聖書と共に

ローマ人への福音ー(2)

今日は前回の出来事をバックストンの
「使途行伝講義」で話されたものです。

10章29節を見れば、ペテロ自身は、なぜ
コルネリオの所に来たのか、はっきり分か
ていません。そこで
「お尋ねしますが、あなた方は、どういう
訳で私をお招きになったのですか」
コルネリオは、これまでの経緯をのべて
「今、私達は皆、主があなたになった事を
伺おうとして、神の御前に出ております」
と言った。

これは神様のみことばを聴く為の正しい心
です。コルネリオの家に集まった人々は
ペテロの幸いな説教を聞く為ではありません
。ペテロの哲学を聴く為でもありません。
ペテロの口から神様の言葉を聴く為でした。

ペテロの話の中に、特に大切な事が43節に
出ています。
①救いを得る人は、どういう人かと言うと
 「この方を信じる者」(whosoever)すな
 わち誰でも、どんな罪人でも主を信じさえ
 すれば救いを得る事が出来る、という事。
②救いを受ける方法は何かというと
 「その名(すなわちイエスの名)によって」
  です。
③その救いは、どういう恵みかというと
  「罪の赦し」です。
この43節は、純粋な福音です。

神様は、ご自身から遠ざかった人々に和解を
与えようとされます。神様の方から和解の道
を開いて、あなたを恵もうとしていて下さい
ます。この和解は主イエス・キリストによっ
て頂く事が出来ます。

「そこで、私が話を始めると」(11章15節)
この時は、説教を始めたばかりでした。
けれども、聖霊が、すべての者の上に降った
のです。
 私達も説教する時に、その様な事を待ち望
みたいものです。(牧師、伝道者に対して)
大切な事は、あなたが、どういう言葉を言う
かではなく、聖霊が天より降る事です。
ですから、説教の時には、絶えず心の目を挙
げて聖霊の降る事を待ち望みなさい。

聖霊が、あなたと共に働いて下さらなければ
、あなたの説教は無駄です。
けれども、祈りをもって、説教すれば、聖霊
が天から降り、会衆の心を感動させて下さい
ます。

この時、聖霊はペテロの説教を傍らに置いて
ご自身が直接、お働きになりました。

コリネリオらは、初めに聖霊のバプテスマを
受け、後に、水のバプテスマを受けました。
 

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る