透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 小宇宙

 今日、世界の指導者たちの専(もっぱ)らの関心は、
自国の利益と世界での立ち位置に注がれるだけで、将来
起こり得る大惨事から人類全体を守る努力を怠っている。

 そう判断したのだろうか?

 核戦争などによる地球滅亡までの残り時間を象徴的な
イメージとして示す「終末時計」が、5分前から
3年ぶりに2分進み、残り3分となりました。

     
                  down
            

 抑制のきかない気候変動と一向に進まない核軍縮への
動きに世界各地で頻発するテロ

 そんななかで、ただ荒廃していくだけの人間

 指導的な立場や地位にある人々の目は経済や軍事での
存立ばかりに向けられていて、人類の生存に脅威となって
いる地球温暖化に伴なう異常気象その他の深刻な事実や
問題には目をつぶらないまでも目をそむけて見ないように
しているとしか思えないのが実状です。

 厄介なことを見ようとしないのは政治家ばかりではなく、
マスコミも教育者も宗教家も同じで、それはダ・ヴィンチの
時代も大同小異で似たり寄ったりの状況だったわけです。

 銭ゲバと化して天国を売りさばき、民衆から金品を
巻き上げるだけの教会組織や煌(きら)びやかな衣装
を着飾った聖職者や道を外した修道士たち …

 そんな思いにダ・ヴィンチの描く妄想は、使徒ヨハネが
見たとされる『黙示録』クラッシュします。


 物の見方を大きく変える妄想具現化虚構
現実化です。

 「事実は小説よりも奇なり」どころか、想像
を絶する出来事が多すぎて、現実が虚構の世界の発想の
その先の先を追い越して行くような時代にいる我々ですが
ダ・ヴィンチはさらにそのまた先を突っ走っていたのです。

 彼が『モナ・リザ』の背景に描いた世界は、単なる
風景ではなく地球姿です。

 それも過去から未来へといくつもの生と死を乗り越えて
経過する時間の流れとエントロピー(諸行無常)です。

         

 『モナ・リザ』の背景の向かって左半分には太古の
地球(生成期)の姿が描かれ、右半分には人間のエゴ
ぶつかる紆余曲折の営みの結果としての終末光景
が描かれているようです。



 さらに背景は4分割されて、左側の上下は『創世記』
の記述を思わせます。

        

 「次いで神は言われた、

 『天の下の水は一つの場所に集められて
 乾いた陸地が現われるように』


 するとそのようになった」  『創世記 1:9』

 曲がりくねった道はその後の人類の発生と変遷する歴史
の道程(みちのり)をあらわしています。



 右側の上下は地球未来姿です。

 

 上部全体がぼやけて見えるのは、傾いた湖から蒸発
する水蒸気が切り立った山々を煙らせているからで、

 「水の循環」を回復させようとする地球自身
自浄作用です。



 下部では人工的なアーチ型の石橋以外には人も動物も
血の通う生き物の姿はどこにもなく、あるのは鉱物のみの
世界と干上がりゆく川がもたらす荒廃と静寂だけです。

       


 大気の深遠なる広がりは左右ともに同じようですが微妙
に違っているのです。



 深奥なる山々の描写は、左側は中央奥に向かって自然
な遠近感を保っていますが、右側は不自然にも歪(いびつ)
な右下方向への傾きが感じられます。

        

 その原因は奥に佇(たたず)む湖の水平線が右に傾いで
いるからで、そこにダ・ヴィンチの明確なる意図を感じ
ないわけにはいきません。

 ダ・ヴィンチは、特にについて考察し、多くの記述を
レスター手稿に残しています。

 symbol2「人間は古代人によって小宇宙と呼ばれた。この言葉
 は実に当を得ている。  なぜなら、人間には肉を支える
 枠組みとしての骨があり、地球には土を支える岩がある」

 「人間は血液という湖を持ち、そこでは肺が膨らんだり、
 しぼんだりして呼吸作用をしているように、地球には海
 があり、四六時中潮の満ち引きが宇宙の呼吸作用を繰り
 返す。血液の湖からは静脈が出ており、体中に枝分かれ
 していくように、海は地球に無限の水脈を広げている」

          (レオナルド・ダ・ヴィンチ)

 風や水などの浸食による地形の変化を年を経るごとに
変わる人間の容貌考え方として捉え、人間にとって
「血のめぐり」地球では「水の循環」
あると結論づけるわけです。

 要は、相関ですが、「ガイア理論」
通じるものがありますね

 「ガイア理論」は、地球と生物が相互に関係し合い
地球環境生態系を維持しているという理論で、ある種の
「巨大な生命体」と見なす仮説ですが、ダ・ヴィンチ
の考えの根底にはそうした観念があることがレスター手稿
からも読み取れます。

 さて

 時間は左から右へと流れて行きます。


  水平線が傾くとはどういうことでしょうか





 地殻変動、天変地異、急激な極移動など、均衡が崩れる
事態が起こった、いや、起こるということです。

 生と死と時間の流れと無常の世界、そしてすべてを知る
サムシング・グレート存在です。



 『モナ・リザ』をタテに2分割して、左右を入れ替えて
みるとインスパイア(誘発)されるものがあるはずです。

          

 不自然なる融合とも言うべき混沌と不安定なれど絶妙な
バランスを見せていた背景は他に類を見ないほど不思議
な雰囲気を醸し出す別の風景として復活します。
           
          


 「それから、蛇は口から川のような水を女の後ろに吐き
 出した。彼女をその川によっておぼれさせるためである」
           『黙示録12:15』

      

 「しかし地が女の救助にまわり、地は口を開いて、龍が
 自分の口から吐き出した川を呑み込んだ」
           『黙示録12:16』
          


 ここで(ドラゴン)がいることに注意してください。

      

 『黙示録』では「初めからの蛇」である
サタンとして表現されていますが、わざわざ使い分けて
いるのには何か意味があるはずです。

      

 この同一であって、且つまた異質なもの
を表現しています。


      
           
      


 同じであって違うもの、

 例えれば、いくつか挙げることができますが、そのひとつ
に性差があります。

 この場合の性差は社会的・文化的性差(ジェンダー)では
なく生物学的性差(セックス)です。

 生物の身体のつくりは、オス(男)とメス(女)で違います
が、受精した直後では差異はありません。

 受精の瞬間に遺伝的性は決定されるけれど、実はそれで
すべてが決まるわけではないからです。

 ウミガメなどは卵が産みつけられた地中の温度差で雌雄
が決定されるとなると、ますます混乱してしまいます。

 古代ギリシャの哲学者プラトン起源となっている
言葉にプラトニズムがありますが、レネサンス文化は
そうした考え方の影響をかなり受けていると言われます。

 彼は二分法により、この世界を理解しようとしました。

 それにより、プラトンは、感性よりも理性を、肉体
よりも精神優位性を認めたわけです。

 彼のそうした考えに基づいた「精神性を重視する恋愛」を
一般的にはプラトニック・ラブと呼ぶわけですが、

 厳密に言うともう少し複雑なのです。

 かつて人間は、【男・男】と【男・女】と【女・女】に分かれて
いましたが、ある時を境にして自分自身の半分が失われて
しまいました。

   かつての人間 rightrightrightrightrightrightrightrightright 現在の人間
   (失われたもう片方の自分を探し求めてさまよう)

    【男男】          【男 leftright 男】
    【男女】          【男 leftright 女】
    【女女】          【女 leftright 女】

 これが、「プラトニズム」基本です。

              【男・男】
         
          男            男

              【男・女】
          
           男         女

              【女・女】
          
           女         女

 おそらくフロイトならば、
 
  
            

 を思わせるものが男性を象徴して、大きく口を
開けた(ドラゴン)のようなが女性を表現していると
言うかもしれませんが、ダ・ヴィンチの意図は違います。

     


 初めからの(サタン)と(ドラゴン)は同じもの ・・・
但し、聖書が教えるそれとは大きく見解が異なります。
     
     

 宇宙論的に言えば、の象徴である(蛇)を退治
することはカオス(混沌)をコスモス(秩序)へと
変えることを意味します。

   

 自然の力を象徴するとの闘いは人間が自然と格闘
して困難を克服し土地を開墾する、あるいは混沌たる力が
支配する自然を人間が制御し、コントロールすることを指向
していますが、


         出典 popcultureplaypen.com


 ダ・ヴィンチの考えは「ガイア理論」に似て、カオス
(混沌)から生まれた女神ガイアは地母神であり、地球
(大地)を象徴しているだけでなく天界(宇宙)をも内包する
世界(時空間)そのものでもあって、そこにクロス・オーバー
するのがサムシング・グレートなるものです。

 symbol2symbol2 「人間の巧妙さが、自然が創造するものよりも美しく
 シンプルな、あるいは正確な発明をすることは決してでき
 ない。なぜなら自然の女神の創造物には何ひとつ欠ける
 ところがなく、何ひとつ過分なものがないからである」
        
          (レオナルド・ダ・ヴィンチ)

 龍退治が自然の克服であり、混沌を秩序へと変えると
いうことは、そこに情報やエネルギーが集まり、「文明」
という集積回路が出来上がるということですが、一方
では山を切り崩し、谷を埋めて平坦な土地を造成し、自然
が形成したオーダーを破壊して、自然の秩序を崩している
だけのことなのです。

 要するに、

 熱力学第二法則の教えるエネルギー保存の原則どおり
、単に情報を他に移動させているだけのことであって
、確実にエントロピーは増大しているわけです。
 
 「始まりにして終わり、終わりにして始まる」
とでもいうべき、輪廻・転生・復活・再生の不滅のメカニズム


       出典 kiriorigami.blog.fc2.com

 始まりも終わりもないウロボロス的な両義性
根ざしたダ・ヴィンチ的な思考では、聖も邪も善も悪もない、
清濁併せ呑む存在こそがであって、そこにキリスト教
によって悪魔にされた一群の神々姿がダブって
見えてくるのです

 先の『ダ・ヴィンチの罠 聖と邪』において …

 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/424.html

 「男と女」「善と悪」「光と闇」といった対極
なるものの融合と混沌たるエントロピー増大
への挑戦が、『最後の晩餐』封印を解く
のひとつであり、『モナ・リザ』微笑みに隠された
真実であると書き記しましたが、



 それはプラトニズムを融合してさらに昇華させたというか、

 も、も、もともとはひとつのもので …

 たとえば、このシチュエーションを …



 闘いと見る向きもあれば、数千年の時を
隔てた天使悪魔邂逅や恋人同士の逢瀬
見なすこともできるでしょう。

 また

           

 人間からみれば、黒いネコでも白いネコでもネズミを捕る
ネコは天使の如き良いネコですが、ネズミたちにすれば
黒かろうが白かろうが、ネズミを狩るネコは悪魔です。

 結局のところ、すべては相対的で、悪魔だと
いっても絶対的なものではなく、立場次第ではいつでも
ひっくり返る程度のバックボーンしかないわけです。

 ですから、ダ・ヴィンチにとって天使悪魔の関係は

 「美しいものと醜いものは
  ともにあると互いに引き立て合う」


          (レオナルド・ダ・ヴィンチ)

 というほどの対象でしかなかったのです。

 ところで

 昆虫や両生類や爬虫類に善悪正邪の概念がある
のでしょうか  哺乳類や人間以外の霊長類にしても同じ
ですが、そのようなものがあるはずはないと思うのは人間
の驕りであって、あるとするには相当に高いハードル
越える必要がありますが、それでも コト の可否や正否は
わかりません

 彼らにあるのは、生存競争を生き抜くための闘いに
明け暮れる弱肉強食現実があるだけで、喜びや
悲しみや怒りや楽しみにつながる感情的な何かはあるかも
しれませんが、それ以上でもそれ以下でもないと判断する
のが常識的なところでしょう。

 しかし、それは、

 人間のレベルや尺度での判断であり、そこに善悪や正邪
の入り込む余地が見い出せるのは人間界の(しがらみ)
のうちで、もう一段二段、高い次元からみれば、人間たちの
行為には他意も腹蔵も計算もなく、ただ他愛のない動物的
な生存競争と弱肉強食の世界に身を置いているだけのこと
で利他的にみえる行為も利己的なエゴの延長線上にある
という達観めいた考えが得られないわけでもないのです。


        


 つまり、人間のレベルで聖や邪を識別し、善や悪を論じた
ところで結局はエゴの枠から抜け出せない以上、自然破壊
にストップがかかることはなく、いずれは手痛いしっぺ返しを
食らわされることになると予見していたとも受け取れる内容
が手稿からも散見されます。

 今で言うエコロジー思想をダ・ヴィンチはすでに
もっていたということです。

 彼はこう言っています。

 「自然は自己の法則を破らない」

 換言すれば、

 「法則を破るのは、常に人間の方だ」

 ということです。


 「なになに、エロジジイとは心外な」
 
      

       「エコロジーです !!

 
 畢竟、『モナ・リザ』可能な限りの情報
を詰め込んだ「小宇宙」であり、現代風に言えばCDや
DVDのようなものでプレイヤーも兼ねているわけです。


 「そんな小さな空間に全宇宙の姿を
  抱えることができるなど誰が信じるだろう」


 「優れた画家はふたつのものを描く。
   人と人の心の動きである」


          (レオナルド・ダ・ヴィンチ)

      

 … to be continue !!

コメント一覧

江戸川ドイル
多分に哲学的だったり、宗教的だったり、科学的だったり、
広げるだけ広げていますが収まりがつくのでしょうか?
エントロピー拡大しまくりですよね!
でも、こういうの大好きです。
小吉
 今まで「絵」のことについて考えたことなんてなかったのですが、これほどまで深いとは感服致します。
 分かればわかるほど、わけがわからなくもなります。
 ついでにいうと、プラトンの件(くだり)は好きです。
ルート1/2
この発想力には絶句ですが、「信じるも信じないも貴方次第」
ってやつすか?
デッキブラシ
龍と蛇? ワニと蛇なら、そんなふうに見えなくもないけど、
それにしても不思議だわ。1つや2つならそう見えることも
あると思うけど、ライオン、サル、牛、鷲、ワニ(龍)、蛇
まで揃うとなると、偶然とは言えない確率だよな。
黙示録との関連を疑うのは妥当だと思う。

それにしても出来すぎだゎ!
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