九州という土地柄でしょうか。
「西南戦争 将校家族避難場」
ふーむ、と思い散策中にぱちり。
熊本城は西南戦争の際、激戦があったようです。
もっと事前に調べて行けばよかった。
銃痕が残る石垣や資料館があったようです。
西南戦争の史跡めぐり
「西南戦争 将校家族避難場」
ふーむ、と思い散策中にぱちり。
熊本城は西南戦争の際、激戦があったようです。
もっと事前に調べて行けばよかった。
銃痕が残る石垣や資料館があったようです。
西南戦争の史跡めぐり
現在、天守閣は復元工事中。
熊本在住の先輩が別におすすめじゃない、というので
まあ、いいかと外をぐるりと歩いて回り、旧細川刑部邸に向かったのですが、、、
先輩の嘘つき~。
そこで生まれ育った人にはたいしたことなくても、
よそから来た人にはすごいんだい。
熊本城の敷地は大きい!!
様々な櫓が残っており、往時を偲ばせてくれます。
雄壮なお城だったんだなあ、加藤清正は築城の名人って本当なんだ。
これは天守閣にも行ってみるのだった。。。と、後悔。
次に行く機会あらば、絶対にもっと時間を取って見るぞ!
熊本の友人宅に泊まり、「熊本城大きいね。すごいな~。」
というと、「やろ~、私もすごいなあと思ったもん。」と。
これは、友人が転勤する前にまた行くべし!
あ、先輩のおうちもあるか。
熊本在住の先輩が別におすすめじゃない、というので
まあ、いいかと外をぐるりと歩いて回り、旧細川刑部邸に向かったのですが、、、
先輩の嘘つき~。
そこで生まれ育った人にはたいしたことなくても、
よそから来た人にはすごいんだい。
熊本城の敷地は大きい!!
様々な櫓が残っており、往時を偲ばせてくれます。
雄壮なお城だったんだなあ、加藤清正は築城の名人って本当なんだ。
これは天守閣にも行ってみるのだった。。。と、後悔。
次に行く機会あらば、絶対にもっと時間を取って見るぞ!
熊本の友人宅に泊まり、「熊本城大きいね。すごいな~。」
というと、「やろ~、私もすごいなあと思ったもん。」と。
これは、友人が転勤する前にまた行くべし!
あ、先輩のおうちもあるか。
大牟田在住の友人が、有明海の幸を堪能させてくれました。
写真は生ですが、これを唐揚げにして頭から頂きました。
彼の名前は「まじゃく」
シャコは殻が固いので、中身しか食べられませんが
この「まじゃく」君は、頭からしっぽまでいけます。
ん~、美味。
この頭はどっかで食べたことある味!と、しばし考える。
そうだ、「ホヤ」の磯臭さと一緒だ!!
でも、頭以外は淡泊だよ。
しゃこと、エビを足して2で割った感じ。
富山出身の友人は、姿からして駄目そうですが、
大牟田の友人と私はおかわりしてしまいました。
日本海にはいなさそうだ。
大牟田の友人が「むかし、親父と一緒に取りに行きよったけん。」
熊本のスーパーでも発見!!もう一度食べたか~。
写真は生ですが、これを唐揚げにして頭から頂きました。
彼の名前は「まじゃく」
シャコは殻が固いので、中身しか食べられませんが
この「まじゃく」君は、頭からしっぽまでいけます。
ん~、美味。
この頭はどっかで食べたことある味!と、しばし考える。
そうだ、「ホヤ」の磯臭さと一緒だ!!
でも、頭以外は淡泊だよ。
しゃこと、エビを足して2で割った感じ。
富山出身の友人は、姿からして駄目そうですが、
大牟田の友人と私はおかわりしてしまいました。
日本海にはいなさそうだ。
大牟田の友人が「むかし、親父と一緒に取りに行きよったけん。」
熊本のスーパーでも発見!!もう一度食べたか~。
恋木(こいのき)神社は、福岡県筑後市の水田天満宮の裏にあります。
全国でここ一社。
もともとは水田天満宮の末社として作られたとかで、
御祭祭はその名も「恋命」。
京を恋い慕う、菅原道真の霊を慰めるためにあったとか。
ここに着いたときは最初、九州第二の天満宮「水田天満宮」に来たのかと思いました。
天満宮でお参りをすませると、ずんずん奥に行くではありませんか。
なるほど、お目当てはここですか~。
友人二人に良縁がありますように、なむなむ。
あっ、私もか!
詳しくはこちら。
恋木神社
全国でここ一社。
もともとは水田天満宮の末社として作られたとかで、
御祭祭はその名も「恋命」。
京を恋い慕う、菅原道真の霊を慰めるためにあったとか。
ここに着いたときは最初、九州第二の天満宮「水田天満宮」に来たのかと思いました。
天満宮でお参りをすませると、ずんずん奥に行くではありませんか。
なるほど、お目当てはここですか~。
友人二人に良縁がありますように、なむなむ。
あっ、私もか!
詳しくはこちら。
恋木神社
佐賀県は唐津にやって参りました。
ここでの目的は、そう「唐津焼」をgetすること!
唐津で唐津焼を手に入れるのは長年の夢だったのだ。
で、まず行ったのが鏡山窯。
いや、目指したのはというべきでしょうか。
地図をみて、鏡山のふもとにあることがわかり車を走らせたのですが、いけどもいけども山道。
そのうち頂上付近の展望台に出てしまいました。
唐津の町並みと唐津湾(玄界灘)と、松林が一望できました。
お店で聞くと、道を間違えた模様。
で、山を下り終えたところを左折するとすぐに見えてきました。鏡山窯(井上東也さん)。
ここの窯元は作陶体験もできるよう。今回はそんな時間はもちろんなく。
井上東也さんは、裏千家でお茶歴も長くお茶道具も多く作っておられるとか。
HPはこちら
ここでの目的は、そう「唐津焼」をgetすること!
唐津で唐津焼を手に入れるのは長年の夢だったのだ。
で、まず行ったのが鏡山窯。
いや、目指したのはというべきでしょうか。
地図をみて、鏡山のふもとにあることがわかり車を走らせたのですが、いけどもいけども山道。
そのうち頂上付近の展望台に出てしまいました。
唐津の町並みと唐津湾(玄界灘)と、松林が一望できました。
お店で聞くと、道を間違えた模様。
で、山を下り終えたところを左折するとすぐに見えてきました。鏡山窯(井上東也さん)。
ここの窯元は作陶体験もできるよう。今回はそんな時間はもちろんなく。
井上東也さんは、裏千家でお茶歴も長くお茶道具も多く作っておられるとか。
HPはこちら
大宰府天満宮から、大宰府へ。
レンタサイクル(500円)か、タクシーか、観光巡回バスがありまして
バスにいたしました。
大宰府後へ向かう途中に、バスから官衛跡や戒壇院などが眺められます。
政庁跡は、大変広く三方を低い山?丘?に囲まれています。
礎石から大きな柱が立っていたことがわかります。
夕方だったので、展示館は閉まっていました。
ここが、太宰府か~と広い草はらを歩いてみました。
平安末期には荒れ果てていたそうですが、
飛鳥の時代から外交・軍事の要所だったのよね・・・。
先程みてきた天満宮には、韓国・中国からの観光客が多かったのに
比べここは、犬を連れた市民の憩いの場になって
観光客も少なめ。
その昔は、大陸からの使者達が訪れたでしょうに、
現在は素通りされてしまうところに
歴史の流れを感じてしまうのでありました。
レンタサイクル(500円)か、タクシーか、観光巡回バスがありまして
バスにいたしました。
大宰府後へ向かう途中に、バスから官衛跡や戒壇院などが眺められます。
政庁跡は、大変広く三方を低い山?丘?に囲まれています。
礎石から大きな柱が立っていたことがわかります。
夕方だったので、展示館は閉まっていました。
ここが、太宰府か~と広い草はらを歩いてみました。
平安末期には荒れ果てていたそうですが、
飛鳥の時代から外交・軍事の要所だったのよね・・・。
先程みてきた天満宮には、韓国・中国からの観光客が多かったのに
比べここは、犬を連れた市民の憩いの場になって
観光客も少なめ。
その昔は、大陸からの使者達が訪れたでしょうに、
現在は素通りされてしまうところに
歴史の流れを感じてしまうのでありました。
本殿の前に、ありました。「飛梅」
菅公を慕って、一夜にして飛んできたという逸話と
管公が京を発つときに詠んだ歌はあまりにも有名です。
「東風吹かば 匂い起こせよ 梅の花
主なしとて 春を忘るな」
でしたっけ?
この和歌と、「馬耳東風」をセットで覚えている私って
風流じゃないなあ~。
菅公を慕って、一夜にして飛んできたという逸話と
管公が京を発つときに詠んだ歌はあまりにも有名です。
「東風吹かば 匂い起こせよ 梅の花
主なしとて 春を忘るな」
でしたっけ?
この和歌と、「馬耳東風」をセットで覚えている私って
風流じゃないなあ~。
駅を降り、参道にお店が建ち並ぶ中を歩き
名物「梅が枝餅」を頂きます。
皮がもちもちしていて美味しい。
そうして、樟が茂る中、太鼓橋を渡ります。
土地柄、韓国・中国からの家族連れ観光客が多いです。
釜山からは高速艇ですぐですものね。
古代はもっともっと、行き来が盛んな土地ですものね~
とその片鱗をみているようでなぜか嬉しくなる。
名物「梅が枝餅」を頂きます。
皮がもちもちしていて美味しい。
そうして、樟が茂る中、太鼓橋を渡ります。
土地柄、韓国・中国からの家族連れ観光客が多いです。
釜山からは高速艇ですぐですものね。
古代はもっともっと、行き来が盛んな土地ですものね~
とその片鱗をみているようでなぜか嬉しくなる。