透明人間たちのひとりごと

法と科学と男と女

  科学は進歩した。 しかし人類の福祉には一向に恩恵
 を与えぬ。  それはナゼであるか、つまり女に科学者が
 ないからである。
                              北村兼子

  明治44(1911)年、石川啄木が 「飛行機」 という題の詩
 を作った。  「見よ今日も、かの蒼空に/飛行機の高く
 飛べるを」 という詩である。

  前年の暮れ、徳川好敏と日野熊蔵の両大尉が、代々木
 ケ原で初めて飛行機の操縦に成功した。  ライト兄弟が
 人類最初の飛行をしてから、7年目である。   啄木より
 1年早く、「飛行機」 という題のドイツの戯曲を、森鷗外が
 翻訳し発表した。    飛行機は人間に幸福をもたらす、
 これで金もうけをしよう、という男の家庭悲劇である。 妻
 は全く逆だ、と反対する。  飛行機はどこにでも行ける。 
 国境がない、空中から爆弾を落せる、自然に対し人間の
 犯す罪科の極点だ、と言う。

  啄木も鷗外も実際に空を飛ぶそれを見ていないはずで
 ある。  読者もどのようなイメージで読んでいたのだろう。

  ちなみに飛行機という日本語は、鷗外が広めたらしい。


  上記の文は静岡新聞夕刊の 『文化・芸術』
(4月11日付)に掲載された ― とある作家の寄稿文章を
そっくりそのままに書き写したものです。

 言わばこの前段階で私は寄稿記事を無断借用している。

 つまり コピペ をしているわけですが、仮に 「※印」 以下
の記載がなくとも、まだ盗用したとは言えない状態です。

  「ゴジラ」 の生みの親の映画特撮監督、円谷英二は、
 幼時から飛行機が大好きだった。  飛行家になるべく
 上京し、羽田の 「日本飛行学校」 に入学した。  教官
 が墜死し学校が閉鎖され、志を断念せざるを得なくなる
 のだが、昭和5(1930)年、立川に移った同校に、26歳で
 入学したのが北村兼子である。

  彼女はフリージャーナリストであった。

  円谷と違って、子どもの頃から飛行機に目がないという
 人間ではない。  どうして飛行機の操縦を学ぼうとしたの
 だろう。  そして翌年7月、首尾よく飛行士の免許を得た。

  彼女は自家用機を注文、単独でヨーロッパに訪問飛行
 する予定だった。   

  ところが免許取得して1週間後 …

  虫垂炎から腹膜炎併発急死する。 


  ここでは文字を太字にしたり、拡大をしたり、行間に
スペースを入れるなど少しだけ加工を施しています。

  6年間で遺著を含め14冊の本を出版した。   驚くべき
 筆力だが、論評、小説、エッセー、ルポ、短歌などさまざま
 な文章を書いた人なのに、自分のことは、ほとんど語って
 いない。 従って、素顔が見えてこない。 彼女を研究する
 人もいない。 これという業績も残さず、若くして亡くなった
 という理由はあろうが、菊池寛が「女流文学者中の異彩
 とたたえたその文章と反骨の思想は、再評価されてよい。

  本稿は彼女の唯一評伝というべき 大谷渡氏

 kirakira2 「北村兼子 炎のジャーナリスト」

 負っている。


  寄稿者は記事が大谷渡氏の著作物からの抜粋・引用
あるいはパラフレーズ(言い換え・置き換え)したものである
ことを本文にて明記し、盗用・剽窃(ひょうせつ)となり
得るリスクをここで回避させています。

  ではまず兼子の独特の文章表現を、一、二、著書から
 抜きだしてみる。

  冒頭の言葉に続いて、女学校科学 を教えよ、
 科学 こそ女性 に適した学問であると説く。 

  「男性にばかり任して置けば 折角の発明は喧嘩に使用
 せられて野蛮時代に逆転する」 

  「道路を拡張してもその目的は国民の福祉を増進させる
 のが目的でなくして、まさかの時に軍用自動車を走らせる
 のが本当の目的だ。   飛行機を奨励しても文化に貢献
 させるのが目的でなくして、まさかの時に頭上から爆弾を
 見舞ふのが目的だ」

  次は大学卒業生へのはなむけの文。

  「現代の青年に最も欠乏してゐるのは素直な気概で
 あって最も多すぎるものは曲がった小才子である」。

   尊い学問を売るな、与えるのだという気概を持て、
 と続く。

  「私は女である、女であるが為何十年大学に在っても
 学士にはなれない。 (略) 併(しか)しそれで好(い)い。

 学問は人を造る、学問によって人になろうとするその高邁
 (こうまい)な理想に活きてゐる私は幸福である」

  兼子は関西大学で法学を学び、高等文官試験を受け
 ようとしたが不許可となった。  当時、女性には受験資格
 がない。  大阪朝日新聞記者になった。  しかし、辛辣
 (しんらつ)な皮肉と、男社会への批判、軍国主義嫌悪
 等
がゴシップ誌の反感を買い、会社に迷惑が及んではと
 自ら身をひいた。

  「電線にかゝりし紙鳶(たこ)の飛びもせで
             そのまゝに朽つるわが身悲しも


  大空を自由に羽ばたきたかったのだろう。  

  しかし、ペンの人が飛行機に憧れるのはわかるが、
 あやつるに至るとは。

 
 さて

 ブログエントリーの草稿に利用した記事の執筆者である
 ― とある作家とは出久根達郎氏であり、出典元である
静岡新聞 夕刊の文化・芸術CULTURE&ART) 欄での
タイトルは 『出久根達郎の人に言葉あり』
ですが、多少の加工はしたものの 「※印」 に記した文章
以外は掲載記事の文面の一字一句として違(たが)わず
に、プレフレーズすることもなく、ルビにいたるまで忠実に
なぞっていますが …

 exclamation これは盗作にあたるでしょうか

 文字やフレーズを装飾し、行間を演出するなど外形的な
加工を施しただけで、何のクレジットも表示しない場合は、
悪意のある剽窃だとみなされてしまうのでしょうか

 
 「北村兼子」 という女性ジャーナリストを紹介する内容で、
女性記者・北村兼子 男社会、軍国主義を批判
というキャプションが記事にはつけられていますが …

 著作権侵害剽窃になるのでしょうか

 一般に「剽窃」とは、他人の作品や論文(学説)を自分
のものとして発表する ― いわゆる パクリ のことです。

 「※印」 にあるような注釈文がまったくないと仮定すれば、
一字一句の変更もなく、出典記載も脚注もソース(出所)や
本文中での参考文献などへの言及も何もないままの完全
なるコピーだとしたら剽窃以外のなにものでもありません。

 例えば、ブログ記事における剽窃容疑(疑惑)としては …

 1 本文中での言及、脚注、出典の注釈、外部リンク先の
   紹介など何処にもソースを明らかにせず、一字一句を
   そのままコピーしたものや僅かなパラフレーズのみで
   記述した場合は最も悪質な剽窃であって、偶発的には
   起こりえない類似物としての最悪なパターンですが …

   個人的には外連味(けれんみ)感がタップリで、むしろ
   「凄いな」 と感嘆し、後に絶句してしまうわけです

 2 出典を記事の何処かに記載してはいるが、コピーした
   文章や文節の直後ではない場所にそれとなく明示して
   いる場合は、記述を自己の制作(創作)物として誤認
   させようとする意図が見えると疑われるパターンです。

   場合によっては一番汚い剽窃かもしれません

 3 出典などの注釈が適切な位置に明示されてはいても、
   本文中での出典についての言及がなく、完全なコピー
   若しくは僅かなパラフレーズだけの場合には、自己の
   制作(創作)物であると誤認させる意図はないとしても
   剽窃であるとみなされる可能性がありますので十分な
   注意が必要です。

   コピーされた範囲が広くて、パラフレーズされる言葉が
   多ければ多いほど、より深刻な違反となり得ますので
   「〇〇に寄れば …」 とか、[△△の主張では …」 など
   と本文中において出来る限りの範囲で言及しておけば
   剽窃疑惑のほとんどは避けられるはずです。 

 4 出典をまったく記載せずに文節や文脈を自分自身の
   言葉で要約または改変する行為も剽窃に該当します。

   何故ならば、その記述は他者の著作に密接に関連し
   依存しているからです。

   要するに、言説文では出典注釈を節や段落の末尾に
   記載し、参照した文献を出典として明記しておけば、
   何の問題も起こりません。

 ところで

 STAP細胞捏造疑惑の渦中にある小保方氏の博士論文
における20ページにも及ぶコピペ騒動には、あんぐりとする
一方で、論文の主要部ではない概説部にあたる公知的な
解説ならば、たとえ何ページであろうともコピペという手段
を講じてもかまわないではないかという意見がありますが、
パブリック・ドメインやフリーな著作物であっても論文として
出稿する場合には出典の明記は必要であり常識でしょう。

 記述内容によっては、創作性などが認められないために
剽窃とはみなされない場合(一般的な表現や創作性のない
事実あるいは科学的・数学的な公理や公式または単純な
論理の記述)など、もちろん あることはありますが … nose4ase2


 科学は進歩した。 しかし人類の正義には一向に恩恵
を与えぬ。 それはナゼであるか、つまり女が科学者に
なったからである。
                          透明人間1号

 ところが

 小保方氏のような理系女(リケジョ)よりも、さらに怪しい
のが「女性にしかわからない科学がある」
豪語妄信するフェミニスト たちの存在です。

 この世の中で …

 「女性だから思いつく」 ものはあったとしても、

 「女性にしか分からない」 というようなものは

 「おそらくはないのだろう」 と思うのです。


 それでもあると強弁するなら … 

 それは科学とは呼べないし希望にみちた

 未来のない絶望だけの世界でしょうね

コメント一覧

男組2年生
彼女は何がしたかったのでしょう?
そのぉ、小保方さんですが・・・

それでも、まだ、どこかで期待したいという気持ちが強いのは何なのでしょう?

男の性ですか!?
むらさき納言
「~ つまり、女が科学者になったから」の件は、そのまま読めば女性差別、女性蔑視であることは否めませんが、その言葉の裏にある本質は逆説的であって、本当は男性も女性もなく等しく実力と事実だけが物を言う世界という意味なのでしょうね。
透明人間1号
小保方氏に対して批判的であることは否定しません。
人類の正義に科学が貢献しないのは、「原爆」にみるまでもなく自明ですが、その理由として「女性が科学者になったからだ」と断言したのは、他の分野と比較しても女性の割合が少ないのは科学や物理の世界で特にそれが顕著だからです。
つまり、この場合に女性が原爆に相当するのではなく、女性の割合が原爆の製造という悪行に相応するという意味で、科学に正義が存在しないと言っているわけではありません。
透明人間1号
科学と正義は別次元の問題だということに異論はありません。
ならば、なぜに「~ つまり、女が科学者になったからだ」といったのか、疑問が生まれるのは当然ですが、それは多分に比喩的であって、男も女もなく人間は“法の下に平等である”がしかし、その受け持つ役割には自ずと違いがある、ということです。
女性の社会進出を否定するものではありませんが、それによるデメリットも無視できないという意味です。
アンチ党員
科学には福祉も正義も関係ない。 必要なのは事実だけだ。
オボチャンズ
最終部の“ところで”以下は直接的な言及はなくても、暗に小保方さんを批判するものであることは明白です。
“それでもあると強弁するなら…”は、「STAP細胞はあります」と言った小保方さんの記者会見を連想させるものです。
ココナン
「正義がないのは女が科学者になったから」 … という一節が、冒頭の北村兼子の言葉と対をなすことはわかりますが、最後の部分は婉曲的に小保方さんを批判するものですか?

それとも単にモジってみただけのことなのでしょうか?
はだかのケン
最近は卒論もネットでゴーストライターから論文を買ったり、コピペする学生が多すぎて、チェックする側が追いつかないらしい。
盗作・剽窃ソフトを駆使して探すらしいが大変みたいよ!
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