明石大橋の見える丘に住んでいます

出来事を写真入りでお伝えできれば幸せです。

年の瀬

2016-12-30 20:58:10 | 日記

いよいよ30時間ほどになった
今年もいろいろありました。

4月の熊本地震発生日に
入院して・・・次の日、左足首への人工関節手術をしました。
足首の軟骨はすり減って歩き辛い状態での 手術待機時間の長かったこと前の年の9月からだから・・・ほぼ半年以上待ちました。

ゴールデンウィークも手伝って 一か月間入院させていただきましたおかげで、松葉杖も使用しなく一本の杖だけで、退院と相成ったわけです。

8月末まで長期休暇をもらっていた管理員さんは、一度復職するときに会社に呼ばれました。
「治ったからと言って 無理はできないだろう?」
総務部の部長は痛いところを突いてくる。
「何か有れば ご自身も不幸だが会社も迷惑だ・・・」と、言わんばかり・・・。

それでも、復職をさせていただきました。

9月に入ってある管理員さんが急病で 長期休暇を取るようになって・・・
そのまま退職にまでなって・・・

引き継ぎもなく11月末まで そこでお世話になりました。

雑な管理員だっただけにほとんど資料らしきものが見当たらない状況の中で・・・
暗中模索

何とか 新人管理員さんに引き継ぎました。

大好きな木工作業は・・・?
孫の夏休みの工作はできましたが
私の趣味とする工作は全く出来なかった・・・

孫の工作作品の写真と設計図面を あるところに応募したら「銀賞」をいただき。
私の去年の作品をこれまた同じところに出展すると・・・
「銅賞」をいただきました。

お陰様で 足首のほうも完治しました。
そう 痛くないのです。

そして二つの作品の入賞

72歳 
当たり年の現役青年は今年も走り続けましたよ。

会社からは「もう一年 働いてほしい」
との 吉報も暮れに届きました。

アルバイトとはいえ 働けることに感謝です。




クリスマスの明石大橋

2016-12-26 22:15:17 | 日記


見ましたか?
クリスマスイブの24日のパールブリッジの電飾のすごさを・・・。
http://www.rurubu.com/season/winter/illumination/detail.aspx?SozaiNo=280007

前日にも試験点灯があったらしいのですが、次の日24日の新聞で知りました。

満を持して19時に2階のベランダに・・・
過去には何度も経験してきた 
ただ単に3色1セットの電球の束を 等間隔でぶら下げていて 色を調合してほとんどの色合いを出して居るだけであった。時には真っ赤に染まり 真っ青にもなり・・・

しかし色が流れる光景は一瞬ではあったが 初めて目にするものであった。
「出来るんだ」

一斉に 淡路島側から神戸側に向かって流れくる光の色に驚きを覚えた。
距離にして4Kmもの長さの橋を支えているワイヤーの先端についた電飾が 数秒で我が家の近くの明石側に流れてくるのである。

驚き!

感動!

を、味わいました。

地元の新聞記事です
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201612/0009776011.shtml









年末ですね

2016-12-10 22:04:20 | 日記


年の瀬ですね
あたふたとしています。

この歳になってもまだ使ってくれる会社がありますので、アルバイトではありますが週に2-3日出かけています。

ありがたいことです。

で、明日は朝早くから 「自治会の溝掃除」
また、年末が近づくと家内から 大掃除だとか 孫が来るから餅つきの用意だとか・・・
色々ありますわ
じっくり時間があるようなのですが・・・


僅か30分ほどの時間ですが 体がついてきません。
ここら辺りも 限界集落でしょうか
平均年齢は70歳を超えているのではないかと思います。

昔は華やかだっただけに
大変です。







秋? 冬?

2016-12-08 21:54:33 | 日記



秋なの それとも 冬なの?
済みきった青空

北海道ではマイナス20度超えとか言っていますが・・・

こんな写真を載せると 叱られそうな気もします・・・。

見上げたその向こうには、飛行機雲がたなびいていました。





まさか

2016-12-04 19:27:02 | 日記


次の日 その看護婦長さんからの電話がありました。

「森の子羊」さん 年明けに県立がんセンターからの紹介状を入手して下さい。
1月15日までであれば内科 外科の先生がいます。
ただ、それ以降は外科の先生がアメリカの学会に出ますので 内科の先生だけになりますので・・・
手術状況によっては外科の先生も待機する手立てが出来ています。

電話の先では 信じられないような言葉が聞こえてきます。



正月を待って 年が明けて始めて行った県立がんセンターでは
「今からでも内科に帰れますよ」

そんな言葉も すでに私の耳には聞こえてきません。

部長先生から3番目の先生に 言いました。
「先生実は 紹介状を書いて欲しいのですが・・・」
「なに・・・」
急に不審そうな顔つきになります。

県立がんセンターの看板を背負って 自負して出た言葉だったのだろうが・・・
まさかここで 転院をすると告げられようとは思っていなかったようです。

それまで 持っていた ボールペンを投げるように机の上に置いて・・・
睨みつけるような眼で私を見ます。

「判りました」

「用意しますので、外で待ってください」


私が転院したいと告げた個人病院は
2-3年前から国立がんセンターから先生を集めた病院だったのです。

私が その病院の婦長さんと知り合いになれたのも偶然です。
その病院に ガンと取り組む先生がいたことも偶然です。
そして たまたまではあるが手術が即刻出来る体制に整えてくださったこと。

ただいえるのは やみくもに その婦長さんにお願いしたわけではありませんでした。

息子の嫁が買ってくれていた「ガンに関する本」に
なんとその病院の名前があったことである。


紹介状と それまでの胃カメラ映像のCDを手に・・・
H先生にお会いしました。

「子羊さん、渡してもらったのはこれだけですか?」
不審そうな先生の声・・・
「はい そうですが・・・」

「実は 胃カメラ映像がモノクロなんですよ・・・」
返ってきた返事に唖然としたわけです。

県立がんセンターで見た画像は、内科でも 外科に回っても目にしたが 間違いなくカラー画像だった。


あの急変した態度から・・・
信じられない紹介状が渡されたとしか言いようがないのです。

しかし 無事私の胃の中に出来たがん細胞は、数日後には綺麗に剥離されていました。

助けてくださってありがとう。