羊の見る夢

霊性。

嫉妬してしまうという病。

2023-09-08 02:50:26 | 日記
人の言うことや本に書いてあることが、はっきりとしなかったり、素直に耳を傾けることが出来なかったりするのは、嫉妬しているからです。

妬み羨みの病が心を蝕んで、心が正常に機能していないのです。

潜在している可能性はカルマの潜勢力と呼ばれています。

カルマが真っ白なら、嫉妬心を起こす可能性はありません。

すでに色に染まってしまっているカルマを漂白することが出来るのは、人を愛し人を助け善を行うことだけです。

それが、過去世に犯してしまった罪の償い方なのです。

そのような贖罪の気持ちを掻き立てる、礼拝、祈願、供養、賛嘆、護念は欠かせません。


謂わば、人間は神仏に真向かうことで正気に立ち返るのです。

正気というのは、神が人間を作った時に、人間に吹き込んだ神の霊気そのものです。

そして、人間は生きて歩いたり話したりするようになり。

そして神は、“これはとても善いものだ、これはとても善いものだ”と言った。

だから、「神の霊気によって生きるとても善いもの」、それが人間です。











心の置かれているところ。

2023-09-07 20:10:05 | 日記
映画を観て、私の心は映画の中にいる。

小説を読んで、私の心は小説の中にいる。

仕事に熱中して、私の心は仕事の中にいる。

恋に落ちて、私の心は恋の中にいる。

闘争に身を投じて、私の心は闘争の中にいる。

詩を吟じて、私の心は詩想の中にいる。

友を得て、私の心は友情の中にいる。

私は私の心が置かれているところに居る。

いずこからも心を引き揚げて自己に安息するなら、それに越したことはない。



神の愛が浸透していく。

2023-09-07 15:13:14 | 日記
私達の日常の感情生活の中に少しずつ神の愛が浸透していくとき、私達は所謂、善い人、優しい人、心が乱れない人、他人を敬うことが出来る人になります。

誰しも皆、少しずつ変わるのです。

私達、動物達、生きとし生けるもの、全ての存在の本質は解脱している魂です。

同朋意識というものは、そのような理解にもとずきます。

一寸の虫にも五分の魂とは、そのような同朋意識の真実を説いたものです。

主は我が命というけれど、万物に宿る命はその主の命そのものなのです。

“常に助け決して傷つけるな!”は至高の神が私達人間に下した命令です。

主が“あなた達は私を愛しているのでしょう?”と何度も私達人間に問い掛けるとき、私達は自らの襟を正さなければなりません。


私達は神の思いを受け止める多きな心を培います。

私達の持つ器の大きさの通りに神の恩寵は注がれます。



愛の関係。

2023-09-07 04:17:22 | 日記
神と人の関係は愛の関係でなければなりません。
愛を通してのみ人は神を知り得ます。

神に愛されていると感じている者が悪に染まることはありません。

人間が罪を犯し悪に染まることが出来るのは、神に背を向けているからです。

神に真向かい神の瞳を覗き込む時、悪への嫌悪、罪への恐れが生じます。

間違わないでください。
人を嫌悪し神を恐れてはなりません。

人を愛し神に親しまなければなりません。

神と戯れる愛の至福を経験しなければなりません。

神との神聖な戯れから至高の叡知を引き出さなければなりません。

愛の中に真実があります。真実の中に叡知があります。叡知の中にダルマがあります。ダルマの中に平安があります。平安の中に非暴力があります。

恐れがあるところには暴力があり、暴力があるところには平安がありません。平安が無いところにはダルマが無く、ダルマが無いところには叡知がありません。叡知が無いところには真実が無く、真実が無いところには愛がありません。

そして愛がなければ罪への恐れも悪への嫌悪もありません。

神を憎み罪を重ね悪に親しんではなりません。

神を受け入れることは、神の愛を受け入れることに他なりません。

神の愛を受け入れることは、神の真実を受け入れることに他なりません。

神の真実によって鼓舞され、神の愛によって咆哮を放つ獅子のような勇者になります。

何のみかえりも求めない神の愛を知りたければ、母の示す献身と犠牲に着目してください。

献身と犠牲の人になることが、母の恩に報いることに他なりません。