そんなこんなありましたが、私は部活に入ることにしました。
なんせXに入ったのは当時放送部志望だったからです。
第1志望の学校とXに放送部があったので、Xに受かった時「放送部に入れる!」と思っていてワクワクしていました。
しかし.....
放送部のとある子(Hさんとしておく)と最初はなかがよかったのですがHさんは言い回しなどがキツく、私は少し神経がすり減ってしまいました。
前述した通り、私は元々空気があまり読めない性格でそれが災いすることが多く、まさかこんなところでも災いするだなんて思ってもおりませんでした。
最初は母に言えなかったものの、別の学校の友達や塾の先生、当時なぜか仲が良かった2年生の先生に軽ーく言ったところ『お母さんか担任の先生か顧問の先生に言った方が良いよ』と言われたので私は母に言いました。
母は『顧問の先生に伝えなさい』と言ったので顧問に伝え、顧問にも担任には伝えておいてねと仰っていたので、担任にも伝えました。
その事は先輩にも伝えられ、私の希望もあり様子見ということになりましたが、私は9月になるともう限界になってしまいました。
そんな時Xにはそのようなことがあった時の救済措置があったことを思い出しました。
『9月中にも転部、退部、新入部、休部の届を出すことができる』
この措置を思い出し、顧問とも母ともじっくり相談した結果、放送部を退部しました。
一瞬『これで良かったのかな...?』『過去の私が見たらどう思うかな...?悲しむかな...?』というきもちもありましたが、限界を迎えていたというのもあり、退部することには未練はありませんでした。
むしろ今では友達とかに「一時期放送部入ってたけど辞めちゃった〜」みたいに笑い話にできてるのでモーマンタイです
さぁ次は何部に入るか...となった時私は、昔から歌うことが大好きでピアノもやっていたことから合唱部に入ることにしました。
合唱部に入ったら大好きな音楽をやることが出来る!
と当時の私は思っていました。
後にこのことも転校の理由の一つになるとも知らずに...