聖書と共に

キリストに対する素直さ

今日は、Ⅱコリント11章です。

私は、あなたがたを清純な処女として、
ひとりの人の花嫁に定め、キリストに捧げる事
をしたからです。
しかし、蛇が悪巧みによってエバを欺いた様に
万が一にも、あなたがたの思いが汚されて、
キリストに対する真実と貞節を失う事があって
は、と私は心配しています。」

ここから「静まりと黙想の朝に」(松木祐三著)
からです。
 グノーシス主義に傾き、クリスチャンと自称
する者がおり、彼らはキリストの救いだけでは
不十分で、神秘的な経験をもたなければダメだ
と主張していた。

パウロはニセ使途に、だまされてはならない、
と厳しく警告をする。
反対者は、パウロの伝道についても、さげすみ
「立派な人ならば、教会から援助されるはずだ
、天幕作りをして、生活費を稼いでいるパウロ
はつまらない伝道者だ」等々。

ひどい傷つく言葉である。それでも、奉仕を
続けたのは、教会員を愛するからである。
自己中心的な考えや、異端に犯されては
いけない。だから、光の姿に偽装したサタンに
だまされない様にと注意する。
しっかりした信仰に生きる事が牧者の願いであ
る。
ここから「限りなき主の栄光を求めて」
(オズワルド・チェンバース著)からです。
(キリストに対する素直さ)

(理屈をこねずに)素直である事こそ、物事が
ハッキリ見える為の秘訣である。
霊的な混乱は、どんなに考えても解決しない。
しかし、従えば解決するのである。
知的な事柄なら、考える事で、答えが出る。
しかし、霊的な事柄となると、考えれば、考え
る程、つかみ所の無いものとなる。

もし、神から迫られている事が、何かあるな
、従うことだ。
「すべての、はかりごとを、取り押さえて、
キリストに服従させる」  (Ⅱコリント10-5)
のである。
そうすると、全てが昼の光に照らされた様に、
明らかになる。論理的に納得できるのは、
その後の事である。

私達は、子供の様になってこそ、見えるのであ
って、賢くなろうとすると、かえって何も見え
なくなる。 (マタイ11-25参照)

霊的な混乱を収束させるのは、従順のみである。
従うやいなや、私達に識別力が、加わるからで
ある。 これは自尊心が傷つく経験である。

自然に備わった(ものを見る力)を聖霊に献げる
と、それは神の御旨を悟る能力となり、その
結果、生活全体が単純化され矛盾がなくなる
のである。

  


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