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短編小説:『美しき人』

2018-11-02 11:45:58 | ショートストーリー

美しき人は私の母である。
物心ついた頃から、私の周りには着物があふれていた。和裁学院を営んでいた母は、何人もの生徒を教え導いていて、選ばれた反物から徐々に着物が出来上がっていく姿は、子供の私にとってまるで魔法のようで楽しかった。

そんな私が、初めて着物に袖を通したのは七五三の時。もちろん母の手作りで、赤をベースにした花と金色の手鞠の刺繍が施され、それはとても綺麗なもので、子供心にも誇らしげで、生徒さん達に見せ回っていたのを今でも覚えている。

教室の一番後ろの席が私の指定席で。小学生の頃はよくそこで絵を描いたり、本を読んだりしていた。

夏には浴衣をその年の流行している柄で毎年のように作ってもらっていて、今思えばとても贅沢で、母が私を愛して育ててくれた、大切な思い出で、貴重な体験であった。

夏休みには母の故郷である四国の徳島に帰省し、川や海に遊びに行き、四国の独特な信仰文化であるお遍路さんも経験した。白衣を身に着け、御朱印をいただく為の判衣を持ち、八十八箇所を何年かかけて、毎年少しずつ巡っていった。白い判衣が御宝印によって真っ赤に染まってゆく様は、感動的だった。

夏休みの中頃くらいには東京に戻ると和裁の教室も始まり、いつもの指定席で、高校野球に熱中し、ラジオを聞きながら夏休みの宿題をしたりしていた。

けれど、中学生になった時くらいから、教室に少しずつ通わなくなり、やがてスポーツをしたり、絵を描いたりする事が好きになり、高校生の頃にはほとんどを外で過ごすようになっていった。母の帰省についてゆく事も少なくなり、当然着物の事も気にしなくなっていた。そんな私の気持ちを知ってか、母も学院を少しずつ小さくしていった。

高校を卒業し、進路に選んだのは文系だった。絵を諦めたのは自分に自信が無かったからで、だからといって、最高の師であろう母の、和裁の道を歩まなかった事は、今でも心底悔いている。

そして成人式で、母は反物選びをさせてくれたのだが、当時の私は反抗期だったのか、紫色の淡い百合の花があしらわれた、少し個性的な柄を選び、それに合いそうにもない帯や小物をわざと選んだ。

どんな着物が出来るのか、私には想像もつかず、出来上がったものを見て、母の偉大さに改めて気付かされた。

着付けされたそれは、もうアートだった。

一針ごとに気持ちの込もった、最高の着物。こんなに愛情が溢れた芸術作品を、私はそれまで見た事が無い。それほどまでに優美なものだった。

数本の百合が膝丈から腰に向かってすっくと伸び、それらを絡めながら、何本もの淡いピンク色の組紐が折り重なったそれは、まさに芸術品だった。反物だけの時に見た花たちがそんな風になるのか。自分の母が誇らしかった子供の頃に、一気に引き戻された感じだった。

誇らしかった?いや、今でも誇らしいままだ。当時の私は、言い訳になってしまうのだが、父が厳しい人だったので、母にばかり甘えていて、愛される事に慣れすぎて、愛する事の大切さを知らずにいた。

着物が美しいのは、美しい人が着るから美しいのではなくて、一本一本の糸を織り、それが着物という存在になり、愛情のある人が作るから、愛が生まれ、身に付ける人が美しくなる。それが着物に夢中になれる心理なのだと気付かされた。

そして私が結婚する時。母は何ヵ月もかけて純白の花嫁衣装を作ってくれ、それから数年後病に倒れた。入退院を繰り返しながら、それでも母は浴衣を縫ってくれた。毎年の恒例だからと笑いながら。今思えば苦労ばかりかけていた、ダメな娘だった。ああ、もっと着物について母と話していれば良かった。せめて着付けだけでも、習っておけば良かった。後悔ばかりが頭に浮かぶ。

そして私は母の着物を着て、妹の結婚式に出た。美しき人、亡き母の代わりに。

代わり?正直に言って代わりになどなれない。母は本当に美しい人生を歩んでいた人だったから。誰にでも平等に優しくて愛情深い、その背中は偉大だ。

母が亡くなって翌年、徳島の祖母も母の後を追うようにして亡くなった。その後義理の父も亡くなり、もうこれ以上大切な人がいなくなってしまわないように本気で願った。

先に逝ってしまった人の気持ちは分からない。何故なら自分はまだ生きているから。けれど残された人の気持ちは分かる。母を亡くした父も、父を亡くした夫も、皆、亡くしたくて亡くすわけじゃないから。

確かに。
大切な人を亡くしてしまう人は沢山いるだろう。その後の悲しみも、苦しみも、人それぞれで違う。

それでも亡き人を思いながら。その人達が何時も心の中に居て、手を伸ばせば届きそうなくらい隣に感じ、毎日思い出し、祈り、命の大切さを学ばせてくれている。

偉そうな事は言えないけれど、一生懸命生きろ。と言われている様な気がする。

今、私の手元には26着の浴衣が、どれも美しい輝きを放ちながら残っている。その愛情がこもった着物たちを見ながら、私は問う。

母が亡くなった歳を迎えた時、自分はちゃんと、美しき人になれているだろうか?と。

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