の著。
 もちろん、淡交社刊。(2000年11月刊)
 以前、先頭の10首くらいまでは読んだんだけどなぁ。
 3首めを覚えていなかったということは此処でギブアップしていたのね。

 今月末で入門してから丸20年になる。
 「恥をかかない程度の喫茶マナーが身につけばOK」のつもりだった。
 それがここまで続いたのは、ご指導下さった3人の師匠のおかげ。
 入門してから中級までマンツーマンで教えて下さった故郷の師匠。
 上京してから現在に至るまでついている現在の師匠。
 灰形と茶事の身のこなしをご指導くださる先生。
 どの先生も熱心に、かつ惜しみなく教えて下さる。
 ありがたいことだ。

 私は不器用で、なかなか上達しないので、教えにくい対象だと思う。
 なので、それをカバーするために以下の3つのことを守った。
 ★一つめは休まないこと。
 ★二つめはなるべく早く稽古場へ行くこと。
 ★三つめはなるべく長く稽古場に滞在すること。
 これを数年続けて、師匠や社中の方々に認めてもらえたかなぁ。
 (最近は全部守るのは無理になってきたけど) 
 「不器用=やる気がない」と認識されてしまうのではと不安で、
 とにかく誠意と熱心さだけは理解してもらわないと~と、当時は必死だった。
 この一首のおかけで、匙を投げられずに済んでいたのかな?

 阿部先生の本では「教えることは学ぶことでもある」と解説している。
 私自身はまだ教える側ではないけれど、
 昨年は社中の初心者と一緒に割稽古もする機会もあって、学ぶことも多かった。
 なので、この解釈もちょっとだけわかるような気もする。
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vol.2ならひつつ…

2009年01月02日 11時45分17秒 | 利休百首
利休百首その二「ならひつつ見てこそ習へ習はずによしあしいふは愚かなりけり」

 端的に云えば「知ったかぶりはいけないよ」という戒めかな。

 私にとって茶道の始まりは「習い事」以外の何ものでもなかったので、
 関心の対象はただただ点前を覚えることのみだった。
 お茶名をいただいてから、相弟子以外の方々を接するようになった
 そこで、自分の無知さに愕然!
 というよりは、他の方々の素養が豊かなことにショックを受けた。

 「お茶名をいただいているのに恥ずかしい~」
 で、現在に至る。

 もちろん、茶名をいただく前にも茶道具展を観る機会はあった。
 が、茶名をいただいてから方が理解度が違う。
 意欲の差もあるのだろうが、点前や稽古の基礎のベースが強み?

 最近、アラサー、アラフォーで習い始めた方のブログをたまに見かける。
 「趣味」から入った彼らは素養が先に立っている傾向にあるような気がする。
 だから、自分の茶道のプロセスとはえらく違う。

 私は濃茶の点前を習って初めて「おぉ。あの小壺だぁ」と感動した。
 「ナルホト。あれはこういう用途なのかぁ」とね。
 当然、大名物とかなんとか知らないし、よさもわからなかったなぁ。

 だから、ある意味では熱心さに感心はしている。
 が、「ホントーにわかってるのかな?」という懸念も。
 (ま、他人は他人、自分は自分だけど)

 大事なのは、まだまだ知らないこと、習ふことはたくさんあるということ。
 お茶事のこととか、取り合わせのこととか~。
 なまじ、ちょっとわかりかけてきた今が肝心。
 「まずは習ふ」ことを第一に、知ったかぶりしないように勉強したい。
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vol.1その道に…

2009年01月01日 00時01分00秒 | 利休百首
謹賀新年
今年もよろしくお願い致します。
「一年の計は元旦にあり」とも申しますが、
本日より新しいカテゴリー「利休百首」を設け、スタートします。
    *
利休百首その一「その道に入らんと思う心こそ我身ながらの師匠なりけれ」

 利休百首はほとんど知りませんが、さすがにこれだけは覚えている。
 「好きこそものの上手なれ」と同じかなーと解釈している。
 やっぱ、能動的になることが肝心かな。
 習い事にしろ、仕事にしろ。

 茶道に関していえば、
 昔、母親は「習いなさい!」と言われたけど、馬耳東風だったなぁ。
 半年くらい経った後、あることをキッカケに「習いたい!」と思った。
 宣言してからは行動に移るのは早く、あまりの変わり身にビックリされたっけ。
 もっとも、そう思った時点ではこんなに長く続くとは思わなかったけど。

 なので、この一首は共感できる。
 
 はてさて、このカテゴリーは何回目まで続けられることやら~。
 せめて、三日坊主だけにはならないでおきたい。
コメント (2)
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