見出し画像

透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 目的地

 このページの画像は、故あって表示されませんが、

連続性を担保する意味合いからも、そのままで公開し、

別途、新しく作り直すことにしました。

 同じ内容ですが、画像はその限りではありません。

  新たなページは、

 『ダ・ヴィンチの罠 目的地(改)』です。

 (以下、本文)

 

 前回の記事では、『異端者』という切り口から
の考察を試みたわけですが、視点を変えれば、

 地球という惑星に棲まうすべての生き物に
とっての異端者は紛れもなく人間でしょう

 なんとなれば、我々、

 人類は誕生以来、自然との共生や共存の道を
歩むことなく、「自然を克服する」という義の
もとに常に挑戦する姿勢を前面において自然界
のあらゆる事象に対峙してきました。

 『ダ・ヴィンチの罠 小宇宙』

 でも、書いたように、 

 西欧諸国(キリスト教圏)における龍退治とは、


   出典:popcultureplaypen.com

 宇宙論的に言えば、カオス(混沌)をコスモス
(秩序)へと変えることを意味していました。

 自然の驚異や力を象徴する(竜)との戦い
は、人間が自然と格闘して困難を克服し土地を
開墾する、換言すれば、混沌なる力が支配する
自然界を人間が制御し、コントロールすることを
標榜し指向することを意味していたのです。

 龍退治が「自然の克服」であり、混沌を秩序へ
と変えるということは、そこに情報やエネルギー
が集まり、「文明」という集積回路が出来上がる
ということですが、一方では山を切り崩し、谷を
埋めて、平坦な土地を造成し、自然が形成した
オーダーを破壊して、自然のもつ秩序を崩して
いるだけのことなのです。

 何のことはありません。

 熱力学第二法則が教えるエネルギー保存の
法則によれば、それは 単に、情報を他に移動
させているだけのことであって、エントロピーは
確実に増大しているわけです。

 エントロピーとは、熱力学における不可逆性
を表す指標ですが、秩序から無秩序(混沌)に
向かうことを 通常、「エントロピーが増大する」
と言いますが、一見、無秩序であるかのように
見える自然の姿を人為的に制御(コントール)
して、整然としたものに変えようとする行為が、
実際にはエントロピーを増大させているという
ことなのです。

 同じようなことは「グローバル化」という
大義(現象)の中にも見え隠れしています。

 グローバリゼーションという言葉の響きは、
国際的(インターナショナル)という概念
極めて弱い日本人には、どこか魔法の呪文
のように聞こえていたのかもしれませんが、


  出典:kokusai-enkaku-kyoiku.co.jp

 コロナ渦中でのWHO(世界保健機関)の
失態劇や中国依存の実態に限らず国際連合
(UN)、その他の国際的機関、世界貿易機関
(WTO)やユニセフ(国際連合児童基金)や
ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)等
の欺瞞性や矛盾に漸くのことに気づき始めた
のが日本人というお花畑の住人なのです。

 そのことに言及してあれこれと綴りたいのは
やまやまなれど紙幅の都合上、割愛せざるを
得ないことは残念ですが、日本人がその事実
の一端に気づけたことは コロナ禍中における
唯一の救いであったと言えるでしょう。

 ヒト、モノ、カネの自由な往来が世界的に
広がることは、同時に負の遺産としての疫病
(感染症)のリスクもグローバル化するわけで、

 今回の新型コロナ(感染拡大)の脅威も自然
への挑戦による驕った“人間の欲望”に対する
しっぺ返しであることは言うまでもありません。

 グローバル化される前の地球環境であれば、
新型コロナも武漢で感染爆発があったとしても
被害は周辺の地域への若干の拡大にとどまり
「中国南部で風土病(肺炎)が流行して多数の
死亡者が出た」との情報が、ゆるやかに世界
へと伝播しただけに過ぎなかったことでしょう。
 
 つまり、



 人間のレベルで正否や是非を識別し、正邪
や正誤を判断し、善や悪を論じたとしても、



 結局はエゴという枠から抜け出せない以上、
自然破壊にストップがかかるということはなく、
いずれは手痛い「しっぺ返し」を食らわされる
ことになると、そう予見していたと受け取れる
言葉がダ・ヴィンチの手稿に散見されます。

 「人間の巧妙さが、自然が創造するものより
 も美しくシンプルな、あるいは 正確な発明を
 することは決してできない。 なぜなら自然の
 女神の創造物には 何ひとつ欠けるところが
 なく、何ひとつ過分なものがないからである」

     (レオナルド・ダ・ヴィンチ)

 今で言うエコロジー(ガイア理論)の思想
を持っていたダ・ヴィンチは、

 「自然は自己の法則を破らない」

 換言すれば、

 「法則を破るのは、常に人間だ」

 と言いたかったのです。

 ついでに言えば、「自然の女神」という
言葉からしても キリスト教的な表現ではなく、
「地母神」(ガイア)的な発想ですよねpeace

 おそらく女神の存在がキリスト教において
魔女を創作させたのだと思われますが、


    『受胎告知』 聖母マリア部分


 彼が『受胎告知』に、魔女のものらしき
“謎の肢”をこっそりと描き込んだ裏側には、
そうした思いがあったのかもしれません



 この件については、

 『ダ・ヴィンチの罠 謎の肢』

 を参照してみてください。

 ところで



 「我々はどこから来たのか、我々は何者か、
            我々はどこへ行くのか」



 これは、フランスの画家ポール・ゴーギャンが、
1897年から1898年にかけて描いた絵画の題名
(タイトル)ですが、

      
      「我ら何処より来る」

 我々が本来、目指すべき本当の『目的地』
『行き先』とは、一体、どこなのでしょう

 キリスト教的には「天の御国」ということに
なるのでしょうが ・・・

 小生には、到底そうは思えない疑問ばかりが
脳裏で渦巻いています。

       

 おそらくは、

 レオナルド・ダ・ヴィンチもそうした矛盾のなか
「罠」の構築を決意したのでしょう。

 さて

 今日の「コロナ禍」騒動を見るにつけ、
 
 人類が目指すべき理想の『目的地』
(行き先)は、豊かな自然と共生し、あらゆる
生き物との共存が可能となる本来的な意味
での「エデンの園」なる地球姿
(環境)に戻ることではないのかと・・・

      

 小生にはそう思えてならないのです。

 環境汚染や自然破壊、急激な気候変動
や資源の枯渇等々、現代社会が直面して
いる諸々の問題は、どれをとっても地球
規模の全世界的な問題で、かつての人類
が経験したことのないものばかりですが、

 現在において、最も手強い未知の敵と
なっているのが新型のウイルスたちです。

 今回の新型コロナの蔓延が自然発生的
なものなのか、人工的なものだったのかに
ついては究明されなければなりませんが、

 環境問題だけではなく、感染症の拡大も
その根っこにある肥大化する人間の欲望
に原因の一端を見ることが出来るのです。

 何はともあれ、いまは新型コロナの感染
阻止や収束に向けて、その総力を挙げて
挑まなくてはならない喫緊の難敵となった
ウイルスたちですが、彼らは極微小ながら
も、われわれ人類よりもずっとずっと以前
から地球に存在していた大先輩です。

 ダ・ヴィンチがそのことを知っていたとは
到底のことに、思えませんが、

 

 我らがレオナルド・ダ・ヴィンチ
過去の地球の姿から未来の地球の情景
までを『モナ・リザ』の背景に描写して

   

 自然破壊が引き起こす悲惨なる結末を
警告していましたが、聖書的な終末の預言
内容や解釈には懐疑的だったと思います。

 したがって、もし仮に 人類に対して、

   

 (サムシンググレートright自然)からの
鉄槌が振り下ろされることがあるとしても、
そこに反キリスト存在サタンなど
を見ることはありませんでした。

 現実主義者のダ・ヴィンチには、自然から
の逆襲はあり得ても、終末に関する聖書の
預言内容には理解が及ばなかったのです。

 たとえば

 我々の目に真実は、たった一つだけのよう
に見えますが、今、我々に見えている世界は、
現実の一部で、「真実」は一つではない。



 ダ・ヴィンチはそうした考えを基本ベースに
作品中に数々の「罠」をしのばせました。

 この「罠」は、実際に感知可能な現実の
世界とオカルトの世界のほかに 解析能力の
有無、言わばリテラシー(読解力)の優劣
によって、その理解に大きな違いが見られる
という特徴を持っています。



 但し、ここでは情報を伝える側のリテラシー
(適切なる表現)は完全に度外視され、むしろ
誤解を生む恐れのあるような微妙なタッチの
描写に終始していますが、


 出典:レオナルド・ダ・ヴィンチの小部屋

 それこそが、「罠」としてのダ・ヴィンチの
狙いでもあったのです。

 ダ・ヴィンチの時代のメディア媒体といえば、
文字や絵で、そこに活版印刷が登場すること
で、情報の伝達は大きな変化を遂げます。

 今を遡ることおよそ2000年前の後漢時代の
中国において、実用可能となる紙が発明され
紙媒体の持つ利便性が格段に進歩しますが、
それ以降、紙媒体は紙のままで、1400年もの
月日が経過してしまいます。

 そんな停滞状態の紙媒体に、新たな進化を
もたらしたのがグーテンベルクでした。


         グーテンベルクの肖像

        出典:www.try-it.jp

 彼の発明した「活版印刷機」は、羅針盤、
火薬と並んで、ルネサンス三大発明のひとつ
に数えられていますpeace

 それまでの書籍物は、書き写しや木版印刷
によって製造されていたために非常に希少で
価値の高い代物だったのですが、これにより、
ヨーロッパでは本の流通が劇的に活発化する
ことになります。

 このグーテンベルクの活版印刷技術の発明
によって、ひとつの情報を大量に複製すること
が可能となり、一般庶民への『聖書』の普及
もまた この恩恵に浴するものであったのです。

 しかしながら,

 大量の複製が可能になったとは言え、現代
のようなインターネットによるインタラクティブ
(双方向)での情報交換が出来る時代と違い、
一方通行が前提のルネサンス期においては、


  イエスの奇跡(水上歩行)exblog.jp

 発信するツールによって受信者や鑑賞者が
特定されるので、「どのように伝えるか」という
伝達手段や方法は極めて重要だったのです。

 カトリック教会が宗教画に熱心だったのは、
それがその時代の最先端をゆくメディア戦略
であり、「宗教画」=(見ることができる聖書)
を利用して 文字が読めない一般の民衆にも
わかりやすく、ダイレクトに劇的なる奇跡
シーンを見せるつけることで信者の心に訴え
かけて帰依させようとしたのです。

 要するに、宗教心を刺激したわけです

 教会等からの要請(注文)に応じて、宗教画
の大量生産(複製)システムを構築したのが、


  ピーテル・パウル・ルーベンスの肖像

 バロックの巨匠のひとりであるルーベンスで
あったことは、

 『ダ・ヴィンチの罠 眠り猫』

 でも紹介しましたが、現代風に言い換えれば
マンガ家(師匠)とアシスタント(弟子)等による
専門的作業分担方式 = 完全分業システムで
あったわけで、こうした量産スタイルの元祖的
な存在と目されるのがルネサンス三大巨匠の
ひとりラファエロ・サンティであり、彼が若くして
亡くなっているのにもかかわらず多くの作品が
残されているのはそうした理由によるのです。


 ルネサンス三大巨匠 blogs.yahoo.co.jp

 ちなみに、この二人は、

 
  ピーテル・パウル・ルーベンスの肖像

 ダ・ヴインチの絵に仕組まれている「罠」
の存在に気づくことが出来た数少ない人物で
あって、ラファエロは 未必協力者として、
また、ルーベンスは相対的な意味においての
理解者であったと考えられます。

 
 ルネサンス三大巨匠 www.el.tufs.ac.jp

 このあたりの考察については、

 『ダ・ヴィンチの罠 外交官』

 を参考にしてください。

 また、

 「ダ・ヴィンチの罠」構成する
プロットのひとつに 異星人の介在が
挙げられますが、そこには多分に比喩的
な要素が強く反映されていて、イスラエル
(ユダヤ人)に対する異邦人であるとか、
異教徒の存在を隠喩的に表象している
とも考えられますが、


 『洗礼者聖ヨハネ』 の鏡絵 deskgram.net
  
  『洗礼者聖ヨハネ』 1513-1516年

 然は然りながら、

 異形なる姿かたちをした者たちの存在
をダ・ヴィンチが、本気でイメージしていた
ことを否定出来ないのは幼少期における
洞窟での幻視体験があまりに生々しい
ものであったと推察できるからです

 意味不明の方は、

 『ダ・ヴィンチの罠 松果体』
 『ダ・ヴィンチの罠 白日夢』

 などを参照してみてください。



 それが故に、

 『ダ・ヴィンチの罠 美意識』

 でも、紹介したように 「変顔フェチ」
いうか、美醜の点からは、むしろ、グロテスク
で 醜い部類にカテゴライズされるユニークな
顔立ちに甚くご執心で、人混みに出る際には
常にスケッチ用具を持ち歩き、気に入った顔
を見つけると どこまでも追いかけて行っては
素描のモデルを頼んだようで、その執着ぶり
は当時から街のうわさになっていたようです。



     グロテスクな顔の素描

 ひょっとすると、

 人間離れした容姿の中にに見た異星人
の面影を探していたのかもしれませんね。



     「え !!

    

 「あっ、いやいや

  

 「アンタは大丈夫じゃよ」


 ユダの習作(上)と『最後の晩餐』のユダ(下)

 「あやしいが知っとる顔じゃ」

 問題は、



 「こいつの正体じゃな !!



 「奴は何者なんじゃ !!

  

 イエスに、トマスに、大ヤコブと、

 

 三人いるけど、

 「いったい誰の事かしら」



 な、何だ、

 「オレの話じゃなかったんだ」



 ああ、よかった。

 ・・・ っておいおい



 今回は、「コロナ禍」での自粛にともない、
内容を若干変更してお届けしましたが、

 次回は『異端者』たちの暗躍に話を戻して
独自の推理を続けたいと考えています。



 … to be continue !!
      (… to be continued !!)


 『最後の晩餐』ミラーイメージングしたイエス

コメント一覧

ココナン
イエスの系図に登場するイレギュラーな4人の女性が注目される中で、さすがに、投稿間隔の件は偶然でしょうが、やぶにらみさんが指摘するユダ族の家系がマリアの夫となるヨセフまでに36代(36人)を経ているというのが気になると言えば気になるのですが・・・
ココナン
やぶにらみさんやむらさき納言さんのコメント内容から推察すると、マリアもしくはマリアに関する何かと「何食わぬ花」の語呂合わに関連がありそうに臭わせてていますが、トランプ大統領とも関係するのでしょうか?
むらさき納言
これは半分以上ジョークですが、おじゃま虫さんがどこかのページで「パラレルワールドに迷い込んだみたいと語っていたので、ちょこっと乗っかると、ここでの「何食わぬ花」とはFOXビジネスのキャスターでジャーナリストのマリア・バーティロモのことかもって思ったんです。

ココナンくんが『分岐点』で言っていた次のジョン(ヨハネ)とされる米国家情報長官のジョン・ラトクリフから「中国共産党による選挙介入あり」の言質や「トランプが勝った」と発言した異質のニュースキャスターです。
やぶにらみ
「何食わぬ花」が、むらさき納言さんの言うイエスの系図に登場するイレギュラーな4人の女性だとした場合に、最初のタマルから、5人目となる聖母マリアまでは、数十世代にわたる隔たりがあるわけで、なんとなくその間の人数を数えてみたら、なんと36人だったのには驚きを通り越して震えが来ましたぞ!

言い換えれば、ユダ族の始祖であるユダから、マリアの夫であるヨセフまで続く家系に登場する男性の名が36あるということだが偶然にしては出来過ぎですな!

そうなると、おそらく投稿日も計画したものだと考える方が妥当ということになるだろう。
むらさき納言
「何食わぬ花」って、前から、気になっているイエスの系図に出て来る4人の女性のことでは、マリアを入れると5人になるんだけど。

『汚れ役』のページで、やぶにらみさんが指摘した投稿間隔の4日、5日は、この女性たちを指しているのかもしれない。

36日については、まったく見当がつかないけど・・・
やぶにらみ
ココナン君のイメージでは、「夜鷹」はユダであり、ユダは『みにくいアヒルの子』かもしれないということで、そんな「夜鷹の目」に映っていたのは『汚れ役』のコメントにあるような異端者のデジャヴということですな!

要は、「汚れ役」がユダで、「汚し役」がイエスを利用したパウロだとすると、『汚れ役』での投稿日による語呂合わせの“何食わぬ花”が誰を指すのか?

いろいろと考えられますな!
ココナン
おじゃま虫さんが紹介してくれた『よだかの星』ですが、
“よだか”は醜い鳥で、他の鳥たちから疎まれ嫌われていたのですが、最後の最後には星になる、というストーリーは、アンデルセンの『みにくいアヒルの子』を彷彿させます。

その辺は、何となくイエスっぽいのですが・・・

意外とユダなのかもしれませんね。

要は「鵜の目、鷹の目」がヨハネとイエスで、「夜鷹の目」がユダを指しているとか?
むらさき納言
カシオペア座の隣りで星になるってところが、ミソだよね。

トカゲ座だったり、アンドロメダ座やペルセウス座あたり、

当然、メドゥーサも関連するので、「夜鷹の目」とは?
おじゃま虫
宮沢賢治の童話に「よだかの星」という作品があります。

問題の「鵜の目、鷹の目、夜鷹の目」での“夜鷹”とは、
この“よだか”を指しているかもとフッと思ったのです。

“よだか”は醜い鳥で、他の鳥から疎まれ嫌われています。

そもそも鷹の仲間ではありませんので、特に鷹から目を付けられ、名前を変えるように迫られます。

“よだか”はつらい思いを抱いて、空を飛び回っているうちに、多くの羽虫や甲虫が自分の口から喉に入り、鷹に命を狙われる自分もまた、多くの命を奪っていることに気づきます。

そこで“よだか”は遠い空の果てに行ってしまおうと思い、西のオリオン座、南のおおいぬ座、北の大熊座、そして、東の鷲の星へと行きますが、どの星からも拒絶され、失望した“よだか”は最後の力を振り絞り、真上へと昇って行きました。

しかし一向に星に近づきません。

そのうちに“よだか”は、カシオペア座のとなりで、自分の体が青白く光っているのに気付きます。

そうです。 “よだか”は星になっていたのです。 

そして“よだかの星”は今も輝き続けています。

つまり、この“よだか”が、イエスなのか、洗礼者ヨハネを
意図しているのかは別にしても、彼らのどちらか一方を指し示しているようにも思えるのですが・・・
刑事プリオ
ネットを見るかぎりでは、どうやら一定程度の年齢以上での使用実例があるようで、それは静岡に限った話ではないようだ。

要は、後期高齢者以上の年齢層の人が、前期高齢者とその予備軍にあたる年齢の人が子供だった時代に使用されていたようで、現在では、ほぼ死語になっていると思われる。

ただ、メッセージにおける「夜鷹の目」という観点からは、2号氏が沼津市(静岡県)在住との情報もあり、気になるところではあるが・・・
デッキブラシ
自分が子供の頃に夜遅くまで起きてると、ジイさんバアさんからそう言われてただけで、今はほとんど聞かれないと思う。

多分、女の子でも夜更しなら、そう呼ばれていたはずだな!

ただ、そこに娼婦などと言った意味合いはまったくなかったと思うよ!
おじゃま虫
夜鷹には、娼婦の意味もありますが、静岡では、夜更しする女の子も「ヨタカ」って呼ぶんですか?
デッキブラシ
夜更しする奴(特に子供)のことを「ヨタカ」と言うけど、静岡の方言なのかな?
むらさき納言
なるほど、ヨタカって、かなりの「やぶにらみさん」だね。

ところで、「鵜の目、鷹の目、夜鷹の目」のメッセージ、

次は、隼の目 ⇒「ホルスの目」だったのかもしれないよ!

イメージはあるんだけど、うまくまとまらなくて・・・
ココナン
ごめんなさい。 上の方のURL、間違っています。

https://matome.naver.jp/odai/2141113434116093101 でした。


ココナン
「鵜の目、鷹の目、夜鷹の目」が、「D」の秘密に関連するメッセージなら、これもまた、ダブル・ミーニングになっていると考えられませんか。

“夜鷹”を調べていた時に見つけたページの画像ですが、

https://matome.never.jp/odai/2141113434116093101

http://karapaia.com/archives/52127708.html
 
これを見た瞬間に、ケイシさんが『邪魔者』でコメントしていた“やぶにらみさん”のことが頭に浮かびました。

この顔を見るかぎりでは、フクロウに似てますので、リリス
や女神ミネルヴァでもあり、“夜鷹”= マグダラのマリア(売春婦であったとされている)とも考えられますが、同時に、やぶにらみさんのコメントにもチェックが必要かもしれませんね。

欲張りですが・・・
江戸川ドイル
すべてを見通せる目が「ホルスの左目」だとすると、未来がわかる(見える)ということにもなるので、すべてを見通す知恵とすべきかと・・・

ウジャトには、「癒される」という意味もあるので、癒しや修復の他にも、再生、復活のパワーを持つと言われている。

「プロビデンス目」⇒「ウジャトの目」とされるが、陰謀論(フリーメーソンの暗躍)には与しないはずなので、ここは「ホルスの左右の目」としておくのが無難かな!?
きくらげ
プロビデンスの目は、ホルスの左目(ウジャトの目)で、すべてを見通すことのできる目で、月を象徴します。

右目(ラーの目)は太陽を象徴し、第三の目とされる松果体のデザインモデルはこっちですね。
おじゃま虫
「プロビデンスの目」のことじゃないですか?

要するに、「ホルスの目」でホルス神はハヤブサ(夜鷹)の姿をしています。

知恵の神でもあり、仮説では脳の断面図の松果体を表現する図柄になっているとも言われますが・・・
ココナン
夜鷹がフクロウを指しているとすれば、「夜鷹の目」って、
ケイシさんが『邪魔者』で言ってたようなミネルヴァの梟の
目や『謎の肢』のフクロウに似た夜の魔女の目の事で、それが聖母マリアにつながるか、関係するという意味ですか?
むらさき納言
ありがとう、ココナンくん。

おかげさまで、ナイスなアイデアが浮かびました。

『洗礼者』の次が『姦通罪』で、聖母マリアの行動に焦点が当てられていますが、イエスの系図には最後に5人目の女性として、マリアの名前が記されるわけです。

もちろん、処女懐胎というイレギュラー中のイレギュラーとして・・・

そして、それが『邪魔者』に残された“アウトリガ”さんのメッセージのなかの「夜鷹の目」の意味だとひらめいたのです。

上手くまとめられたら『邪魔者』のページでコメントしますが、取り急ぎお礼まで( ^ω^)・・・
ココナン
そのコメントなら、『洗礼者』のページにありますよ。

それと「窓の数が重要な鍵」というヒントは『鑑定法』の記事ですね!
むらさき納言
何処でコメントしたか、覚えてないけど、確か、窓の数が増えるほどに飛行機が降りて来るときに、見える景色のようになっているということと、“4”という数がイエスの系図
にあるイレギュラーな女性を連想させるということで、

でも、窓の数の話と4人の女性のことは記事の中でヒントとして触れていたような・・・
おじゃま虫
そういえば、前にも言ってましたよね、窓の事。

確か、むらさき納言さんだったと思うけど、窓の数が増えるにしたがって、上空からだんだんと地上へと降りて来ているようだとか、違いましたっけ・・・
むらさき納言
本当は次回の結果を見てからにしようと考えていたんですが、ケイシさんが指摘するインジケーターという点から言えば、ダ・ヴィンチの絵の背景にある窓の数と、「Ⅾ」の数とをリンクさせているのでは、と思っています。

ですから、次回は「D」が頭文字にならないタイトルだろうとの見当をつけているわけで、ココナンくんの言う拡大系のパターンとは少し違います。
江戸川ケイシ
完成品が極めて少ないとされるダ・ヴィンチがその数少ない作品の中に罠を仕込んだとするならば、そのすべての作品に罠が仕掛けられているのか否か、すべてではないとすれば、その違いはどこにあるのか?

峻別されるべき理由があるはずです。

すでに「D」の秘密の存在は認知されていると思われるので、そのためのデモンストレーションとは考えられません。

ただ「D」の秘密が、ダブル・ディープ・デザインだとするとある種のディテクターやインジケーターになっているのかもしれません。

いずれにしても、この次と、その次の結果を見ないことには判断がつきませんね。
ココナン
これでシグナルが拡大パターンであるということがハッキリしましたが、その意図も目的もまったくわかりません。

ある程度の方向性が示せるようになってからコメントしようと思ってましたが、むらさき納言さんの言うように、次までのスパンが長いので皆さんの知恵を借りることにしました。

このシグナルの意味や意図についての見解を求めます。
むらさき納言
やっぱり予想した通り『目的地』=ディスティネーション
(Destination)という「D」が頭のタイトルでした。

これで、4回連続で「D」がきました。

「D」と、それ以外を、「1」と「0」で、直近から遡って
表記すると、「11110111011010」となり、逆から並べると、
「01011011101111」となって、「0」をはさんで、「1」が
一つずつ増えていることがわかります。

たぶん、次は「0」、つまり、「D」が頭文字にならない
タイトルだと思いますが、なにぶんにもスパンが長いので
忘れてしまいそうですが( ^ω^)・・・
ダメな便利屋
随分待たされたけど、今回は「コロナ禍」バージョンだな。

最後の方の小芝居は、そこそこ笑える。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「ノンジャンル」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事