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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 目的地(改)

 「目的地」、まさに、そんなブログの引っ越し作業の結果、

100を超える記事の画像が表示できなくなり、非公開としました。

記憶を呼び起こしつつ、漸次、復活・再生させるつもりですが、

正直、皆目見当のつかない画像も多々あります。

ダ・ヴィンチの罠 目的地 - 透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 目的地 - 透明人間たちのひとりごと

このページの画像は、故あって表示されませんが、連続性を担保する意味合いからも、そのままで公開し、別途、新しく作り直すことにしました。同じ内容ですが、画像はその限...

goo blog

 

 url『ダ・ヴィンチの罠 目的地』

 上記のように、連続性を維持することは、このシリーズの

重要なファクターですので、時間がかかっても復活・再生を

果たさなければならないのですが、漸くこれで62作目です。

 さてと、それでは、ここからが、

『ダ・ヴィンチの罠 目的地(改)』

 の記事になります。

 (以下、本文)

 

 前回の記事では、『異端者』という切り口から
の考察を試みたわけですが、視点を変えれば、

 地球という惑星に棲まうすべての生き物に
とっての異端者は紛れもなく人間でしょう

 なんとなれば、我々、

 人類は誕生以来、自然との共生や共存の道を
歩むことなく、「自然を克服する」という義の
もとに常に挑戦する姿勢を前面において自然界
のあらゆる事象に対峙してきました。

 url『ダ・ヴィンチの罠 小宇宙』

 でも、書いたように、 

 西欧諸国(キリスト教圏)における龍退治とは、


    出典:popcultureplaypen.com

 宇宙論的に言えば、カオス(混沌)をコスモス
(秩序)へと変えることを意味していました。

 自然の驚異や力を象徴する(竜)との戦い
は、人間が自然と格闘して困難を克服し土地を
開墾する、換言すれば、混沌なる力が支配する
自然界を人間が制御し、コントロールすることを
標榜し指向することを意味していたのです。

 龍退治が「自然の克服」であり、混沌を秩序へ
と変えるということは、そこに情報やエネルギー
が集まり、「文明」という集積回路が出来上がる
ということですが、一方では山を切り崩し、谷を
埋めて、平坦な土地を造成し、自然が形成した
オーダーを破壊して、自然のもつ秩序を崩して
いるだけのことなのです。

 何のことはありません。

 熱力学第二法則が教えるエネルギー保存の
法則によれば、それは 単に、情報を他に移動
させているだけのことであって、エントロピーは
確実に増大しているわけです。

 エントロピーとは、熱力学における不可逆性
を表す指標ですが、秩序から無秩序(混沌)に
向かうことを 通常、「エントロピーが増大する」
と言いますが、一見、無秩序であるかのように
見える自然の姿を人為的に制御(コントール)
して、整然としたものに変えようとする行為が、
実際にはエントロピーを増大させているという
ことなのです。

 同じようなことは「グローバル化」という
大義(現象)の中にも見え隠れしています。

 グローバリゼーションという言葉の響きは、
国際的(インターナショナル)という概念
極めて弱い日本人には、どこか魔法の呪文
のように聞こえていたのかもしれませんが、


          出典:kokusai-enkaku-kyoiku.co.jp

 コロナ渦中でのWHO(世界保健機関)の
失態劇や中国依存の実態に限らず国際連合
(UN)、その他の国際的機関、世界貿易機関
(WTO)やユニセフ(国際連合児童基金)や
ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)等
の欺瞞性や矛盾に漸くのことに気づき始めた
のが日本人というお花畑の住人なのです。

 そのことに言及してあれこれと綴りたいのは
やまやまなれど紙幅の都合上、割愛せざるを
得ないことは残念ですが、日本人がその事実
の一端に気づけたことは コロナ禍中における
唯一の救いであったと言えるでしょう。

 ヒト、モノ、カネの自由な往来が世界的に
広がることは、同時に負の遺産としての疫病
(感染症)のリスクもグローバル化するわけで、

 今回の新型コロナ(感染拡大)の脅威も自然
への挑戦による驕った“人間の欲望”に対する
しっぺ返し(そこに陰謀が見え隠れしていても)
であることは言うまでもありません。

 グローバル化される前の地球環境であれば、
新型コロナも武漢で感染爆発があったとしても
被害は周辺の地域への若干の拡大にとどまり
「中国南部で風土病(肺炎)が流行して多数の
死亡者が出た」との情報が、ゆるやかに世界
へと伝播しただけに過ぎなかったことでしょう。
 
 つまり、



 人間のレベルで正否や是非を識別し、正邪
や正誤を判断し、善や悪を論じたとしても、


            出典:iStock.com(BlackJack3D)

 結局はエゴという枠から抜け出せない以上、
自然破壊にストップがかかるということはなく、
いずれは手痛い「しっぺ返し」を食らわされる
ことになると、そう予見していたと受け取れる
言葉がダ・ヴィンチの手稿に散見されます。

 「人間の巧妙さが、自然が創造するものより
 も美しくシンプルな、あるいは 正確な発明を
 することは決してできない。 なぜなら自然の
 女神の創造物には 何ひとつ欠けるところが
 なく、何ひとつ過分なものがないからである」

    (レオナルド・ダ・ヴィンチ)

 今で言うエコロジー(ガイア理論)の思想
を持っていたダ・ヴィンチは、

 「自然は自己の法則を破らない」

 換言すれば、

 「法則を破るのは、常に人間だ」

 と言いたかったのです。

 ついでに言えば、「自然の女神」という
言葉からしても キリスト教的な表現ではなく、
「地母神」(ガイア)的な発想ですよねpeace

 おそらく女神の存在がキリスト教において
魔女を創作させたのだと思われますが、


            『受胎告知』 聖母マリア部分


 彼が『受胎告知』に、魔女のものらしき
“謎の肢”をこっそりと描き込んだ裏側には、
そうした思いがあったのかもしれません

 

 皮肉を込めて、隠喩的に、表象した


 イメージが、これらの「謎」に満ちた


  『犬など爪のある肢の習作』1485年
    (Studies of a dogs paw,about)
   ダ・ヴィンチの素描(動物の肢)

 状況証拠たる「罠」の数々なのです。


『龍とライオンの戦い』(聖母子が三方向に描かれている)

 それらの具体的な意味合いについては、
これまでの記事に分散されていますので、
そのさわりとなる解説として、取り敢えず、

 url『ダ・ヴィンチの罠 サイン』
 url『ダ・ヴィンチの罠 謎の肢』

 などを参照してみてください。


 ところで



 「我々はどこから来たのか、我々は何者か、
            我々はどこへ行くのか」



 これは、フランスの画家ポール・ゴーギャンが、
1897年から1898年にかけて描いた絵画の題名
(タイトル)ですが、

イメージ 2
  「我ら何処より来るや 我ら何者なるや 我ら何処へ去らんとするや」( 部分 )     

 我々が本来、目指すべき本当の『目的地』
『行き先』とは、一体、どこなのでしょう

 キリスト教的には「天の御国」ということに
なるのでしょうが ・・・

イメージ 1
  「我ら何処より来るや 我ら何者なるや 我ら何処へ去らんとするや」 (部分) 

 小生には、到底そうは思えない疑問ばかりが
脳裏で渦巻いています。

  イメージ 2  
     「我ら何処より来たる」

 おそらくは、

 レオナルド・ダ・ヴィンチもそうした矛盾のなか
「罠」の構築を決意したのでしょう。

 さて

 今日の「コロナ禍」騒動を見るにつけ、

 

 人類が目指すべき理想の『目的地』
(行き先)は、豊かな自然と共生し、あらゆる
生き物との共存が可能となる本来的な意味
での「エデンの園」なる地球姿
(環境)に戻ることではないのかと・・・

     

 小生にはそう思えてならないのです。

 環境汚染や自然破壊、急激な気候変動
や資源の枯渇等々、現代社会が直面して
いる諸々の問題は、どれをとっても地球
規模の全世界的な問題で、かつての人類
が経験したことのないものばかりですが、

 現在において、最も手強い未知の敵と
なっているのが新型のウイルスたちです。

 今回の新型コロナの蔓延が自然発生的
なものなのか、人工的なものだったのかに
ついては究明されなければなりませんが、

 環境問題だけではなく、感染症の拡大も
その根っこにある肥大化する人間の欲望
に原因の一端を見ることが出来るのです。

 何はともあれ、いまは新型コロナの感染
阻止や収束に向けて、その総力を挙げて
挑まなくてはならない喫緊の難敵となった
ウイルスたちですが、彼らは極微小ながら
も、われわれ人類よりもずっとずっと以前
から地球に存在していた大先輩です。

 ダ・ヴィンチが、そのことを知っていた
とは、到底のことに、思えませんが、
  
    (知ってたかもよ!)

 我らがレオナルド・ダ・ヴィンチ
過去の地球の姿から未来の地球の情景
までを『モナ・リザ』の背景に描写して

   

 自然破壊が引き起こす悲惨なる結末を
警告していましたが、聖書的な終末の預言
内容や解釈には懐疑的だったと思います。

 したがって、もし仮に 人類に対して、

  

 (サムシンググレートright自然)からの
鉄槌が振り下ろされることがあるとしても、
そこに反キリスト存在サタンなど
を見ることはありませんでした。

 現実主義者のダ・ヴィンチには、自然から
の逆襲はあり得ても、終末に関する聖書の
預言内容には理解が及ばなかったのです。

 たとえば

 我々の目に真実は、たった一つだけのよう
に見えますが、今、我々に見えている世界は、
現実の一部で、「真実」は一つではない。



 ダ・ヴィンチはそうした考えを基本ベースに
作品中に数々の「罠」をしのばせました。

 この「罠」は、実際に感知可能な現実の
世界とオカルトの世界のほかに 解析能力の
有無、言わばリテラシー(読解力)の優劣
によって、その理解に大きな違いが見られる
という特徴を持っています。



 但し、ここでは情報を伝える側のリテラシー
(適切なる表現)は完全に度外視され、むしろ
誤解を生む恐れのあるような微妙なタッチの
描写に終始していますが、

 
 出典:レオナルド・ダ・ヴィンチの小部屋

 それこそが、「罠」としてのダ・ヴィンチの
狙いでもあったのです。

 ダ・ヴィンチの時代のメディア媒体といえば、
文字や絵で、そこに活版印刷が登場すること
で、情報の伝達は大きな変化を遂げます。

 今を遡ることおよそ2000年前の後漢時代の
中国において、実用可能となる紙が発明され
紙媒体の持つ利便性が格段に進歩しますが、
それ以降、紙媒体は紙のままで、1400年もの
月日が経過してしまいます。

 そんな停滞状態の紙媒体に、新たな進化を
もたらしたのがグーテンベルクでした。


        グーテンベルクの肖像

       出典:www.try-it.jp

 彼の発明した「活版印刷機」は、羅針盤、
火薬と並んで、ルネサンス三大発明のひとつ
に数えられていますpeace

 それまでの書籍物は、書き写しや木版印刷
によって製造されていたために非常に希少で
価値の高い代物だったのですが、これにより、
ヨーロッパでは本の流通が劇的に活発化する
ことになります。

 このグーテンベルクの活版印刷技術の発明
によって、ひとつの情報を大量に複製すること
が可能となり、一般庶民への『聖書』の普及
もまた この恩恵に浴するものであったのです。

 しかしながら,

 大量の複製が可能になったとは言え、現代
のようなインターネットによるインタラクティブ
(双方向)での情報交換が出来る時代と違い、
一方通行が前提のルネサンス期においては、


    イエスの奇跡(水上歩行)exblog.jp

 発信するツールによって受信者や鑑賞者が
特定されるので、「どのように伝えるか」という
伝達手段や方法は極めて重要だったのです。

 カトリック教会が宗教画に熱心だったのは、
それがその時代の最先端をゆくメディア戦略
であり、「宗教画」=(見ることができる聖書)
を利用して 文字が読めない一般の民衆にも
わかりやすく、ダイレクトに劇的なる奇跡
シーンを見せるつけることで信者の心に訴え
かけて帰依させようとしたのです。

 要するに、宗教心を刺激したわけです

 教会等からの要請(注文)に応じて、宗教画
の大量生産(複製)システムを構築したのが、

  
 ピーテル・パウル・ルーベンスの肖像

 バロックの巨匠のひとりであるルーベンスで
あったことは、

 url『ダ・ヴィンチの罠 眠り猫(改)』

 でも紹介しましたが、現代風に言い換えれば
マンガ家(師匠)とアシスタント(弟子)等による
専門的作業分担方式 = 完全分業システムで
あったわけで、こうした量産スタイルの元祖的
な存在と目されるのがルネサンス三大巨匠の
ひとりラファエロ・サンティであり、


       ラファエロ・サンティの自画像

彼が若くして亡くなっているのにもかかわらず
多くの作品が残されているのはそうした理由に
よるのです。


   ルネサンス三大巨匠 blogs.yahoo.co.jp

 ちなみに、この二人は、


    ピーテル・パウル・ルーベンスの肖像

 ダ・ヴインチの絵に仕組まれている「罠」
の存在に気づくことが出来た数少ない人物で
あって、ラファエロは 未必協力者として、
また、ルーベンスは相対的な意味においての
理解者であったと考えられます。

   
 ルネサンス三大巨匠 www.el.tufs.ac.jp

 このあたりの考察については、

 url『ダ・ヴィンチの罠 外交官(改)』

 を参考にしてください。

 また、

 「ダ・ヴィンチの罠」構成する
プロットのひとつに 異星人の介在が
挙げられますが、そこには多分に比喩的
な要素が強く反映されていて、イスラエル
(ユダヤ人)に対する異邦人であるとか、
異教徒の存在を隠喩的に表象している
とも考えられますが、


 
    『洗礼者聖ヨハネ』 の鏡絵 deskgram.net

  
 『洗礼者聖ヨハネ』 1513-1516年

 然は然りながら、

 異形なる姿かたちをした者たちの存在
をダ・ヴィンチが、本気でイメージしていた
ことを否定出来ないのは幼少期における
洞窟での幻視体験があまりに生々しい
ものであったと推察できるからです

    
   画像元:takashi1016.com

 意味不明の方は、 

 url『ダ・ヴィンチの罠 松果体』
 url『ダ・ヴィンチの罠 白日夢(改)』

 などを参照してみてください。


             画像元:momo.rex.com

 それが故に、

 url『ダ・ヴィンチの罠 美意識』

 でも、紹介したように 「変顔フェチ」
いうか、美醜の点からは、むしろ、グロテスク
で 醜い部類にカテゴライズされるユニークな
顔立ちに甚くご執心で、人混みに出る際には
常にスケッチ用具を持ち歩き、気に入った顔
を見つけると どこまでも追いかけて行っては
素描のモデルを頼んだようで、その執着ぶり
は当時から街のうわさになっていたようです。



     グロテスクな顔の素描
     
 ひょっとすると、

 人間離れした容姿の中にに見た異星人
の面影を探していたのかもしれませんね。


   「え !!
     
    

  「あっ、いやいや

   

  「アンタは大丈夫じゃよ」

  
ユダの習作(上)と『最後の晩餐』のユダ(下)

  「あやしいが知っとる顔じゃ」

 問題は、



 「こいつの正体じゃな !!

   

 「奴は何者なんじゃ !!

    

 イエスに、トマス、大ヤコブ、フィリポと、

  

 四人もいるけど、

 「いったい誰の事かしら」

 

 な、何だ、

 「オレの話じゃなかったんだ」

     ああ、よかった。

 ・・・ っておいおい

 
   新型コロナウイルス(COVID-19)

 今回は、「コロナ禍」での自粛にともない、
内容を若干変更してお届けしましたが、



 出典: iStock.com(wildpixel)
& iStock.com(BlackJack3D)

 次回は『異端者』たちの暗躍に話を戻して
独自の推理を続けたいと考えています。

   
   目的地と分かれ道 9164985194.amebaownd.com
 … to be continued !!

   

 では、また、次回に、 


  『最後の晩餐』ミラーイメージングしたイエス 

コメント一覧

小吉
全然関係のない話ですが、「原発停止」「廃止」に対して、堀江さん(堀江貴文)(ホリエモン)が「ばかじゃねーの」って言ってましたね。
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