オブザベイションポスト

モータースポーツを中心に「ほ~んのちょっと」だけ、こだわりをもって。

因果は巡る糸車

2008-05-13 23:44:04 | モータースポーツ
1988年(レースの現地観戦を始めた年)
鈴木亜久里、全日本F3000チャンピオン獲得
エンジンはヤマハ、スポンサーはフットワーク、チームはムンクラ

1989年(F1初観戦、セナプロシケイン)
鈴木亜久里、F1レギュラー参戦も16戦全てで予備予選落ち
ザクスピード ヤマハ(ヤマハもF1初参戦)
*鈴鹿でチームメイトのB.シュナイダーが走ったの(1周R)を見た!

1990年(セナプロ1コーナー)
鈴木亜久里、F1日本GPで3位表彰台獲得(日本人初、その後2004年の佐藤琢磨までなし)
ラルース ランボルギーニ
*現地で見たよ!!!

1991年(中嶋さん引退)
鈴木亜久里、F1参戦(入賞1回)
ラルース コスワース
ヤマハ、1990年の休止からブラバムへ供給でF1復帰(まずまず)
*鈴鹿の盛り上がりは凄かったなぁ

1992年(片山右京、F1レギュラー参戦開始)
鈴木亜久里、F1参戦(入賞なし)
フットワーク(元アロウズ) 無限
*鈴鹿の雨の予選、目の前でスピンして止まったのを見た。
ヤマハはジョーダンに供給(メタメタ)

~中略~

1994年(セナ没、シューマッハ初タイトル)
鈴木亜久里、F1浪人
ヤマハは93年からティレルに供給継続、右京とともに印象的なシーズン
*日本GPは雨の2ヒート、全身ずぶ濡れで見た。

1995年(シューマッハ支配のはじまり)
鈴木亜久里、F1参戦(入賞1回)
リジェ 無限(マネージングディレクターはトム・ウォーキンショー)
シートシェア騒動、更に日本GP予選でクラッシュして負傷、そのまま引退
*このクラッシュも、私の目の前でした。

1996年(D.ヒル、静かなる戴冠)
トム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)がアロウズを買収
*鈴鹿では、外れたビルヌーブのタイヤがすぐ近くに

1997年(ジャックがチャンプに、ハッキネン初勝利、右京引退)
ヤマハがアロウズにエンジンを供給
ハンガリーGPで2位を獲得(D.ヒル)
*ラストラップのトラブルで優勝を逃す

1998年(ハッキネン、初タイトル)
ヤマハとアロウズ(TWR)の交渉成立せず、開幕前にヤマハは事実上撤退
*公式なリリースを出さず(出せず)

1999年(ハッキネン、2連覇)
高木虎之介がアロウズ(TWR)より参戦

~中略~

2002年(シューマッハまさに絶頂期)
アロウズ(TWR)、ドイツGPをもってF1から撤退

~中略~

2006年(シューマッハ引退)
鈴木亜久里「スーパーアグリF1チーム」を率いてF1参戦
*この際使ったのが、元TWRのファクトリー
*この年のマシンは、アロウズ(TWR)最後のマシン「A23」のモノコックを流用

~中略~

2008年
鈴木亜久里の「スーパーアグリF1チーム」スペインGPをもってF1から撤退
*亜久里さん、ひとりで会見(参戦表明時もそうだった)

ちなみに・・・
「スーパーアグリF1チーム」の管財人は、かつてアロウズ(TWR)の整理も手がけた企業である。



そうかもう20年・・・
こりゃ、ワタシも歳をとるワケですわ(苦笑)
でも、今年も懲りずに(ホンマや^^;)日本GPに行きまっせ~!

腹の底にある、ズシ~ンとした違和感

2008-05-06 00:12:08 | モータースポーツ
といっても、帰省して喰い過ぎて胃が重いのだけではない(苦笑)

今日は「何とも言えない、イヤ~な感じ」の一日になりそうで・・・
「そのコトそのもの」だけでなく「それに至る過程のど~のこ~の」とか「それに短を発するあれやかれや」とか・・・参ったねこりゃ。

自分の大ポカを嘆くのすら忘れそう、な感じであります。
F1に関して、こんなイヤな感じで重いのは、久々かも。
私が参ったり、あれやこれや考えても仕方ないことなんですけどねぇ。。。


本件に極力冷静にあたるための参考として、下記の文章を紹介します。
ホンダの真意、そして“ホンダ”とは誰か・その1
ホンダの真意、そして“ホンダ”とは誰か・その2