三つの恩寵。 2023-09-06 21:49:36 | 日記 神様に見られる。神様に触られる。神様に話しかけられる。ダルシャン。スパルシャン。サンバーシャン。恩寵とは神の好意に他ならない。神が化身して現れたなら、全人類が恩恵を受ける。恩寵を賜った者が怠慢であれば、多くの人が失望する。信仰の物語とは、恩寵による信者の変容の物語である。変容がなければ、仏教もキリスト教も根を張り世界に広まることはなかった。聖なる者のラジエーション、バイブレーションはとても強いので、心優しく奢り高ぶらない者だけが聖なる恩寵に耐えられる。
道徳。 2023-09-06 20:58:12 | 日記 道徳というものは、身を飾るアクセサリーのようなものではありません。信仰心というものも人に見せびらかす為のものではありません。人から敬われているかどうかを気に掛ける必要はありません。どんな人をも無条件に敬うことができる人になります。それ相応の理由がなければ敬うことなど出来ないなどと思ってはなりません。誰に対しても心の中で、膝まずいて御足に触れるような謙遜の気持ちでいます。道徳は神様からの贈り物です。道徳の実践は人間を強くし優しくします。おさな子が無心に玩具と戯れるように、私達は我意我欲を離れて道徳を愛好します。親は子のためを思って教育玩具を与えます。神様も人間のためを思って道徳という教育玩具を与えました。愛することで愛は強くなり、へりくだり敬うことで心は強くなります。どんな邪悪な存在も愛の力が有れば浄められます。敬いの心が有れば、へりくだることもひれ伏すことも出来ます。心が従順に成れば、どんな者の御足の塵を払うことも出来ます。人を見下すことを解脱して、愛の人になります。“あなた達の経験する愛の至福が私の生きる糧なのです”とは神の言葉です。
沈黙の掟。 2023-09-06 08:50:05 | 日記 もし、神様が厳しい眼差しで、口の前で人差し指を立てているなら、それは“喩えあなたが何かを分かって居たとしても、黙って居なさい。私の計画の邪魔をしないようにして居なさい”と教えているのです。人間も動物も、本当に信頼出来るのか、どうなのかと他者を試します。“私はあなたが完全に純粋で清らかだと言える自信を得るまでは、沈黙の掟を守らせます”と神様は言っている訳です。あなたは、様々な人から挑まれ試されて、神様の栄光や名誉を傷つけずに居られる自信がありますか?ですから、それよりは神の物語を聴いて喜び、神の栄光を賛美しているほうが良いのです。
大乗(マハーヤーナ)。 2023-09-05 19:17:41 | 日記 人に優しくしなければならない訳は、自分で自分を救うことが出来ない人がいるからです。心優しい人達による援助や支援が、現世に於ける神仏の救済事業の実態です。心優しい人というのは、謂わば慈悲の戦士です。忍辱が纏う鎧であり、犠牲と献身が救済の手立てです。愛が動機であり、決して諦めない心が戦う力です。見棄てられている人達を救うことが、心優しい人達に神仏が与える命令です。怯えている人、自分で自分を責めている人には優しく接する必要があります。大乗の御仏の授け賜う修行は慈悲行です。大乗の修行は慈悲行の実践であり、苦しむ人、困っている人、弱っている人、辛い思いをしている人、悲しみ嘆く人、怨みつらみに凝り固まっている人、思い上がっている人、惨めな人、除け者にされている人、差別されている人、卑しめられている人、これ等の救済を必要とする人達すべてに対して慈悲心を掻き立てるようでなければなりません。慈悲とは、救済の実践に他なりません。ただ思っているだけの慈悲は無益な空想に過ぎません。慈悲の熱い血潮が身体中を駆け巡っているのでなければ、他者の幸せの為に働くことは出来ません。おん まか きゃろにきゃ そわか。偉大なる同情心を持つ者に幸いあれ。