毎月1日は映画1000円DAYなので「風たちぬ」行ってまいりました。
「Le vent se lève, il faut tenter de vivre(ル・ヴォン・ス・レーヴ。イル・フォー・タンテ・ドゥ・ヴィーヴル(→さぁ、みなさんご一緒に)」というヴァレリーの詩が最初の方に出てくるのですが、、これから題名が考えられていたという事を知りました。
もちろん、「堀越二郎、堀辰雄に敬意を込めて」とあるように実在の人物である堀越二郎をモデルに、その半生を描いた作品であって、堀辰雄の小説『風立ちぬ』からの着想も盛り込まれてはいるのですが。「風立ちぬ。生きなければならない。」と作中では言っていましたね。
電車で主人公と菜穂子が電車の中で最初に会うとき、明らかに小学生~中学生(?)くらいの菜穂子と主人公がこのヴァレリーの言葉をフランス語で言い合うのが知的ブルジョワ特権階級ですね~。
「風がたつ」。
このse lèveというのは(再起動詞といって)人間が朝<起きる>という時にも使うのですが、受動なのか能動なのかあいまいな態ですね。
宮崎駿の作品には「風の谷のナウシカ」でも「天空の城ラピュタ」でもそうですが「風」ってやはり大きなファクターですよね。
「風がたつ」「風たちぬ」
風がたつ。なぜヴァレリーはその後、「生きなければならない」と続けたのでしょうか(何か誰かと以前同じようなことを話した事があるような)?
空気は気圧の低いところから高いところへ向かって移動する。これが中学校で習った風が吹く原理ですね。
つまり圧力の差がないところには風は立たない。
「風がたつ」「風たちぬ」
それが生きるってことなのでしょうか?自存している生の均衡が崩れ、方向を伴う力が発生してしまった。
その発生してしまった力を受けてその与えられた力が持続する限り、生きることをやめてはいけないのだろう。(加賀谷)