「天」の中に含まれている絶対性、人間からいうならば
実践性、これを「道」というのです。
だから一切は「道」によって存在し、「道」によって
活動しているわけです。
これが一切の存在、一切の生の原則であります。それが
人間にあらわれたものを、「徳」というのです。
人間は「徳」をもった存在であります。
「徳」をもたなければ、人間は生きられないのです。
不徳な人間は、必ずロクなことはない。最後には
破滅する。
すなわち人間の本質、これあるによって人間であり、
これを失えば人間でないというのが「徳」というのです。
東洋の本来の思想、学問からいうと、「道」がすなわち
「徳」なのです。
「天道人徳」であります。それを結んで「道徳」という
ので、人間の存在、活動の根本原則を「道徳」というのです。
「道徳」は非常に広く、かつ深い意味をもっています。
民族的な歴史伝統にもとづく学問概念と、西洋近代の学問
とは非常に違うのです。
そこに現代の日本人は頭の混乱があります。
安岡正篤先生
―人生は難題克服に味がある―
より
実践性、これを「道」というのです。
だから一切は「道」によって存在し、「道」によって
活動しているわけです。
これが一切の存在、一切の生の原則であります。それが
人間にあらわれたものを、「徳」というのです。
人間は「徳」をもった存在であります。
「徳」をもたなければ、人間は生きられないのです。
不徳な人間は、必ずロクなことはない。最後には
破滅する。
すなわち人間の本質、これあるによって人間であり、
これを失えば人間でないというのが「徳」というのです。
東洋の本来の思想、学問からいうと、「道」がすなわち
「徳」なのです。
「天道人徳」であります。それを結んで「道徳」という
ので、人間の存在、活動の根本原則を「道徳」というのです。
「道徳」は非常に広く、かつ深い意味をもっています。
民族的な歴史伝統にもとづく学問概念と、西洋近代の学問
とは非常に違うのです。
そこに現代の日本人は頭の混乱があります。
安岡正篤先生
―人生は難題克服に味がある―
より