何のための生きるのか。
きっと誰もが考えることでしょう。
私たちには、やがて死ぬことくらいしか確定していることはありません。
忙しく過ごす中で心がざわついて、考えることも欲望にまみれた汚いことに支配され、先ほど気付いたら教会のドアの前にいてハッとしました。
その中で10代の頃のことをふと思い出したのです。
愛情くんが尊敬する人は、愛情くんが19歳の頃、人生の目的は幸福の追求ですと答えてらっしゃって、共感しました。
精子提供を受けた出産でも、一般的な結婚を経た出産でも同じことでしょう。その本質的な動機は皆、幸せの追求なのだと思います。
幸せになるお手伝いをさせて頂けるこの活動はとても意義があると感じています。誰かに幸せになって頂く過程で、差し出している側も幸せを頂きます。
幸せを追い求めて生きていきましょう。
人間のその願望は、まっすぐなものだと思います。