精子提供ボランティア 愛情くん

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「あなたを好きになってしまう女性もいるのではないですか?」

2017年01月11日 18時28分18秒 | 提供を受けた女性からのご感想
「●○さん(愛情くん)を好きになってしまう女性もいるのではないですか?」
ご面談時に聞かれました。
人間同士ですし、惹かれ合うこともあります。
好きになっていただいたこともありますし、私も好きになってしまったこともあります。
魅力的な異性に真摯な態度で必要としてもらえることは、ヒトは誰でも嬉しく思うことなのではないでしょうか。
その様なことはとても自然なものだと思います。

私がこの活動の中で意識しているのは、私から熱を入れすぎないことです。
粘着質な女性はそもそも数も少なく、メールやその後のプロセスですぐに分かるため、お会いすることもありません。
ですから愛情くんがお会いする方は大人の女性として心惹かれる方が多いのです。
しかし、いくつかのとても痛くて、反省を伴う失敗の中から、私からお相手の女性に対し心の中の一線を越えない様にすることは、とても大切だと感じています。お互いの依存を避けるようにする、ということも含めて、です。
なぜなら、関係性は必ず変化するものであり、長期的にお互いに居心地の良いものにするためには、適度な距離感が必要だと思うからです。
芸術家同士の様にねじれ合って求め合い、憎悪による激しいののしり合いを繰り返したり、その相手を嫉妬に狂わせるため他の異性といることをアピールするなどといったことは、全く求めていません。
多少の距離と、少し淡白だけれど長期に渡れる信頼感や安心感に包まれて、ときめきや潤いも感じさせてくれる関係性を、ボランティアとして許される範囲の中で、求めています。

タイトルに関連した文脈の中で、触れたいことがあります。
それは、精子提供というボランティア行為が、自分の欲望を満たすことが目的なのか、または、周囲の方々のためとなることが目的なのかというものです。
このことは、精子提供活動の中で必ず何度も社会から問われる難題ですし、容赦ない疑いをかけられます。
もちろん、提供者自身が自分の行動に信念を感じられず、自己嫌悪に陥ることや、罪悪感に苛(さいな)まれる日もあるでしょう。
少なくとも私にはあります。
つい先ほど知った、ダライラマ氏の言葉があります。

「あなたの行動の動機が、人のためであるなら、何をしても構わないのですよ。」

という言葉。
脳科学など最先端のテクノロジーで、人格そのものを別のロボットなどの人工物に移植しようとしているロシアの若いIT出身の大富豪が、ダライラマ氏に謁見(えっけん)した際に、言われた言葉だそうです。
(このイツコフというロシアの富豪やその研究に関わる科学者たちは、遠い宇宙に行くには、1:自分の魂を0と1に置き換え光の速度での伝達を可能とするか光の速度自体を超える または 2:ロボットに自分の魂を移す、のどちらかだと考えている人が多い様です。なぜなら情報やロボットには寿命など時間の制約がないためです。)
「倫理観というものはお前にはあるのか?」や「傲慢め。恥を知れ。」、など、きっとその大富豪の彼も社会から「正しい」痛烈な批判にさらされ、自己欺瞞に苛まれる瞬間もあるのでしょう。
精子提供や選択的シングルマザー(選択的シングルファミリー)という生き方は、まだまだ社会からは、一部の柔軟な層や、時代の先端が好きな人々にしか許されていません。

そして、
愛情くんもそうですし、他のいくつかの提供者もそうだと思いますが、自分のストレートな欲望(自分のDNAを引き継ぐ子孫を許容される範囲で欲しいという気持ち)と、どこまでも他(た)のためにの精神での純粋さ・純真で真摯な気持ち。
その2つが同居しているのが真実だと思うのです。

仏のみこころなら、何が正しいのか。
人々を開放するテクノロジーや先端の価値観で許される範囲を、お釈迦様の教えを忘れずに、拡張していきたいと思っています。






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