すぐ近くにある世界:野鳥,昆虫,航空機などの写真

都市部の近隣でも身近で見られる野鳥を中心に、
捏造(餌付け、ヤラセ)のない「本当の世界」の
写真を載せています。

鈴木彩子の曲が配信対応! ...と 「僕はここにいるよ」から思った雑記

2020年06月13日 | その他(鈴木彩子,アマビエ様風味?,雑記など)
ビクターから 鈴木彩子名義のCDで出ていた分の 全作品が、 配信に対応したとのこと。
これで、 前に 「希望の鐘」 「愛があるなら」を挙げた時に “同じ曲を聴くのでも、 元のアルバムを聴かないのでは 勿体ない・・・”と書いた アルバム『BORO BORO』 『愛があるなら』も、 配信限定では “現行モデル”に復帰。

他にも、 明るく軽快な曲から、 メッセージ性が強い曲から、 ・・・ まぁ、 幅広すぎる位に 色々な曲があるので、 このアーティストを知らなかった人も、 ぜひ 聴いてみてほしいところ。


僕はここにいるよ (Acoustic Live Version)
『ALL TIME BEST ALBUM』では、 CDにも DVDにも入っている。
CDのアルバム『愛があるなら』に収録されている方は知っているが、 VHSビデオ版は 買う習慣がなかったので、 この アコースティックなアレンジは “はじめまして”。
先にチェックしたのは CDだったので “音”だけで聴いても、 いい曲だと思った。

最近は 全くやらなくなったけれど、 昔は 冬の夜に よく 自転車で走っていた。
詞が描く情景が重なることもあって よく口ずさんでいたことで、 個人的な思い入れが多い曲でもある。


この曲で描かれる心情は、 なかなか重い。
最初に聴いた時には、 “そういう意味”での 「僕はここにいるよ」なの!? と思った詞の曲。

この曲で描かれるような 重さがある心情は、 特に 社会的な状況での 苦労や困難というほどの実体験がない “温室育ち”な面々には、 なかなか 想像することは難しいものらしいと感じる。

(どんなテーマでも 同様だが、) “いかにも”な断片的な要素・単語を並べさえすれば、 実際を知らない人には あたかも それっぽく見られなる情景を描くことはできる。
そのため、 実際がわからない面々には 実際を描くよりも好まれるように仕立てられた お噺が作られて、 多くに喜んで受け入れられてしまいがち。
でも、 一見 それっぽい要素が ちりばめられているだけの 思い違いでの“知ったかぶり”で、 その世界の実際を知っている人が見れば、 根本的な違和感ばかり、ということも とても多くある。

ドキュメンタリー的な伝え方をされるもので 思い違いを さも もっともらしく語られるのは、 もちろん 困ったもの。
そして、 音楽、小説、漫画・アニメ、ドラマ、映画、演劇、・・・ そういった フィクションの創作物でも、 心情や感情といった部分に 本質的な違和感があるのでは、 あくまで フィクションだから、とは 割り切れないもの。
舞台設定の状況への考証として 実際にはあり得ない部分があるというような不自然さなら、 そういう世界だったとすれば、とした設定での、 あくまで フィクションのファンタジーとして見ることは できるだろう。
が、 “この作品は フィクションです”と 念押しされたところで、 描かれる諸々のエピソードの一部 あるいは 全てが 実話や リアル世界での実態には基づかない 空想での創作であることと、 そこに描かれる心情の 本質的な部分が違っているのは、 全く別な要素だろう。

これは、 たとえば、 (情報番組などで伝わってくる概要が あまりに違和感がありすぎたので 観ていないが) 高視聴率を出したという 銀行を舞台にした某ドラマの ハイライトシーンをはじめとした、 登場人物の感情が “その状況”で“そうなる”とは 思えない・・・といったものにも表れてくる。
これでは、 人ではないものを 人のようにふるまわせる“擬人化”で 感情移入できるように描くのとは 逆の、 人を 人ではない 別な何かとして描いていることのように思える。
そういうものには、 そして、 そういうものを ありがたがれてしまう面々には、 共感とは真逆の、 違和感と表すよりも、 そもそも“感情”を持たないロボットが それっぽい断片的な単語を並べて でたらめに繋ぎ合わせただけの ただただ不自然な文言を出力して 感情を持って語っているつもりらしいのを見るような、 馬鹿馬鹿しい感覚になる。
それを、 本当にロボットがやっているのなら ともかく、 感情も知能も持った“人”であるはずの存在がやっているとなると、 気味悪さのような 不快感がある。
そして、 そういう、 思い違いに倣った “感動ポルノ”的な 紛い物ほど もてはやされてしまう 歪んだ世界は、 とても根深いものだろうというところで、 根本的に違う世界が見えていることに気付けない対象への諦めでの、 関わらされたくないと思うもの。


でも、 このアーティストの曲での 重さがある心情の描写には、 共感するというか、 肌触りにストレスがない 浸透圧が近いような感覚というか、 率直に接することができる とてもリアルな感覚がある。
そして、これは、 他者が同じ文言を発したからといって それが誰でも 同じように感じられるような 単純なものでは ないだろうと思う。

なかなか 表すのは難しい面が多い心情の部分も リアルに描いていると思えることは、 他の曲でも、 歌われるメッセージが 単に外面の言葉を並べただけの“張りぼて”ではない 中身があるものだと感じられる。
だから、 曲を直接的に聴いている時だけでなく、 日常の中での 考え方や行動にも 影響してきただろうというところで、 このアーティストの曲を厚く聴く機会が 有ったか、無かったか、が違っていたら、 今の自分は だいぶ違うものになっていたかもしれない、と思える。
そして、 そういった作品に接することができることは、 エンターテインメント的な楽しさとは違った、 より 深い部分で、 このアーティストが 自分にとって 大切な存在になっていると感じる。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿