私の父は三男で青森県弘前の出身である。津軽藩の旗本の出であり剣道は幼い時からの手習いであった。家は弘前のメイン通りであり看板や塗料絵画の道具や弘前中の乗り物や店舗の看板に字や絵を描き会社の中に塗料も大手の仕事を請負い父の兄は実直なしっかりした献身かであった。現在はビルに立て変えいとこがデザイン企画の事業も経営している。兄の長男は東大で物理学部一、二で湯川博士と共にケープケネディ基地に行く所同じ大学のお嬢さんと結婚したので東京の大手の大企業へ無試験で抜擢されたようである。父の家族の方々は女性に弱いようである。父は第二次の世界大戦でイギリスの捕虜になり料理が得意であり紅茶の入れ方とか肉の中にチーズを挟んで焼く色々な事を戦争を通して学んだのである。大変おいしくクリスマスはいつも父がうでを振るって作ってくれた。父はマレーシア、スマトラ、シンガポール、ロシアの近くまでいったそうである。ロシアのお嬢さんが色が白く美しく印象に残ったのであろう。父は高めの帽子を被りスラっとしたステキなスーツを着ていてコートをさりげなく持ち何処かの貴公子のようで拝見したすべての人達は雲の上の存在に思えたのである。この時は食べる物着る物に事尽く、物がない時でありその後復興が始まる前だからである。浜松からタクシーで来て屋敷のなかで運転手は待っていた。母と父の始まりの場面がなんとなく想像できる。いがたかは挨拶を済ませ祖父が先祖の歴々たる紙面を見せた。母の妹の照子がお茶をつつましくお出しした。みつ網にあんでしとやかで静かな面持ちである。父と母は庭に二人で歩きながら少し言葉を交わした。祖父との出会いでたかは、大変祖父の堂々とした品格と人格に気に入って父のうれしそうな顔からも全てが満足であった。時は五月両家との縁談が定まり二人の結婚は間近である。ビーナス教子。。。。。☆