合気道鴻心館《明月会》Meigetsukai

美しい武道それが合気道《明月会ブログです》

氣をだす

2018年07月10日 | 合気道
だいぶ昔のことですが、難しい病気になってしまいました。30年くらい前かなぁ。

最初の数年間は超不調でした。

26歳~27歳から調子が悪くなり、自分ではどうすることもできず

症状は治まらず、病名も分からずにいました。

さすがに心配であっちこっちの病院をめぐりました。

脱サラして、学習塾を始めていたので

生徒さんや友人には「身体が不調です」とは言わずにカラ元気で毎日過ごしていました。

悪くは見えないと、会う人みな言っていましたっけ。

氣をはっていたんですね。

そういう時って、結構大丈夫なんです。

前向きにやっていたら、3年くらいでアッと言う間に病状の山を越えました。

発病から3年くらい。

人間って氣を張っていれば、頑張れるもんだと思います。

氣ってやっぱりものすごいもんです。

でもでも

これが、氣の知れた甘えられる人らに囲まれていたら

こうはなっていなかったと考えます。

筋肉が動かせず、足が痛いとか、俺は病気だからと、友人の誘いも断って内にこもってしまう。

病気なんだから事実なんだから、それはそれでもいいんですが。

でも、

「自分で決意して、親の反対も押し切って脱サラしたんだから」

軌道にのせようと始めた学習塾の生徒さんや

甘えていられない環境や人と接していると

「氣がでる」んですね。自然に。

氣を張り詰めている間は、何かに憑かれたように突っ走れる。

そういうものです。

今から考えたら面白いものです"氣"って。


AKBも歌っている間は凄いキャラクターでいられるでしょう。

ステージ時間なら、心の痛みを忘れ、やせ我慢もできるし、勇気もわいてくるっていう

そういうカラクリが人にはあると思うんです。

そうですよ、だから

ギャラリーや意識を向けてくれる人(観客)がいるってことは、凄く大事なことなんです。

自分がいて、自分の役割を務めていき、それを観ているお客さんが居てじゃないと「氣」なんて絶対出ないんです。

みんな、俺が俺がって自分本位なんです。

(日曜日の高倉台西道場でもそんなことを生徒さん達に言ったでしょう)、

自分の命は俺のものだって、ほっておいてくれって。

それは
氣が出ているって思うかもしれませんが、まったく違います。逆なんです。

自分のことを思ったら氣なんてでてきません。

みんな人間と言う気ぐるみをかぶって

人生を演じて、観客を楽しませて、夢を与えて、喜んでもらって

それでいいんです。

自分の行動で、

お客さんの心を変え、感動させ、震えさせられるから舞台にたっていられるんでしょ。

人生も舞台と考えたら、観客がいないステージに上がるっておかしいですよね。

観客がいて、役割があって

だから、生きていける

氣を出していくってこと。

自分のために生活していくって空しいことで

病気も自分のために治したんじゃないって

そういう意識、氣で生活してきたから

手足も失わずにここにこれたんです。

私のまわりの同じ病気のひとで、手足が100%無事なひとはとても少ないんです。ゼロかもしれません。

自分中心で生きていくことだけを考えていたら、死んでしまいたいって思うことありますよ。

私にだって、ある。

AKBだって舞台のすそで見守ってくれるひともいます。

一緒にステージで歌っている仲間も大事。

なにより、足を運ぶお客さんを意識しないと、自分にスポットはあたりません。

4番目の原則。「氣を出す」

外に向かって発していくものです。

武術で有れば相手です。

外に対して、人に対して、何かしてあげたくなるでしょ?

それが氣です。

合気道の氣は、自分の体(重)と相手の体(重)を同一にする意識だといえます。







最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。