原発なくそう 茨木

阿武山原子炉設置反対運動の歴史と意義
茨木市で原発なくそうの運動を!

スタート集会での発言 原発なくそうは世紀の大事業

2012-08-11 16:11:41 | 日記
原発なくそうの思いで集まっている茨木市民有志グループです。
ニュース、報告、呼びかけ、お願い、短いコメントなどは
ブログなくそう原発茨木」をご覧ください。 カンパの訴えも載せています。 よろしくネ。

著名17氏の「原発を考える市民のつどい開催のよびかけ」を掲載しています。ぜひご覧ください。

スタート集会での
実行委員会からの訴え  神山治夫


世紀の大事業
「原発を考える市民のつどい」へ向けて
スタートしょう!

 
原発問題は核兵器問題とともに今人類にとって最大の問題となっています。 日本の政治にとっても毎週たたかわれている総理官邸包囲行動のように日本の政治の根底をゆるがすような動きとなって来ています。

それは、茨木市民が五十五年前に訴えた「原子炉は本質的に危険なものである」ということが問題の根本にあるからです。 背景に国民の八割を越す人々の原発に対する不安と、政府、電力会社に対する不信があるからです。

私たちは、福島の事故を経験して、去年の10月16日有志が集まって阿武山原子炉設置反対運動の貴重な資料を元にその経験を学び、新しい茨木での運動を繰り広げようと決意して事は始まりました。

 ①五十五年前、茨木市民が立ちあがった原子炉設置をくいとめた日本最初の輝かしい運動の歴史を再び市民の目に触れてもらうための展示活動を軸にして、「原発なぜアカンのか」をどうしたら市民みんなにわかってもらえるか、いろいろ工夫を重ね、②ペレットホールダーを考案して作り出し、ペレットを皆さんに持ってもらいながら③原発なぜアカンのかを判り易く語った冊子を作りだし、普及に努めてきました。 その数はまもなく600に達しようとしています。 ④若狭、小浜へのツアーも行い、小浜明通寺ご住職中島哲演さんなどとも深い親交を得られるようになりました。 ⑤大飯原発再稼動の動きに対しては政府に対し、あるいは関西電力、福井県、おおい町などに抗議要請行動などを行って来ました。 これらの私たちの取り組みに対して、⑥毎日新聞、朝日新聞、しんぶん赤旗、大阪民主新報などが関心をもって取りあげてくれ大きなスペースをさいて記事を載せてくれました。 最近では太田公民館の展示活動をユーチューブで動画放映されまた大きな関心を呼び起こしてくれています。

 これらのマスコミの対応を見ても私たちの取り組みには、よその活動にはない幾つかの特徴があります。 だから一般新聞も興味を示しているという面があります。 その特徴について考えてみましょう。

 第一に、五十五年前に茨木市民は「原子炉は本質的に危険なものである」と世間に向かって大きく発信し、原発安全神話のはじまりに対して断固とした戦いを始めていたことであります。 「本質的な危険」とは何でしょうか。 自動車や電車や飛行機、いずれも危険性をもっています。 福知山の事故のように百七十人もの死者が出る事故も起こります。 しかし、だからといって電車は本質的に危険だとは言いません。 なぜなら、電車を人間の知恵でもってちゃんと設計し、ちゃんと製造し、ちゃんと管理して、正しく運転すれば安全なものになるからです。 しかし、原発はそうではありません。 私たちが一年間原発の電気でもええわ、と原発を使ったらこの小さなペレットの中に何万人もの人を殺す、何十万トンという食べ物をたべられなくさせる毒物を作ってしまうんです。 しかもその毒物は人間の手では処理できない、消すことができないものを作ってしまうわけです。 それは人間の手ではどうすることもできない危険性であり、その者の本性から来た危険なんです。 だから茨木市民は本質的危険だと云ったわけです。 今、福島の事故を受けて、そのことが世間で問いなおされているんです。 大飯原発の再稼動にあたって、野田総理は総理の責任で安全をたしかめて動かすと言い再稼動に突っ走りましたが、いったい政府はどのように責任が取れるというのか、どのように安全が守れるというのか、と国民の大きな怒りをかっています。 しかもその危険性は、一旦事故が起これば際限のない人類の存在そのものを脅かす規模の被害をもたらす結果にもなる危険性なんです。 にもかかわらず、政府は将来まだ原発に依存する事を想定して2030年に何%にするかなどと言っています。 この本質的危険というのは、これは原発の問題の最も根本的な問題であります。 そこを無視して事を進めようとしている政府や電力会社はまた新しい原発安全神話を作りだそうとしています。 そのことを茨木市民は五十五年前に「本質的危険である」と見事に警告を発していたわけです。 そこが世間から大きく茨木の運動が注目される特徴だと言っていいと思います。

 第二番目に、原発問題への地方自治体の責任の問題です。 地方自治体は戦後の民主主義の役割として住民の生命と暮らしを守り、土地を守り、水を守り、空気を守る、つまり環境を守ることが地方自治体の存在意義であることです。 それを見事に花開かせたのが阿武山原子炉設置反対市民運動であったのです。 市民あげての運動で地方自治体が先頭にたって市民の暮らし環境を、故郷を守りとおしたのです。 原子炉設置に地方自治体があげて反対してくいとめた日本最初の例として注目されています。 大飯原発再稼動にあたっても政府は地元自治体として福井県、おおい町の了解抜きには決定できないという状況にはなりました。 しかし、多くの被害を受ける自治体が地元自治体として認められずに強引に福井県、おおい町に押しつけて強行しました。 地方自治体が住民の生命、暮らし、環境を守る立場に立つ限り原発とは相いれないものです。 原発問題での地方自治体の役割と責任はますます大きなものとなって来ます。 そういう意味で注目されています。

 第三番目に、阿武山の原子炉計画ははじめは京都の宇治に置かれる計画でありました。 しかし、宇治川の水は淀川に流れ込み、大阪市民の水道源になっておりますから、宇治川、大阪では危険だからと安威川・茨木へと持ってこられたわけです。 そのことに茨木市民は大きな怒りを覚えました。 宇治川・大阪市なら危険だけれど安威川・茨木市ならまあいいかという理屈は許せないと。 当時推進していた学者たちはこう言いました。 大阪市民500万人ならどうしょうもないけど、茨木市民5万人ぐらいならなんとかなると。 なんとかなるとはどういう対策があるというのかと、突っ込みますと、いやそれは発表する権限はないと逃げてしまいました。 しかし、どうでしょう。 福島の事故によって彼らのいうなんとかなるというのは福島県民16万人ぐらいなら故郷や家から追い出せるということでしか過ぎなかったことははっきりしました。 私たちは宇治川・大阪なら危険だけど安威川・茨木ならまあいいかという理屈を断固として拒否したのです。 それは今も生きています。 今や首都圏・東京なら危険だが福島ならまあいいかという理屈も、近畿圏・京阪神なら危険だけれども福井県・若狭ならまあいいかという理屈も許すことができません。 そういう意味でも茨木の運動は注目されています。

 最後に、55年前の茨木の市民運動が成功した大きな理由は市民が良心的な科学者と手を結んだことが注目されています。 今新しい安全神話を政府や電力会社などが学者を名乗る人たちの手でふりまかれようとしています。 55年前を思い出して科学者と住民の新しい連帯が注目される事態へとなって来ています。

 私たちは、この運動がこのように世間から注目される中味を持った運動だと思っています。 だからこそ私たちのささやかな活動を毎日も朝日も大きなスペースを取って記事にしてくれているわけです。 だからこそ、私たちはどうしても大きな市民的な規模の運動にする必要があり、かってないような、原発問題だけで市民会館大ホールを埋めつくそうという大きな「つどい」を計画することになったわけです。 どうしてもこの集いを成功させねばなりません。 年寄りは子や孫にこの恐ろしい負の遺産を残さないように、そして現役のお父ちゃんお母ちゃんはかわいい子供を守るために、若い人たちは自分達の未来を守るために、みんなが一つになって頑張れる課題です。 全力をつくして多くの市民に訴えかけましょう。 そのために賛同署名を集めるというツールを用意しました。 今まで活用して来た展示パネルやペレットストラップや原発なぜアカン冊子やらも大いに活用して下さい。 それに加えて賛同署名を持って市民の皆さんにひろく訴えて行く大運動を今日からスタートさせましょう。 なんとしてもこの「つどい」を成功させるために、全ての力を集めましょう。 みんなの持てる力を出しつくしましょう。 それだけの値打ちのある、意義のある、やりがいのある大仕事です。 閉そく感に閉ざされた社会だと言われています。 今こそ皆さんの力で自信をもって新しい展望を切り開こうということを実行委員会からの訴えとさせてもらいます。




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