透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 サイン

 あの盛期ルネサンスという特異な時代の寵児であるにも
かかわらず ・・・

 一万点を優に超える素描を残しながらも、完成作品が
わずかに十数点しか確認されていないということは …

 ダ・ヴィンチ自身には作品を完成させる意思はもとより、
完成しようとする動機さえ希薄だったような気がして
ならないのですが …

 そんな彼の数少ない完成作品のひとつとされる事実上の
デビュー作『受胎告知』を、まずはご覧ください。

        

    降臨した大天使ガブリエルが見つめる先には …



 突然の処女懐胎の御告げに 左手では驚きを表している
ものの、顔の表情は冷静で厳粛に天命を受け入れる聖母
マリアが描かれています。

 それもそのはずで、

 傍らには告知される直前まで読んでいた聖書に指を
挟んでいる聖母マリアが表現されていますが、

  「見よ、おとめが身ごもって男の子を産み、
その子をインマヌエルと呼ぶ」
(イザヤ書 7:14)

 読みかけの箇所は旧約聖書で救世主の誕生を預言した
イザヤのページであったとされているからです。

    

 実は、  

 『ダ・ヴィンチの罠』封印を解く最初にして
最大サインを ここに見つけることができるのです。


  『受胎告知』 1472-75年(ウフィッツィ美術館蔵)

 おそらくは、そこに萌芽の兆しがあったわけではなく …

 この時のダ・ヴィンチにはの自覚も、なんらの魂胆
もないなる気持のままに、描いたものと思われますが、
そこには意識こそなかったものの、その存在には
確かなとなるDNAの息づかいが聞こえています。

 そのDNAとは …




 大天使ガブリエルの祝福を表す右手に対し、左手には
純潔を象徴する白百合があります。



 白百合は、ダ・ヴィンチに限らず聖母マリアの純潔や貞操
を象徴する場合のアトリビュート(持ち物)ですpeace

 しかし、彼の白百合にはおしべが描かれていたのです。




 一般に絵画における聖母マリアのアトリビュートとしては、
青い色の衣(マント)に神の慈悲を表す赤色の衣服、純潔
を意味するおしべのない白百合の花や処女性を強調する
閉ざされた庭、処女には馴れ親しむとの謂れから一角獣
(ユニコーン)などが配されます。

 白い百合の花が描写される場合には、男性を象徴する
おしべは描かないということが一種の約束事になっていた
のですが、そのタブーを気にせずに白百合にはしっかりと
したおしべが描かれています。

          

 これはタブーを無視したというよりも純粋に正確さの方を
重視したもので、そこに他意(教会への反発心や反抗心)
はなく、むしろこのことによってそれが問題視され、陰湿で
偏狭な教会や修道会の圧力や姿勢に、ダ・ヴィンチ自身の
反骨心が芽生え始めるキッカケになったと思うのですが、

 よくよくこの絵を眺めてみると …



 (一見では)周囲が堀で囲まれているようにみえる庭園に
も外への出口がみつかり right 大天使ガブリエルの手元から
奥に向かっては堀がなく、出入り口のように外の世界へと
つながっているように描かれていて、しかも、おしべのある
白百合の花とそことがピッタリとクロスしているとなると …



 偶然だけでは説明できないものがあるのかもしれません。

 そうなると、

 何らかのチャレンジが始まっていたのかもしれないという
推測も十分に成り立ちますが … ase2

 いえいえ、

 すでに着々と(暗号)は仕込まれていたのです

 いずれにしても、

 ここでのサインは白百合ではなく、聖母マリアの右手の
二の腕 にあるのですが、この時点ではダ・ヴィンチ自身も
そのことには気づいていないわけで、そのサインが意味を
持つのは、それから20数年後の『最期の晩餐』
完成を待たなければならないのです。

 但し

 その事と仕込まれた(暗号)とは全くの別物ですが、

 その説明は後日として、ここでは割愛とさせてください


 さて

 未完成のままの『聖ヒエロニスム』にしても、


   『聖ヒエロニスム』 1480-82年 (バチカン美術館)

 
 フィレンツェ時代に手がけた『マギの礼拝』いわく
『東方の三博士の礼拝』に関しても …


 『東方三博士の礼拝』 1481-82年(ウフィッツィ美術館蔵)

 溢れ出るアイデアを構図や素描として数多く残しているの
にもかかわらず、制作の途中で突然としてミラノに旅立ち、
その後、完成されることはありませんでした。


 『東方三博士の礼拝の背景』素描(ウフィッツィ美術館蔵)

 これを天才がゆえの飽きっぽさやムラっ気の仕業とみる
ムキもあり、やたらと素描が多いのは、優柔不断な性格で
失敗を恐れる余りに決断を躊躇し、構想段階でつまづいて
しまう完璧主義者であるとする美術評論家もいますが、

 これが天才の天才たる所以であって、論評の枠を超えた
凡人にははかり知れない業なのです。

 裏を返せば、

 謎の封印を解くヒントとなる材料と同時に罠に導くための
伏線や落とし穴としての素描を用意周到に準備していたと
いうことなのかもしれません。

 最初に、

 らしきサインが蒔かれ、発芽を始めたのが
『東方三博士の礼拝』 で、『岩窟の聖母』
(ルーブル版)でのトラブルを契機に水と肥料が供給されて
『最後の晩餐』をつけるというプロットであり …

 そして、

 最後にすべてのを解くとして、を指さす
『洗礼者聖ヨハネ』“人差し指”結実
させるという一連のプロセスが、ダ・ヴィンチの意図した
プログラム上のスキームであって、それは、ほぼ予定
通りに進行したのではないかと推察されます。

        

 それでは、

 最初のらしき『東方三博士の礼拝』
どこに蒔かれているのかというと …



 この右端の青年はダ・ヴィンチ自身を描いたもので down
あると一般の美術書などでも紹介されていますが、
 問題は聖母子や礼拝するマギたちからは 
目を背け、視線を外にそらす姿で登場させていることです。

 手の仕草からは「さぁ、こちらですよ」と誰かを招いている
ようにも見えますが、「違う、違う」と呟いているのかも


  down_slow
 そして、それとは対称的な位置
になる左隅には僧侶のような姿の老人を配していますが、
この人物はいったい何者なのでしょうか

 視線を落とし、一心に何か祈りごとをしているようにも、
腕組みをして考え込んでいるようにも、アゴに手をあてて
瞑想しているようにも見えるのですが …

 まわりに比べて際立って黒く塗られた人物が、年老いた
ダ・ヴィンチ自身を表わしているとしたならば、「謎」
一気に氷解するのですが、果たしてどうなのでしょう

  … と、その前に
             
             このトマスや …
         
            聖アンナの左手や …
        
         洗礼者ヨハネの人差し指に …
      
    プラトン(ダ・ヴィンチ)が指し示す人差し指の

                   up_slow
              
        
         がここにあったのです


 symbol2 つまり、『東方三博士の礼拝』は …



 『最後の晩餐』のプロローグであり、右端の青年は
ダ・ヴィンチであり、マタイであり、使徒ヨハネであり、洗礼者
ヨハネを兼ねていて、左端の老人物は、ダ・ヴィンチであり、
バルトロマイであり、アダムであり、イエスでもあるのですが

 残念ながら、それらの解説には大変な時間と紙面が必要
となりますので、こちらも後日とさせてください

 一応、簡略化した相関関係を矢印で示しておきますので、
想像を巡らせてみてくださいpeace


 down_slow     up  down_slow up up_slow  down  up_slow down  right   up_slow
 



 禁欲的な隠遁修道者として知られる聖ヒエロニムスは、
脚にトゲの刺さったライオンと出会いトゲを抜いてやった
ところ、そのライオンは生涯に亘って、彼につき従ったと
いうことですが … 



 砂漠で悶絶する聖人の姿を苦渋に満ちた表情に描いて
いるのは、そこにダ・ヴィンチ自身の深い葛藤苦悩
投影させているのかもしれません。

 旧約聖書の『イザヤ書』 7:14 を受けて、新約聖書note
『マタイによる福音書』 1:23 では「見よ、処女が身ごもって
男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶであろう


 これを訳せば、

 「わたしたちと共に神はおられる」

 という意味である。 として「おとめ」から「処女」に改変した
マタイによる1節を、その子(名)が「インマヌエル」
ではなく 「イエス」であることの付会として理解した
のかどうかは定かではありませんが、『受胎告知』
における“おしべが描かれた白百合の花”
は、その後の意味深長なる数々の描写につながる
確かなDNA となったことは否定のしようもありません。

 『マギの礼拝』と呼ばれるように“東方の三博士
とは、古代オリエントでの占星術師・学者を指すマギ(magi)
であったとされていますが、『マタイによる福音書』 2:1-12
をテーマに描かれた『東方三博士の礼拝』には
知られてはならない秘密や隠された暗号があちらこちらに
散りばめられているようです。


             up
 素描の段階ではこのように、ラクダが描かれていますが
東方世界では恵みの神とされるラクダもキリスト教世界で
サタン(悪魔)だとされていますし、未完のままの下絵
の背景にはやたらと異国(中東)を思わせる建物や自然が
描かれ、右上の奥の方には象の群れらしき点在する黒い
一群の姿が点々として認められます。     down_slow
                              down


 そして、

 天を指差すポーズの男の顔と『最後の晩餐』での
主イエスの顔。         down_slow       
                       down

                  
               


 イエスを抱く聖母マリアの顔と『最後の晩餐』での
使徒ヨハネと『岩窟の聖母』の聖母マリアの顔。

  
 『最後の晩餐』の使徒ヨハネ 『岩窟の聖母』の聖母マリア

 いずれも同じ人物を描いていると思われませんか

 それに付け加えるとすれば、

 『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』
幼い聖ヨハネの顔ですが …

         
        
                  down
             

      若きダ・ヴィンチを描いたとされる人物


 いやはや

 思わせぶりもタップリに、なんやかやとこまごまとした指摘
をしてまいりましたがase2

 『ダ・ヴィンチの罠 サイン』

 と題した今回のエントリーで最も重要なサインは …

  サイン

  『受胎告知』での聖母マリアの微妙に長く描かれた
 右手二の腕です。




 ほとんど気づかない程度の微かな歪(いびつ)さですが、
これが最初にして最後結末につながる最大
サインなのですpeace

 それと、もうひとつは … このテーブル(書見台)です

        


     

       「まさかとは思うが …」 

 … to be continue !!

    
              up
         ここですよ

コメント一覧

小吉
記事を分けた方がいいんじゃないかなと思います。

一記事が長い。
リンゴとバナナ
段ずれが残念ですが、言いたいことはわかりました。

いろんなサインが出てるということですね!?
クリアクリリン
Windows 7 のときの仕様の所為か、行の切り替え、及び画像や矢印の段ズレが激しく見にくいのが残念ですが、「東方三博士の礼拝」に登場する人物と「最後の晩餐」での人物に構図上の共通要素が見られるということですよね!

つまり、それもサインであると・・・
むらさき納言
幼児ヨハネと若きダ・ヴィンチですが、似ていると言えばそうですが…
そんなことを言ったら皆、似ちゃいますよ!

 ・・・・・・・・
ルート1/2
「ここですよ!」って、ただの脚ですよね!
皮肉のアッコちゃん
長いと言えば長いような、だけど、それが何か???
むらさき納言
聖母マリアの二の腕が最大のサインとは想像も出来ませんが、どんなオトシマエを考えているのでしょう?
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