こよみ

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なんのために?

2023-09-22 19:37:00 | こぼれ話
えー、、、唐突にブログを書きたくなったので書こうと思います






私、今日LINEで友達に叱られてしまったのですね🥺




学祭の時に忙しい時に伝達すべきことを伝達し忘れてしまったからでした





でもむしろ嬉しかった。





友達、ありがとう





学校でも会ったら謝るのとありがとう言おう、、、







そして唐突に思い出しました。






「全日制高校から通信制高校に転校した話」
でも書いたようにM子達のことを。



(M子達については全日制高校から通信制高校に転校した話のカテゴリから見ることが出来ます。)









今更だけど……

なんでM子達はやめて欲しいとかそういうことをいってくれなかったのかしら



と。




まぁ細かいこととか言ってくれた時はありました。ただ、全ては言ってはくれませんでしたね、、、


まぁそれを辞めなかった私もバカでしたけどね、、、、





極端な例えですが、『SPY×FAMILY』の主人公『アーニャ』じゃあるまいし人の心なんて読めるわけが無い。




「こういうことはやめて欲しいな」と一言。「そっか。ごめんね。」と反省。そしてもう繰り返さない




そういうことをしてくれたらこのようなことにはならなかったのかなと思いました。





なんのために口があるの?口だけじゃなくてなんのために言葉を発せるの?そもそもなんのために言葉があるの?




仮に口で言えなかったにせよ今回の友達のようにLINEなどで伝える手段もあったはず。

LINEが苦手だとしたら手紙でも言えたはず。





なんのために手があるの?なんのために言葉を学ぶの?











でも、、、こんなこと書いておいて実はでした。



中学生の時に知った事でしたが、M子曰く、いえなかった理由は『私(こよみ)が1年生の時に友達が出来なかったと聞いたから。』との事でした。





気を遣わせてたのは私の方だったのですね、、、、






でもそう思いつつ、前述したように「私に一言言ってくれれば良かったのに」という気持ちにもなりました。




上手く言えませんが、あの日のことを思うと心の中の自分がこのふたつの意見で対立している感じですね、、、、








皆さんはどう思いますか?













追伸
実を言うと「その瞬間に嫌なことをやめてって言ってくれたら、、、お互い嫌な思いをしないで済んだ、お互いの友情も崩れなかった、私の母という殆ど見ず知らずのオバサンにも悪者扱いされないで済んだのに」と思ってしまいますね、、、


その気遣いを“余計なお節介”というつもりは毛頭ありません。ただ、先程の前述の通りなんのために口があるの?なんのために声を発せるの?なんのために言葉を知ってるの?なんのために手を使うの?と思ってしまうのは変わりません。


ただ、それって優しさというものだったのかな、、?と思う自分もいる、、、、










なんなんだろうね、本当の優しさって

不思議なこと

2023-09-03 11:46:00 | こぼれ話
私の母方の祖父は私が小学2年生の時に亡くなった。


その日、私はピアノのコンクールがあった。あとから母の日記を読んで知ったことだが、祖父は容態が危うかったらしい。
それも母が「この日はこよみにピアノを、〇〇ホールで弾かせてください。」と書いていたほど。

当時、祖父のお見舞いには何回か行っていたが、酸素缶をつけている以外変わった様子は見受けられなかった。



これはいとこから聞いたことだが、祖父はピアノのコンクール中に息を引き取ったそうだ。


当時、父、母、私は母方の祖父母宅から車で1~~~2時間くらいの所に住んでおり、叔父(母の兄)、叔母(母の義理の姉)、従姉は祖父母宅の目と鼻の先に住んでいた。

連絡を受け、祖母と叔父と叔母と従姉は病院まで行き、しばらくして祖父は病院で息を引き取った。



連絡を受け、父、母、私はコンクールが終わり次第その足で祖父母宅に行った。



ちょうど祖父が亡くなる1、2週間前、従姉の小学校で修学旅行があった。しかも、従姉にとっては小学生最後の修学旅行が。




また、父方の祖父は私が高校2年生の時に亡くなった。

2年生になったばかりのある日、その日は体力テストがあり、帰りが早く、友達とマックでお昼ご飯を食べつつお喋りをしていた。家に帰ってからセーラームーンを見ていたら母に『おじいちゃんが病気になった』と聞かされた。


気持ちの整理が着かず、混乱していた。


ちょうどその時、約1ヶ月後に海外留学を控えていたため、留学初日や留学中に万が一のことがあったとしても私は応対できかねた。



その約1ヶ月後、海外留学の2週間くらい前、父方の祖父は息を引き取った。



四十九日は丁度帰国してすぐの日だった。





今思えばふと思うことがある。

どちらの祖父も私たちに気を使ってくれたのでないか?





母方の祖父もいとこの修学旅行の時、危うかったそうだが耐えて、ちょうど私の演奏中に亡くなった。


父方の祖父も留学の直前になくなり、四十九日も帰国してから行われた。





母方の祖父との思い出はとても少ないし、父方の祖父も昔は母と祖父は仲が良くなかったためかあまり思い出がないものの、私たちのことを考えてくれたのかもしれない。





おじいちゃん、ありがとう。
私、来年受験頑張るね。だから、パパの方のおじいちゃんもママの方のおじいちゃんも天国からこよみのこと見守っててね。