Akatsuki庵

後活(アトカツ)中!

神社でお茶会

2010年06月01日 00時00分47秒 | 茶会/茶事
日曜日、“東京のへそ”とも言われる杉並大宮八幡宮で青年部主催のお茶会があったのでお客で参会。
今月は月初めに東大寺。月末に神社と続くなぁ。
でも、更衣の時期だから着ていく和服はちょっと難しかった。
しかも気温が1ヶ月戻ってしまったしね
(結局、着物を長襦袢は単衣。帯は袷用の袋帯。インナーは袷用。プラス雨コート)

献茶式の奉賛茶会や青年部懇親茶会で何度もお手伝いに来たから、勝手知ったる~
でも、当時は始発に乗っても7時到着がやっとだった
今回も一番最初の席入りで8:45受付。
「早起きはつらいなぁ」と思っていたけど、駅探でチェックする1時間ちょっと。
「えっ? この時刻の電車でいいの?」と、何度も見直した。
あ、そうか。7時台はもう特急も走ってるし、乗り継ぎもいいからラクチンなんだね

奥のお茶室でまず一席。(先生方によるお席)
お軸かお家元の「青山緑水」。
竹の形をした筒釜と八角の風炉、すっきりした小棚に涼しげな染付の水指。
お菓子は黒塗りの桶を平たくした形の器に美濃忠の「初かつを」
五月の趣向に舌きり雀がチラリ?
(会記はチラッと見ただけ。道具はだいたいが理解できるものだったので、ほぼ頭に入っちゃった
でも、そのまま全部ココに書くと主催者の方々に対して失礼だから、書きません



お庭もステキ。

清涼殿の青年部席は「お江戸」の世界。
点前座も3箇所。

隅田川の川遊び。
舟行棚に富士山釜。花火が描かれている蓋置き。
流水紋の茶碗、茶杓は“櫂”に見立てて、青楓の棗に陶器の手桶水指(←乾山写のと似てる)
建水はホンモノのほら貝みたいな大きな巻貝。


隣は和親棚。お姫さまや大奥をイメージした取り合わせ。


向こうの席はイナセな江戸の男衆をイメージ。(一枚板がシブい

茶席めぐりが終わった後はおしのぎ席へ。
こちらも江戸の料理を再現?

あさりの佃煮と蕎麦豆腐が美味しかった

後は“青年部ギャラリー”へ。

今までの行事で作った作品の展示。それから全国大会の表彰盾とエントリーファイル。
スライド上映で昨年1月以降の活動紹介。

はぁ。すごいですねぇ(って、すっかり他人事

今回は社中の若いお弟子さんを伴っての参会。
春に添え釜(点前)デビューして、社会人にもなって、ますます茶道に興味を深める時期。
青年部茶会や支部茶会へは何度か参会しているけれど、今まではただ物珍しかっただけ。
今回はやっと青年部活動を“自分に近い存在”と感じたみたい?

ン年前、神戸の青年部茶会へ初めて参会した時の自分の高揚した気持ちを思い出した。
若いって、いいねぇ

最後に参拝のために本殿へ。

思えば、ここでのお茶会はお手伝いばかりだったので、いつも忙しくしていた。
ゆっくり参拝する余裕なんてなかったもんなぁ。


お土産や待ち時間用の江戸通クイズとますますパワーアップしていたお茶会だった。
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東大寺の華厳茶会

2010年05月04日 00時01分34秒 | 茶会/茶事
朝4時半に起きて、東大寺のお茶会に行きました。
せんとくん平城京1日乗車券で去年?開通したばかりの近鉄なんば線で奈良へ。
タクシーの運転手さんがとても親切で、裏道スイスイ、あっという間に大仏殿脇へ。
受付すませ、いざっ

副席は大仏殿の真横(側面)。
この位置からだと時代を感じさせられます。


現地宿泊ではなかったので、出遅れ感があったけど、
思いがけず大宗匠と同じ御席に入れて、ラッキー
(同行の茶友が情報を集めてくれたおかげ 感謝

それから、大仏殿の内部へ。やっぱり大きいです。

献茶式も拝見しました。

茶壺と新茶の奉納、口切、石臼でふくところも見られて、なかなか興味深かったです。
献茶式を最初から最後まで通しで見たのも初めてでした~

脱出?もスムーズで拝服席もわりとすんなり入れました。
背後には三笠山も見えました。

外の大勢の観光客による喧騒が嘘みたいに穏やかな雰囲気。

濃茶のあと、辻留の点心もいただきました


記念品を受け取って、弘法大師も勉強されたという勧学院へ。


30分ほど待ち時間があったので、その間を利用して回廊の青年部席へ。

吉野葛を固めたと思われる干菓子で一服。
再び勧学院に戻ったら、ちょうどよい感じで東大寺席に入れました。

結局、全部入ることが出来て御機嫌
その気分のまま近鉄奈良駅へ。
平城遷都1300年祭の見物客でごった返してました
お土産も買って、直通電車で神戸へ。

久しぶりに再会した茶友とも一緒に楽しめたし、とても充実した一日でした。
せんとくん、ありがとう

と、グッズを広げて満足していたワタシでした。
(茶券、ナンバリングされていないものが1枚余分に入っていて
記念にとっておきます)

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茶飯釜の茶事

2010年04月12日 00時00分56秒 | 茶会/茶事
というわけで、茶飯釜の茶事
楽しかった~。

人数も客が6人と少人数。
(2月に「正客」して今回は三客。ホントに気持ちがラク~)
初座は画賛と小ぶりな炊飯釜に迎えられ、
大きめの炭を少し多めに継いで、
火吹竹を交替で吹いて、御飯が炊けるのを待つ。
懐石の順番も先に向付とお酒、煮物椀、八寸が出てとイレギュラー。
予習のおかげでアタフタせずに済んだ
釣釜も前日の社中稽古で扱ったばかり。復習もしたので、目に馴染んでた
そして、炊けた御飯の美味しいこと
炊飯釜を炭火で炊くのなんて、初めて見た?かも。
(もっとも、竈で炊くのも見たこともないんだけど
ご亭主さんに感謝、感謝デス。
(今回は半東さん不在の中、亭主1人でテキパキを動かれ、流れがスムーズでスピーディ。
「さすがっ」と感動ものでした)

後座は桜づくし
しだれ桜が描かれた水指、ソメイヨシノが描かれたお茶碗、干菓子も桜で、すっかりお花見気分。
が撮れないので、桜の干菓子を持ち帰った次第。
(席中では蕨に見立てた飴菓子をいただいた)

お茶事も人数によって、さまざまに変わる。
今回もこの人数で亭主のみバージョンの茶飯釜。
これが一期一会の面白さ。
炉の名残りを堪能
(再度、『茶飯釜の楽しみ』を読み返そうっと)

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正客

2010年02月22日 00時02分47秒 | 茶会/茶事
今月は灰形の稽古がなくて、稽古茶事。
しかも、ワタシは無謀にも正客。

一週間前に胃腸を悪くして、食事もマトモに摂れない状態だったので、ドキドキ。
でも、和服を着るとシャンとするから不思議。

お次客さんにベテランの方を指名させていただいて、
事前のリハーサル兼ねた稽古からフォローしていただきながら、どうにかこうにか。
(新春の初釜の趣向で、とにかく蓬莱山荘りだけは丸暗記したけど)
一座建立というのか、皆さんに助けていただきながら、なんとか進むもの。
歩き方やら座り方とかのコツ、前に聞いた事でもマジにならないと身につかない。
やってみて、あ!ここはどうするんだっけ~。
とかね。
日頃の稽古は茶事の為にあるという事を実感したなぁ。

手燭の交換も初めて経験できたし。
他にも反省点や身についてないことの確認点多し。
そして、新たに知る事も多し。
復習し甲斐あり。

今回、干菓子は伊織。
残した方だけ記念撮影。
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思い出の除夜釜

2009年12月31日 09時46分26秒 | 茶会/茶事
大晦日。
今夜鳴るであろう除夜の鐘。

除夜の鐘は人間が持っている108個の煩悩を落とすという意味で108つ鳴る。
このうち、107つは12月31日に鳴るんだけど、最後の一つは年を越してから鳴るんだって。
(年を繋ぐという意味がある?)

単純に年が変わったからといって、まったく新しく始まるのではなくて、前の年から一部を受け継いで、次に繋がっていく。

茶の湯でも、炉中の種火も大晦日に埋めて、
元旦はその火を星を掘り起こして新たに火を繋ぐ。。。。のが正式(らしい)。

この話を聞いたのは3年前。
初めて参会した除夜釜の席である。

今年1年を回顧してみようかと思ったけど、
頭に浮かんでくるのは2006年12月30日の夜ことばかり。

この日は「埋もれ火の茶事」と「除夜釜」のダブルヘッダーだった。
「埋もれ火」もこの時が初体験。
どういう意味かというと、、、
炉のお点前を始めに考案したのは千利休だと言われている。
他の茶人さんたちと釜の煮えをよくする試行錯誤した行為に由来するそうだ。
(だから、「埋め火」とはかなり違い、五事式の廻り炭と似てる)

それで、年の瀬にみんなで一本ずつ炭を継ぎ、そして火を熾して
ともに一体感を持つ趣向。

本当に楽しい茶事だった。
あれ以来、日程が合わず(12/20前後の日程になってしまい、気分的にも早いし)
参会は叶っていない。
(だから、なおのこと懐かしく思うのかもしれない)

ということで、今日はは3年前の大晦日に書いた当時の日記からの転載

さて、昨日の茶事のことを思い出してみましょう。

まず「埋もれ火の茶事」から。

待合でお湯をいただいいて、腰掛け待合へ。
稽古茶事でも外腰掛けの経験はないので、ちょっと緊張。
(お茶会で座ったことはあるくらい)

露地がすばらしかった。

お席入り。
(床の軸は『千秋萬歳楽』でした。歳末らしい!)

亭主との御挨拶。
そして、炭手前。

ん? 
通常より炭の数多く、点炭と割ぎっちょばっかり。
一番上に輪胴。
巴半田の登場が出て、亭主が炉中の種火を3本とも上げ、
一度下がって灰器を持ち出し。
たーっぷり湿し灰をまき、種火一本だけ入れ、亭主が輪銅をつぐ。
廻り炭のように正客から一人ずつ点前座に行き、一本ずつ炭をつぐ。
(一本とは限らない。正客が2本つげば、次客以下もそれに習うんだけど、
今回はお客だけで12名いたから一本づつとなった)

茶事にしては多いから、輪銅から種炭をぐるっと囲むようなつぎ方になった。
(こんなにきちきち入れてしまって、空気の通り道ないし、火がおきるのかしら~
と思ったが、ぐらぐらに沸いた)

炭手前の後は、お懐石。

お正客が後のスケジュールを考慮して、汁替えを断った以外は通常通り。
(御飯、汁、向付、杯台が回ってきて杯をとりお酒出て、煮物碗出て、焼き物。
ただし、強肴はなし。箸洗いの小吸い物、八寸あり。湯桶と香の物)
(茶懐石をいただくのって、瓢亭以来1年ぶり

いかんせん席中の照明がすごく落としてあって、暗い。
おまけに3時過ぎから始まったので、どんどん外が暗くなって、さらに手元が見づらい。

私、暗いところの眼の感度が鈍くて、ほとんどモノクロにしか見えない。
だから、口に入れるまで食材が何なのかわからない。
すごく美味しかったんだけど、堪能しきれなかったのがちょっと残念。

さて、主菓子いただいて中立ち。

と思いきや、
「この後は除夜釜に引き継ぎますので、御菓子のその折りにお出しします。
このお茶事はここでお開きとさせていただきます」

は?

本来は、中立ちがあって後入りなんだけど、除夜釜があるからあくまで!
の変形パターン。

とはいえ、お茶事なのに、お茶飲んでない。。。。
「これも、お茶事と呼んでいいんですかぁ?」と、後でご一緒した先輩に伺うと、
「あくまで変形だから、お茶事よ」とのこと。

退出すると、日はとっくに暮れていた。
蝋燭の行燈が露地を照らしていて、とても幻想的な雰囲気。
(まるで夜咄)

以上で、「埋もれ火の茶事」はおしまい。
(前半だけだったので、0.5ラウンド?)

休憩をはさみ、今度は「除夜釜の茶事」
メンバーは1名減って、2名増えて13名。

お手洗いを済ませ、待合に待機。

待合から、照明は蝋燭のみ。
暗い。
床は訶梨勒がかけてあった。
お仕立ては初代友湖らしいんだけど、拝見はしたけど、拝見できてない。

白湯は、「染井の名水」と仰っていたように聞こえた。
ということは、京都の梨木神社。懐かしい~。

と、銅鑼がなり始める。
「これから百八つ鳴るのよ」とベテランのお次正客様が教えてくだった。

腰掛け待合へ。
今度は、お詰の一つ前。
外はしんしんと冷える。帯つきのままだから、さすがに寒かった。

お詰は灰形教室のお仲間。
10年前からお茶事で此処に通われていて、先生ともお親しいし、
年齢も20歳近く上でいらっしゃり、お茶事も御自宅で催される“大先輩”。
裏技から間合い、細かい点まで教えていただいた。
(ほとんど、御注意を受けていた状態に等しいけど
すごーく勉強になった。
(ちなみに、「埋もれ火の茶事」では急きょ、お正客をつとめられたのだけど、
亭主との会話がとても素敵で聞き惚れてしまった)

席入り。
お床の軸は『深雲古寺鐘』。

亭主は~。あれ?さっきの「埋もれ火の茶事」でお詰をされた方だ~。

御挨拶の後は「一の膳」。

おぉ。来たか~。
行きのタクシーで「四の膳まで出るからね~」と聞いて、目をぱちくり。

一の膳は小ぶりの丸盆に小吸い物碗が出された。
中身はお蕎麦。
(年越し蕎麦ですねぇ)
部屋の照明は正客の隣の燭台のろうそくだけなので、さっきよりさらに暗い。
(ほとんど真っ暗)

一の膳が下がった後は炭手前。

と、また巴半田が登場。

炉中は、さきほどみんなでついだ炭が赤々と、とろけていた。

うわー。すごい。こんなに炭が起きていたのか~と思うと、感動。

それを全て巴にあげて、そこから種火を見繕って炉中に入れ、あとは初炭。
(でも釜敷は組釜敷だった)

ということで、炭が新年へと“繋がっていく”という趣向。

炭点前の後は「二の膳」

足のついた朱塗りお膳にやはり朱の飯椀と汁碗。
(これにはちゃんと意味合いがあるらしい。
「どっかで見たことある~と思ったら、精進料理でした~)

これも、通常の茶懐石とほぼ同じもの品数が出た。
(御飯、汁、向付、杯台は回らず、杯は折敷の上にのっていた。
お酒が出て、煮物碗出て、湯桶に二段のお重が回ってきて、
一段目は沢庵と香の物、二段目は半月の長芋)

↑この時は、燭台が出たけど、それでも暗くて、相変わらず食べるものが見えない~)

最後に縁高に入った主菓子が出た。
尾長亀を象ったお饅頭。

中立ちして、腰掛け待合で待機。

その折り、お詰さんから、蹲いでのタイミングについてアドバイスを受ける。
(要するに私がトロくて、前との間隔があいてしまう)
前のお客様が蹲いを使われている間の立ち位置となる石まで教えていただいた。
おかげで、後入りの席入りのタイミングはバッチリだったよん!

床は竹の一重切(武者小路千家の家元の在判が裏にあるそうだ)に白玉椿。
蕾が本当に玉!

六角形の水指に大ぶりの大海。

今年最後の灰形教室の折り、長緒茶入の話が出たので、
先生に「長緒茶入を取り合わせる趣向って、何か特別な意味があるのですか」
と質問した。

長緒茶入は祝賀の席の折りに取り合わせるのだ、というお答えだった。
なるほどー。

いよいよ濃茶が始まる。

大ぶりの古萩のお茶碗に練られた濃茶を席中の13名で回し飲んだ。
きっと中盤の方は遠慮されて、少ししか飲まなかったのか、
12番目の私の位置でもけっこー残っていたようだ。

「ようだ」というのも、中身がどれくらい残っているのか、まったく見えない!
「あまり残っていないだろうな。すするくらいかしら」と思ったら、
いきなり上唇の上を超えるくらいの濃茶がドバーと教えてきたものだから、
もービックリ!
たっぷり3口いただいたのだけど、まだ相当残っている。
(かと言って、作法だから4口以上はちょっとなーと思っていたら、
茶碗の正面を正す回転を逆にしちゃったよー。)

お詰さんはどーするんだろー、申し訳ないと思いつつ、回した。
3口どころか9口ぐらいかけて飲んで、吸いきりをされた。

このあたりで待合から聞こえてくる除夜の「鐘」ならぬ「銅鑼」が百八つ鳴り終わった模様。
聞こえなくなった。
(つまり、年を越した!っていう趣向ネ)

お茶碗の拝見も終わり、亭主がしまいつけにかかった時、
燭台の蝋燭がとうとうなくなり、本当に暗闇に。

お詰さんが水屋に声をかけ、燭台を用意していただくまでの間、何も見えない状態。
暗闇の中で、ご亭主が水指から釜へ水をさす「シャーっ」という音が席中に響いた。

す、すごい。
ご亭主さん!

私には不可能な芸当。
改めて技量の差に舌を巻いた。
(お膳を運び出す際の立ち座りもすごく美しい所作で、タダモノではない感はあったけど)

お客様用の燭台が3つ出る。

お茶入、茶杓、お仕服の拝見。
頭をすごく近づけたので、茶入は形と釉薬の加減がなんとか見えた。
(唐物ではなく国焼で、備前だったかな。とにかく大きい。蓋は真新しかった)
御茶杓が3つ節があって、縦長の穴も空いていて、とても変わった景色。

お作は円能斎。銘は「五彩」。

続いて、「三の膳」。
ここで、燭台が下がり、照明(といっても、電球一つだけど)がつく。
(↑夜明けが近くなる趣向)
半月盆の真ん中手前に煮物碗、奥に向付。
杯台がまわってきて、杯をとる。

と、これまで出なかった焼き物、強肴、向付、いや八寸か。
とにかく、お皿とお鉢がつぎつぎと出され、回ってくる。一つ回ってきて取って、
食べようかと思ったらすぐ次が回ってきて、食べるヒマがなく、小さな向付のお皿は山盛り状態。
(照明ついたとはいえ、暗いので、もー何がなんだかわからない)

ちらし寿司も回ってきて、これは煮物碗の蓋へ。
カラスミも食べたし、練り物もあったし、鮑もあったなぁ。
とにかく10種類を超える珍味の数々が登場した。

何回か除夜釜に出たことがある方ですら、「こんなに出てくるのは初めて」と驚くほど出て、もーひたすらに食べた。
(お酒はおかわりが回ってこなかったので、食べるの専門!)

半月盆が出ると座がくだけるので、客同士が会話をしてもよいのだとか。
食べるのに必死になりつつ、お話も弾んだ。

最後はお詰さんの脇にお皿がズラーと並んだ。

そして、八寸。(山のものが黒豆だったのは覚えている)

あ! 一つだけ本懐石と違うことが!

煮物碗の蓋は蒔絵だったので、ひっくり返しはしない。
杯は煮物碗の右隣へおいた。
(この辺、半月盆は余裕がある)

「三の膳」が下がり、続いて「四の膳」。

小ぶりの丸盆にお椀が一つ。
中身はお雑煮!

ここで、照明がふるに明るくなった。(←夜が明けた!)

「新年おめでとうございます」とばかりに、お雑煮をいただいた。

本来なら、後炭、薄茶があるのだろうけど、既に10時を回っていたので、それはなし。
お雑煮が下がったところで、亭主との御挨拶があって、退出。

御挨拶は、新年の祝賀でした。

外は当たり前だけど、まっくら。

遠方の方は帰りの電車が迫ってきているので、ここらへんから早退者がちらほら。

本当は夜を徹して飲み食いするんですって。

こんな風なお茶事も楽しいね。


(転載ここまで)

懐かしいなぁ。
この体験から「ちゃんと茶事の勉強したい」と本気で思うようになり、
この1年後に新橋の灰形教室がクローズになり、こちらの会場にて再出発したっけ。
以来、毎月1回通っているわけで、現在に至る。
来年ももっと茶事を楽しめる自分でいたい。

では、皆さん、今年もありがとうございました。
よいお年をお迎えください。
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食べる気満々

2009年11月16日 06時39分23秒 | 茶会/茶事
昨日は久しぶりの青空が広がる小春日和。
月一の特別稽古があったが、灰形はなく、午後から茶事稽古の後、本番

約二ヶ月ぶりの和服。
袷は何ヶ月ぶり?
先月から続く多忙もあって、ちょっとフラフラしながら着付け。
でも、着ると気持ちがシャンとした。

前回は当日にくじ引きで半東になって、大変だった。
今回は三ヶ月も前にくじ引きして三客に決まっていたから、余裕。
「前の分まで、食べるぞぉ

午後の稽古はほぼリハーサル状態。
寄付で座る位置の確認、手の置き方(指先に要注意)
移動速度、諸々の所作確認。
席入りから、懐石のいただき方も湯桶の廻し方まで進んだ。
予習バッチリ

茶事から参加する人もいらっしゃったので、1時間弱の待ち時間。
その間も、絞り茶巾やハンカチなど情報交換しつつ、使い方をチェック

4時半から始まり、お客11名でスタート。
夕方なんだけど正午の茶事のメニューで、趣向は名残り。

御亭主が丹精してあげられた藁灰が圧巻。
やつれ風炉と鬼の霰釜の組み合わせが貫禄あり。
(五島美術館で観て以来、道具を気にしつつ探しておられたとか)

また、汲み出し、懐石の向付の11種類。
なんと、煮物椀までという徹底ぶり。

ということまで、楽しめる余裕が今回があったし、
料理の味を味わっていただけたのも、初めてだったかも~
満足

後炭の風炉中拝見は本当に楽しみで、見事さと言ったら

藁灰を拝見するのは去年に続いて2度目なんだけど、
また一段と藁がすばらしくなっていて、感動
(茶事にするための稲を栽培なさったとか)

お客役のうち8名、亭主、半東、介添えさん含め12名で1年半稽古してきたので、
動きもスムーズで、8時半には退出できた。
ジャスト4時間は当たり前なんだけど、それが出来たことはある種の達成感
(だって、今までは5時間以上かかっていたんだもの)

だって、続き薄茶ではなく、後炭やって、11名が風炉中拝見までやってだからね。
もたつきもなく、ほぼ全員がちゃんと動けるとすごいなぁ。

「これから、いろいろな茶事を楽しみつつ、やっぱり稽古も頑張ろうね
と皆で喜びつつ、9時前にお開きになり、帰途へ。
その時間帯だとの乗り継ぎもよくて、早めに帰宅できた。
正座の時間が短くなった分、身体の疲労も軽かったしねー。

もっとも、まだまだ成長の余地あり。
(正客や詰め、亭主や半東も務められるようになりたいし
と、特別稽古はまだまだ続きそうだ。

★お知らせ
おかげさまで、当ブログのページビューが30万件を越えました
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久しぶりに

2009年09月23日 06時32分52秒 | 茶会/茶事
昨日、久しぶりにお茶会へ行った。

昨年暮れに護国寺の慈善茶会を最後に、お茶会からは遠ざかってきた。
一時期は月2回ペースが3~4ヶ月連続ということが何回もあった。
それくらい茶会大好き人間だったワタシではあったが、
茶道との付き合い方のベクトルを変えたのを機に
「しばらく“お茶会抜き”したいなぁ」という気持ちになった。

なので、今年に入って幾つかはお誘いはいただいたのだけど、
「先約があって~」とか何とか、テキトーなコトを言って避けてきた。
(実際、本当に都合つかないことが殆どだったけどね)

今回は伺ったのは、まぁ“古巣”だから。↓

平たく言えば、入会促進が目的のお茶会デス)
去年まではスタッフ側の人間だったけど、ゲスト側になってどう感じるかなと。

申し込み時に改めてドキッとした“世代”申告。

遠回しに「“先生”ではない50代以上の方は遠慮してね」(?)

ワタシの場合、年齢制限には引っかかっていないのだけど、
80代の先生を“隠れ蓑”に、20代の若手を“カモフラージュ”にして
その間でこそこそ~てな感じ?
だって、お客様が初々しい方々がほとんどだったので、今更こっぱずかしくて

席入りが一番早い組だったので、そこそこ早起きしたけれど、
清々しい空気の中で利休恩祖堂参拝をさせていただけて、ラッキー

続いて「秋のお月見」を趣向とした素晴らしいお道具の取り合わせの薄茶席、
そして「宇宙」をテーマにした立礼席。


席中では“お正客バトル”もとい“譲り合い”が
結果、先生が上座の方(お次客)に引き上げれて行かれてしまい~。
でも、若いお弟子さんと2人で座るのも気楽。
ポーッとしていたら、隣に座られて方に話しかけられた。
「小さい時から習っていらっしゃるの

は? なんでまた唐突に?と戸惑いつつ、
「いえ、お勤めに出てからですかねぇ」
と答えると、その方はすまーして、
「そう。ワタクシは子育てが終わってからよ」

ハイ。。。。ん????
一見して、“先生”方に見えた3人様連れだったけど~。違うってこと?
(思わず、チロチロ~と観察)
どうみても、50歳以下には見えない。
いわゆる「先生はいらっしゃらない、お弟子さん同士」のパターン。
でも~、それって~。(←K.Y?)
(あの申込書を記入する時、年代欄は無視したのかなぁ?)
今まで緊張とプレッシャーを感じていた自分は何だったのだ~
と、そこで疲れちゃった。

おしのぎ席では茶巾寿司と巻寿司、手作り干菓子。

(お土産かわりに持ち帰り、自宅で抹茶と供にいただいた。美味)

仕上げにパワーポイント使いまくりのオリエンテーションを拝聴。
単純に感心。
そして帰り際には、会員さんからのメッセージを渡された。

と、アンケートはがきも。


さらに、当たりくじも入っていたのだが、当てたのはさっきの方
受付にいた知人に「賞品って?」と聞いたら、次の行事の参加券だそうな。
なかなか、意図した通りにはいかないもんだねぇ
(でも、たぶん全く気がついてないと思うナ)

確かに、立場が変わると印象も180度変わるなぁ。
何かと新鮮な感動や驚きがあったり、“外側”にいるからこそ気づくこともあり。

でも、Come Back Againの気持ちにはならなかったですネ。

少し茶化した感じで書いてしまったので、真面目な話も書きマス。

今回、一番印象に残ったのは一如斎八才の時の初筆「月」。
朝、受付時にいただいた会記みて、「わ、すごっ」。
宮尾登美子の『松風の家』の最初の方にも登場するものねぇ。
(小説なので、名前は変えてあるけれど)
とても才能のある跡取り息子だったのに、わずか17歳で夭逝。

帰宅後に『裏千家今日庵歴代 第十一巻 玄々斎精中』を開く。
大名家に生まれ、裏千家十代認得斎の養子に迎えられ、
幕末の動乱から明治維新を生き、立礼を提唱したり、意見書を京都府知事に提出したりなど、
時代の変化に敏感に柔軟し反応して、対応された家元だ。

一如斎はその玄々斎の一人息子。将来を嘱望された跡取りだった。
年譜みていたら、小説には出ていなかったことも書いてあった。
最初は認得斎の長女の婿になり、奥さんに先立たれた後、次女と再婚。
そして、生まれたのが一如斎。
(やっと跡取りに恵まれた~という感じ)
で、一如斎が早世したのは文久2年。
まだ、幕末だ。

ということは、玄々斎は息子を失った悲しみを乗り越えて、偉業をなしたということになる。
しかも、一如斎亡き後の養子縁組はあっさり又妙斎に落ち着いたのか思いきや、
その前に別に養子を向かえたものの、厳しくしすぎて破談になったらしい。
ドラマだなぁ。

立礼席の玄々斎が考案した点茶盤と床に掛けられた深い親子愛。
ジーンと胸にきて、宇宙が霞んでしまった、かも。
裏千家今日庵歴代〈第11巻〉玄々斎精中
千 宗室
淡交社

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秋の茶会情報

2009年08月26日 00時01分01秒 | 茶会/茶事
昨秋(10月)に開催された東京大茶会(→こちら)、単発の催しかなと思いきや、
今年もあるようで。→サイトはこちら

今回は2カ所。
江戸東京たてもの園(小金井市) 10月10日(土)、11日(日)
浜離宮恩賜庭園(中央区)   10月17日(土)、18日(日)

ほー。
茶席の方はは完全前売り制かぁ。
たしかに、去年はパニックだったもんなぁ。
(申し込みは9月1日から。往復はがきかネットで)
野点席はその場でもOKなのネ。

主催は東京都。
五輪誘致に成功していたら、また盛り上がるかもね。

ちなみに、10月は銀茶会なんだけど、まだ情報はキャッチできておりませぬ。
あしからず。

ほかには~。
◆池上本門寺境内にある名園「松濤園」が一般公開 →こちら
 9月7日[月]~13日[日]、[前]10時~[後]4時
 小堀遠州が作庭したとされる池泉回遊式庭園で、
 西郷隆盛と勝海舟が江戸城開城をめぐる交渉を行った跡地には石碑が建っているそうです。
 12日[土]、13日【日】[前]10時~[後]3時には茶室「根庵(こんあん)」で茶席も催されます(500円)。
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介添えさん

2009年06月25日 06時49分00秒 | 茶会/茶事
今回の茶事、亭主側の入ってみて、発見が多々あった。
その中の一つが介添えさん。
稽古仲間からも二人担当されたが、他にもいらっしゃった。
三人だったかな。
もちろん、ワタシたちの指南役も兼ねて。

介添えさんは黒いTシャツに黒いズボン、黒いソックス。
文字通り“黒子”さん。

お客様の前にはその姿を現さない。
茶事が滞りなく進行するように、陰で支えて下さる。
今回も雨が降ったので、つくばいの被いをびしょ濡れになりながらとったり。
懐石の配膳をして下さったり。
中立ちの退出前に露地に行灯を配置したり。
薄茶の陰点もして下さったり。

亭主が出来ない時に代わって半東が、
半東が出来ない時に代わって介添えがと
役割分担するワケだが、
介添えさんは全てを把握して、あらゆる自体に対処できないと務まらない。

すごいなぁと感心するばかりだった。

どれくらい経験を積めば、介添えさんを務められるだろうか。

まずは黒い無地のTシャツと黒ズボン、黒ソックスを買わなくちゃ。
(いずれも白は持ってるけど、真っ黒は持ってないのョ)
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稽古茶事の半東

2009年06月24日 00時01分00秒 | 茶会/茶事
「お茶事」をしてみませんか―正午から口切まで15のかたち (淡交ムック―茶の湯入門シリーズ)
小沢 宗誠
淡交社
2600円 2004年
このアイテムの詳細を見る


(昨日のつづき)

今回の夕ざり茶事は企画そのものは1年くらい前からあって、
企画された方が亭主を務めることは決まっていたし、
先月の稽古で介添え2人も立候補で決まっていた。
割稽古も専らお客の稽古。
なので、お客になる気満々
「懐石をいただくタイミングもマスターしたし、余裕を持って食べられる

だから、その場のくじ引きで半東、しかも第二半東に当たったときは目が点
緊張とかプレッシャー、不安などといったマイナス要素を抱える余裕さえなく~。
「事前に本で流れくらい予習すればよかったなー」くらいは思ったが後の祭り。
(一応、本は開いたんだけど、炉だったので、参考にならないなと閉じてしまった)

ま、セカンドだし、介添えさんもいて、脇で先生が一つ一つ教えて下さるしね、
お客様も一緒に通っているお仲間だから、状況わかって下さっているし、
で、気持ち的にはモンダイなし。
(「上手くこなそう」とは最初から思ってなかったし)

煙草盆の火入の灰形、中の炭の向きを考えないで作っちゃったり、
水屋での位置、亭主と3人揃って出る時に高さや動きを合わせたり、
勉強することはたくさんあって、面白かった。
(火入の灰形、ぜんぜーんダメだったけど)

失敗はたくさんしたけどねー。
お酒注ぐ時に、懐に用意した懐紙をすぐ取り出せなかったり、
(必死に八寸を取り分けているうちに、「あれ?数が多すぎる~」と
倍々にして取り分けちゃったり。。。とか)

ちょっと残念だったのは、雨が降ってバッチョを使える機会だったのに、
2番目の半東だったので、出番がなかったことと、
いわゆる“亭主相伴”が10分もなくて、ほとんど味わえなかったこと。
味噌汁と焼き物の鴨ロースト、椀ものはかきこむようにして食べ、
あとは強肴をちょこっと。

中立ちで八畳間に灯された蝋燭を、後座の席入りのあと消して回ったんだけど、
教わったとおりの消し方でパッと消せたのは嬉しかったなぁ。
後は蛍ちゃんのために本当に真っ暗になったし、
お客様も床近くに2列で座られたこともあったりで、
濃茶と薄茶の運びは動きが誰からも見えてない状態。
(主客とも視線はホタルちゃんにいってたしねー)
この辺りはかなり気が楽だった。

夕ざりの茶事は初座に花を荘るということも今回知った。
あそこで続き薄茶をやるのは初めてだったんだけど、
咄嗟に続き薄の段取りを忘れちゃって、
点て出しの薄茶を出すタイミングがズレちゃったり。
(暗くて、ホタルの光に助けられたこと多々あり)

そんなこんなで、やれやれ~というか、蛍の光でボーっとしたまま、
お茶事の時間はお開きとなったというワケ。

帰宅してから、逡巡していて気がついたこと、
「あ、あれもこれも、すごーくお高いお道具がいっぱい出てなかったっけ?」
後から、手がぶるぶる震えるくらいに恐くなった。

小さい失敗はしたけれど、お道具にだけはキズをつけたり破損することなくて、
ほんとーーーーーにヨカッタ
と、思ったのだった。
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半東の稽古

2009年06月23日 00時01分00秒 | 茶会/茶事
今月の茶事の割稽古&稽古茶事は濃密だったので、割稽古から。

灰形&茶事教室で同じクラスで学ぶ方々って、たぶん14人くらい。
この中で毎月回り持ちで亭主と半東役を務める。
私は2月に亭主役をやった。
(周りがベテランさん揃いなので、ずっと尻込みしていたんだけど、
教室10回目にして、なんとか挑戦してみた。
ボロボロだったけどねー。→こちら

以来、2度目に回ってきた“もてなし側”で今回は半東。
今まで、客側として半東役の方がやっていることを見てきたものの、
見るとやるとでは大違い
ってゆーか、その場でくじ引きで当たるとは全くの予想外だったので、
頭真っ白。
(なんせ、客になる気満々でお遊び気分で出かけて行ったので)

まずは寄付に汲み出しを運び出すところから~。
お辞儀する際に脇引をよける場所からして、「ん?」
出し方、ご挨拶。

懐石膳の運び出しになると、前回のことを思い出してきて、
どうにかこうにか。

前回と違って、今回はお椀や向付など食器が載ってるからね。
亭主として半東と動きをシンクロさせやすいように気を遣うよりも、
半東として、亭主の動きにシンクロさせる方がまだ合わせやすかったかも。

お足が悪い方のために立礼用の台ごとお膳を運ぶ出すこともやった。
これからはこういう想定は当然あることだからね、勉強になった。

煮物碗の運び出し。
お客様は7名だったので、
亭主役がお正客に一つ、残り6つを脇引に載せて一つ一つ連客に配る。

前回注意された横足は使わないようにできたけど、横移動の足はどっち?
ふだん、点前の稽古で何気なくやっていることが咄嗟に足がでない。
しどろもどろにしていると、目の前のお客様役の方々が
「左足を被せるのよ。その方が断然エレガントに見えるのよねぇ

おかげさまでコツを掴めた。もう間違えないわ

お膳を下げるところまでやって、後は室内にてバッチョの扱いの稽古。
1年ぶりなんだけど、これも2度目からコツは掴めたかも。

今回の割稽古で一番よかったのは、ホントに着物での動きが実践できたこと。
いつもは稽古着なので、近いんだけどやっぱり違う。

かつて、着物でのお茶会の手伝いは何度も経験しているので、
その辺の動きだけは不自由がないと確認できた。

半東って、ホントに奥が深い。
お茶会で何度かやったことあるけど、全然違う。
社中の稽古茶事でも1度くらいは担当しているはずだけど、
如何にユルユルで“稽古にならないお稽古”だったことか
「もっと真剣にやっておけばよかった」と今更ながら後悔。

「この教室で基礎からちゃんと勉強しよう」と思った。
で、まだ身についていないまま、いきなり稽古茶事に突入していったのであった。
(つづく)
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蛍狩りで夕ざり

2009年06月22日 00時01分00秒 | 茶会/茶事
昨日は日曜日だというのに、朝から雨
でも、気にしない。
少し寝坊して、しっかりブランチしてから、着物でおでかけ

月一の稽古、今月は灰形は休み。
午後の茶事の割稽古からスタート。
その後、続けて夕ざりの茶事という流れ。

くじ引きで(第二)半東に当たってしまって
そのエピソードは後日。

今回の夕ざりの茶事、趣向がとーーーてもステキだった
中立ちの後、部屋を暗くして床の間には大ぶりの長板の上に蛍籠が置かれた。
灯りは蝋燭。
お客様が席入りした後、合図で蝋燭を消して回ると~。
床の間から平家ボタル約20匹が放つ幻想的な光が浮かび上がった
本来なら水屋にいる立場なんだけどね、
先生が次の間まで簾戸を開け放って下ったので、暗いのをよいことに
後ろから見物

とーーーっても美しかった

提供して下さった方が3年に渡って飼育してきたという丹精のこもった蛍。
(ホントに砂糖水をあげてるんですって。源氏ボタルとの違いも初めて知った)

季節と時間と雨模様の天候がピッタリ合って、素晴らしく輝きだった。
お座敷にいながらの蛍狩り。

というわけで、日付が変わってもまだ夢見心地なワタシ
コメント (2)
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慈善茶会

2008年12月15日 09時03分15秒 | 茶会/茶事
昨日は護国寺慈善茶会に参会した。
今年で42回めを迎えるという茶会だが、私は初参加。
裏千家など6流派とお坊さん担当の計7席。
早くに到着し、雨コートごと荷物を預け、列に並ぶ。
朝から降り続く雨と、この冬一番の冷え込みで震えながら順番がくるのを待った。

私自身は汚れても構わない京小紋を着用していたが、
周りを見回しても、この天候にもかかわらず7割方は着物。
一般の人も参加可能な茶会だけど、全くの門外漢は見かけなかった。

お茶席の方はいいお道具がたくさん。
利休から織部宛の消息(年の瀬の文)。
赤穂四十七士の間で交わされた「お蕎麦を御馳走になって有難う」という内容の消息。小堀遠州の和歌切。
鈍翁作の茶杓。
ノンコウの香合、了入、慶入の茶碗etc.

朝8時半に護国寺駅で待ち合わせ、15時半に護国寺駅で解散。
従って、所要時間は7時間。
このうち半分は待ち時間になってしまったけれど、6席入れた。
(うち2席は点てだしでいただいて、お道具を見せていただく形)

点心なしで5千円。
ランチも返上して、お菓子の饅頭のみだったが、あまり空腹感はなく、
待ち時間も一番冷え込んだ時間帯は室内にいたので、マイナスイメージはなく~。
意外にも(?)充実感の方が印象として強く残った。
月光殿が今年から5年越しで修復に入り、その点が残念ではあったけど。

チャリティーとはいえ、お茶会としては妥当な金額。
むしろ、よいお道具を見せていただいたというオトク感があり。
お茶会を主催された関係者の方々の慈善のお裾分けをいただいたナ。

ちなみに、今年は除夜釜には出ないので、これがお茶会納め☆
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師走の茶会

2008年12月08日 07時32分08秒 | 茶会/茶事
昨日は二十四節気の一つ「大雪(たいせつ)」。
朝の冷え込みは今シーズン一番だったとの事。
それでも、青い空が広がり薄い日差しが嬉しい休日。
都心とは思えない閑静な場所でのお茶会に参会。
(一度行ってみたかったところ)

見上げれば名残り(?)の紅葉がまぶしい。
少しでも暖を~という配慮で、寄付にはは火鉢が置かれてあった。
陶器の物や蒔絵を施した碁盤の台のような調度品的なもの。

灰形も一つ一つ違う。
さっくりと幾つもの面を見せたもの。
赤々とした炭の周りに藁灰が置かれたもの。
実際に手をかざすことはないけれど、見ているだけで暖かい気分になる。
外の腰掛待合にも暫く座ったが、寒さは感じなかった。

登録有形文化財に指定されている如庵の写しは見事なもの。
暦の腰張や有楽囲、有楽窓など見どころ多し。
鱗板の効果。
やはり、あの僅かな空間で全体を広く感じられる。
すごいなぁと感心した。

道具組も江戸時代に活躍した方々のもの多く、タイムスリップしたような。
名前を聞いて、なんとか時代背景や人物相関図が浮かぶ。
(頑張って覚えたから楽しめる効能?)
点心も美味しかった。

同行者と一献ずつ交わしつつ、今年を振り返るひととき。
落ち着いて、しみじみとした師走の茶会だった。
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ホスピタリティ

2008年11月10日 13時41分25秒 | 茶会/茶事
 社中の先生は、大寄せの茶会などで席をもたれない。
 高齢ということもあるけれど、基からお好きでないようだ。
 でも、人をもてなすことはお好き。

 先週もアジアからの留学生数人をご自宅(稽古場)に招かれた。
 おでんなど日本の家庭料理でもてなした後、女性陣に和服を着付けてあげる。
 そして、お茶室へ。
 私が薄茶平点前をし、相弟子が半東。
 1人一碗でお茶碗をその都度運び出しつつ、お茶を差し上げる。
 つまり、点前座で10服近く点てていた。

 留学生たちも慣れない足の痺れに戸惑いつつ、でも抹茶を楽しむ。
 「美味しい」とにっこり。
 その後、日本庭園で写真撮影などを楽しみ、「着物を脱ぎたくなーい」。
 そうして、喜んで帰って行った。

 昨日も居合道の集まりのホームパーティーがあった。
 (御家族が長年やられている関係で)
 同じ日本文化の「道」とはいえ、茶道は知らない。
 お茶室で抹茶をいただく機会もない。
 ぜひ体験してみたい。

 ということで、おもてなしのお手伝いへ伺った。
 (大先輩の姉弟子1人だけ~と聞き、助っ人)

 10名様を2人でおもてなし~なんて、初めての体験。

 座る位置から案内し、お菓子を一つずつ懐紙に載せて3名分ずつ運び出す。
 食事前ということで、手でとって一口で食べられる小さな蕎麦饅頭。

 姉弟子が点前で、私が半東。
 4客までは点前座から出し、5客以降は水屋から。
 ポットから湯を汲み、点て出しては運び出し、茶碗を下げ、
 合間に点前座からの取次ぎをし~。

 大忙しの時間だった。

 姉弟子曰く「4客点てて、茶巾を取り替えてもらおうと思った時、しまい茶碗の声をかけてくれて助かった」

 やっている方はバタバタだったのだが、
 お客様にはゆったりとしたのみ印象を持たれたようで、ホッ。
  (バタバタの空気を茶席では消すことができてよかった)

 和やかに終わり、後片付けをして、パーティーに寄せていただいた。
 お客様のお1人が「まさに、ホスピタリティですね」

 え?
 なんで、病院(ホスピタル=hospital)?

 お恥ずかしい話、hospitalityの意味を知らなかった。

 「おもてなし」という意味なんですねぇ。
 帰宅後に辞書を引いたら、「親切にもてなすこと、歓待、厚遇」とあった。

 ホストやホステスも「もてなす人」の意味。

 その方曰く
 「欧米の大学にはホスピタリティの学科があり、学問として勉強している。
  最近、これを日本も取り入れて観光学科なんかもできている。
  でも、日本には茶道という究極のもてなしを学ぶ“道”があるじゃないか!」

 私自身、「茶道=人をもてなす」という感覚はたくさんの感覚のうちの一部。
 でも、例えば○○部活動では、呈茶にしろ茶会にしろ、勉強会にしろ~
 参加者(お客様)を楽しませたい、茶道のことで“お土産”を持って帰ってほしい。
 と思って、いつも取り組んで実践してきた。

 師匠に「先生が推薦して下さって、外に出る機会を与えて下さったおかげで身についたと思う」と後で申し上げたら、嬉しそうに頷いていらっしゃった。

 実は昨日の午前中、丸の内へ行った。
 最初の茶席だけは早めに並んだので入れた~。
 が、その後は~。
 (東京大茶会の状態をさらに~という感じ?)

 確かに、エコをテーマにし、茶席にはならない空間で茶会を開く発想は奇抜。
 面白い。
 ただ、企画にばかり気をとられ、殺到するお客に対する配慮が予めどれだけ考えられていたのか。
 (予想を上回る動員数から、主催者側は「大成功!」としているらしい。
  まぁ、無料の奉仕呈茶だから、あまりクレームもないだろうが)
 
 以前、家元は「○○部活動で大事なのは自己満足に陥らないこと」と仰った。
 だから、それを肝に銘じて、やってきた。

 改めて蘇ったオコトバとhospitalityの言葉がクロスする一日だった。

★昨日の日記、最後の方のデータが入ってませんでした。
 途中で切れてしまって、すみません。
 お時間あれば、昨日の日記も読んで下さい。
 リンクはこちら
 ケータイの方は「前の日記」へ進んで下さい。
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