近代建築撮影日記

日本全国の近代建築を
大判カメラ、一眼レフ、デジカメなどで
撮影した写真で紹介していきます

工楽松右衛門旧宅旧宅とその周辺(高砂市)

2018-07-18 06:29:28 | 近畿

工楽さんの邸宅が修復されて一般公開されたと神戸新聞などで紹介されてたので行ってきました。

前回訪れたのは24年前。当時、工楽松右衛門のご子孫で少し偏屈な文人という感じのご老人が住まわれていたと思う。
工楽家は棟方志功らとも交流があり、文化人のサロン的な役割を果たしていたと聞いている。
恐らくそのご老人がそうだったのだろう。

※工楽松右衛門(くらくまつえもん)(1743〜1812年)
高砂市生まれ、江戸時代の発明家、実業家。兵庫(現在の神戸市兵庫区)で廻船業を経営。帆布(松右衛門帆)を発明、さらに築港工事法を考案し、択捉島の埠頭や箱館のドックを築造した。

その工楽松右衛門が故郷に錦を飾る形で大邸宅を構えたという事だろうか。



使用カメラ・レンズ
1.SONY α7・Voigtländer SUPER WIDE-HELIAR 15mm F4.5 ASPHERICAL III E-mount・2018.7.16撮影(印なし)
2.Nikomat FT3・1994/5/8撮影(☆印)



工楽松右衛門旧宅旧宅
(不詳/江戸後期/木2/高砂市指定文化財)




☆1994年5月

24年前は黒漆喰。この工楽邸に限らず、黒漆喰の町家が修復されると白漆喰に変更されることが多い。
その理由を考えるに、
1.太平洋戦争中に黒漆喰に塗り替えられたもので、元は白漆喰だった。
2.白い方が美しく映えるので白漆喰にした。
恐らく、1.の理由が多いのではなかろうか。資料や写真が残っていて元々は白かったと立証されているのだろう。
しかし、単純に2.の理由で塗り替えられることもあるだろう。文化財指定による制約が無ければ、基本的には持主の自由裁量である。







☆1994年5月

船板を壁板に再利用している。
近江の古い町並みでいくらか見たことがあるが、播州では他にあっただろうか?

庭から母屋を見る。

元はどうだったか分からないが、朽ちた蔵や庭木は撤去されたのだと思う。
一度荒れた庭を元に戻すのは至難の業であり、維持管理のコストを鑑みてこのようになったのだろうか。

「石の宝殿」?



何故こんなものを造ってここに置くことになったか今一つ分からないが、日本三奇のひとつ「石の宝殿」の精巧な模型がある。材質も本物の竜山石である。
やっぱり、ブラウン管のテレビを模ったようにしか見えない。

これより、建築内部一階
土間












庭蔵




(手前より左へ)中の間、次の間、だいどこ、右奥に9帖の間


だいどこ

名栗加工の床。これは亀甲模様の「亀甲なぐり」。名栗というのは本来殴りではないかと思うが、どうだろうか?
名栗加工は「ちょうな」で削り出す古来からの技法。「かんな」が発明された後はあまり見られない。

(手前より右へ)次の間、中の間


9帖の間の押入れ

据付の箪笥という感じだ。

座敷8帖


座敷8帖から座敷6帖を見る


階段の窓

二階に洋室があり、この窓も明治以降の改装部分だろう。

これより二階
洋室(1)


洋室(2)


6帖の間(庭蔵の真上)


工楽松右衛門旧宅旧宅西側の南堀川復元模型


上の模型を踏まえて・・



邸宅の目の前に南堀川(人口の運河)の船着き場があったということですね。

少し西から遠巻きに工楽松右衛門旧宅旧宅を見る。

現在、南堀川はこの道の所まで埋め立てられているが、、

道の西側には運河が残る。


☆1994年5月

現況では無くなっているが、古い倉庫建築がある。元米蔵だろうか?

運河の右(南)の建築

これも、元米蔵だろうか?

☆1994年5月


工楽松右衛門旧宅旧宅より東の街並みを少し見てみよう。


工楽松右衛門旧宅旧宅すぐ南の町家


☆1994年5月

現況とあまり変わりない

工楽松右衛門旧宅旧宅表通りの街並




工楽松右衛門旧宅旧宅すぐ北の屋敷

三連蔵のある大きなお屋敷だ




このお屋敷では三連蔵のみ兵庫県景観形成重要建造物に指定されています。



これが表玄関のようだ


そして、全体像。


旧高砂銀行本店
(不詳/S7/RC2/兵庫県景観形成重要建造物)








☆1994年5月


なお、高砂市内の近代建築群は過去記事『高砂市の近代建築』で紹介しています。



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