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酸素ボンベがまだ来ない

上手い思考の吐き出し方を探しています。目指せ週1更新。しかし最近ゲームメインになってます。

無責任結果論

2011-11-22 11:44:26 | 日記
今回の元ネタはこちら。
http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=3124

どうも現代うつの対処についての特集で、結論が
「若者がしかられ慣れていなくて、未成熟だから扱いにくい」だったそうです。

さて、この文章は日本語として正しいのですが、やや短いので色々要素を足せないか考えてみます。

とりあえず、前半は受身形の文です。
だから、まず「誰が」あまり叱らずにやってきたかが足せます。byですね。

次に、その「誰か」が「なぜ」叱らなくなったのかとかもあったら役に立ちそうです。
次の世代で同じことを繰り返さないためには、そのときそのときの企業が対症療法考えていくより、原因断つ方法考えた方が効率がいいと思うんですが。
whyで文章をつないで補足することでさらに伸ばせそうです。

どう扱いにくいか、Howは心が痛くなるので勘弁してください……。

ところで、どうしてこんなこと言い出したかって言うと、英会話をやろうと思って(来年の夏に院試なのです)調べていたら、
日本語は目的語や補語から述べて、主語や述語が後回し、という日本語特有の考え方がある、というような文にぶつかりました。
で、先ほどのNHKの特集の結論(上)を見て、アレ? これって日本語的文章じゃない?って思い当たったので、いじってみました。中身まで見たら、結論とか違うのかもしれません。

正直、この辺は自分も地雷ゾーンど真ん中なので華麗にスルーしたいのです。
だから、以下では具体的にこの5W1Hをうめていく路線ではなくて、若者云々じゃないお話しをします。

現代鬱に関して少し思ったのは、「ゆとり世代」「現代うつ」という言葉を使って否定的な見方をする人間の近くに寄れば元気が出ないのは現代型うつ云々以前に人間として正常動作の範囲内かと思われます。主語が逆なだけで同じことを思っている若者も、年長者の方からしたら失礼で不快かと思われます。お互い、病名とか考える前に鏡で自分の顔を見て笑った方がいいんじゃありませんか?
多分、否定的な見方をされるだけではない、頑張ったら認めてもらえるっていう感覚、待っていたら何とかなる感覚を与え合うことのほうが、病名をつけるよりは平和的に解決すると思います。
病気や現象に対処するんじゃなくて、人間として対面して欲しいなぁ。


さて本題。
この番組とか、その他の議論をたどっていて気になるのは、思い切り他人事(自分に責任がないこと)として問題を語り対処法を考えることです。

たとえば、夏休みが始まる前に学校の先生が「楽しい夏休みにする前に宿題は早めにやっておきましょう」といいます。
先生としたらこれくらいの量なんだからさっさと終わらせてしまえると思っていますが、子供たちからしたら夏休みの宿題は一大イベントです。ハードルが高いのです。
そして、先生の言葉は役に立たずに子供たちの夏休みの思い出として
最終日あたりに大量の宿題に追われた、あるいは出来なくて平謝りしたという一コマが追加されることになります。
おそらく登校日当たりに1/3くらい提出させた方が現実的です。私の高校ではそうでした。
賢くなりましたね。(先生が)

こんな感じに自分が取り組まない問題に解決方法を与えると、えてしてその方法は問題を解決しません。
問題を解決する方法には、
実現可能性(そもそも出来るか)、継続可能性(続けられるか)、実効性(意味があることか)、
とか色んな要素があると思うのですが、他人事に対して語るときは得てして継続可能性や実現可能性が軽んじられます。

宿題くらいの、個人的なことなら笑い話でよいのですが、日本という国はなんでもこんな感じの話し合いをしてしまう国に感じてしまいます。

たとえば、会社のルールを新しくしようと思って、参考に若い者を呼ぶ。
この場合、呼んだ側より長くルールを使っていく若者は継続可能性や、実現可能性に着目し、呼んだ側はもっと会社のことを分かっているので実効性に重きをおいて話し合えばいいはずですが、
全部一緒くたに同じ土俵で話すので、もちろん立場が下の方が遠慮して結局呼んでも呼ばなくても一緒、決まったことは実現不能で会議分の人件費の無駄みたいな。
学級会とかも基本的にこの構造でした……。

真剣に計画に実現性や継続性を与えようと思ったら、現実を見て、良くない結果も自分のこととして引き受ける覚悟が必要だと思うのですが、
報道陣っていつも「報道陣」っていう別枠にいるから、そもそもテレビに期待しても仕方ないような気もします。

第三者報道機関は情報のベースとして必要であることは事実です。

せいぜい自分の現状くらいは目をそらさないでいられますように。

xxxxxxxxxx

自分が破綻する計画としてよくあるのが生活費管理です。
ついつい美味しそうなニオイに釣られて、ちょっと食べに行ってしまうのです。エンゲル係数が高いのです。

ある日決定的な管理方法を思いつきました。
母に、月々の生活費の一部を天引きしてもらうという方法です。
こう、自分の意志とは関係なしにお金が残っていいです。

今書いてて、ポケモンの主人公(10才程度)と同じことをやっていると気づきましたが、はい。

xxxxxxxxxx

~ものです、とか、~~なんですね、とかみの○んた先生みたいだったので訂正。
重力加速度はこれぐらいのものです、みたいな自然科学的で簡単なことを報告するならまだしも。
何か自分ごときが使うと、たいしたものでもないのに

あなたは知らないでしょうけどね

ってニュアンスが加わってしまうみたい。上から目線になってしまって大変良くない感じですよ。

たびたび訂正するのは、一回言ったら取り消せないリアルコミュニケーションの練習場として考えたら
よくない気もしましたが、
上手い言い方を覚える練習も兼ねているので勘弁してください。

普通に断言形になっているところを、自分の主観なら感じた、思う、と付け足したり
○○だが、って形で終わるのを普通に○○で終わらせたり。

動詞の補語や目的語の対応もまだまだおかしいのですが、それはまた次回以降の課題です。

さらにニュアンスもいじりました。もう原型残ってないorz
結論は変わっていないつもりですが、印象は変わったはず。いま下書き機能に気づいたので次回は書いたら2,3日置こう……。

インスタントな一コマ。

2011-11-20 01:08:38 | 日記
先週、家で勉強できない哀れな大学生が喫茶店に行ったところ、震災に関する募金箱が消えてました。
あー、もう消えちゃうかーって感じです。
震災が大変なのってまだまだずっと続くだろうになー、はー、みたいな。
まぁ、それ以上の感情はないです。
こないだ大学で関連写真展が開かれて、ちょっと後ろめたい気持ちになって小銭入れたかっただけなので。

その写真展に関してなんですけど、まあ、私が入った位置が悪かったせいか、
写真を撮った人たちのグループが元気良く跳ねていて、「行かないのは一生の後悔。行くは一週間の旅。一週間でこんなに仲良くなれた!東北の奇跡!」といった感じの説明文がついている大きな写真(展示会中一番大きい?)が見えたんですね。

ものすごく気分悪い。

リア充ここにきわまれりっていう感じの写真ですね。非リアの僻みもあるんでしょうね。
いやまぁ、私が写真見て募金しようと思ったくらいですから実益はあるんですけど。
さらに、一週間大勢で行ってきて地元にたくさんお金を落としてきたわけですし。

なんだこの、「自分たちが主役」オーラ。

写真展の看板がいかにも雑だったことも、吐き気に拍車を掛けているのですが、
まあ、アレ。そーいうのはサークルのサイトのトップページまでにしておけよって言う。
この写真展見る人ってさ、お前らの青春キラキラが目的じゃないんだって言う。

私には何が出来るのか、と考えながらシャッターを切りました、とか、
うん。
自分の手が汚れたり、後々めんどくさくなったり、形が残らなかったりする方法は無視しましたって解釈してok?

って感じてしまいました。

もちろんそんなことはないことぐらい今現在は分かっております。
だけど、なんというか、ルート制限って大事ですね。
伏線を回収しないからこういうことになるんですが、回収したとしてもやや引いた気がする。

私からしたら写真展を開くのは別に彼らじゃなくてもよかったわけで。
時期的に彼らしかなかったから、彼らの写真展で思い出せて良かったなーってなっただけなんです。
つまり、「彼ら」である必要は別になかったのです。だから、あの場で彼らが主役である写真は見たくなかったのです。
とても綺麗に、丁寧に写真を撮ってきたのに結局それかーって言う。
(他の写真自体はかなりぐっと来ました。くっきりしていてブレがないというか、素人なのでコメントは控えさせていただきますが。

主役になっていいのは、主役の覚悟を引き受けた人だけだっていうのが自分の感覚なので、
これから一生悩んでいくだろう人たちに関わるとき、一週間っていう一コマに出演しただけでその場の主役になってしまえる人にはちょっと。
袖振り合うも多生の縁程度以上のことをしないのならそれ以上の演出をしないほうがいいが……。

偽善が悪いとは言わないし、役に立つなら素晴らしいと思うし、羨ましくもある。
徹底的に貫いて、一人でも人を救って見せるまで貫いてみせるんだったら、そういう偽善は愛おしいです。
あるいは、自分が関わるのが一瞬だけど、その後も回る上手い仕組みを作って見せてのドヤ顔なら、「このリア充!」と歯ぎしりしながら尊敬せざるを得ません。

だけど、ちょっと関わっただけで頑張りました☆って大げさにアピールしちゃうの止めようよ。
そういう風にアピールされると、本当に頑張っていてもそういう風にしか見えないじゃありませんか。
就活で、サークルの副部長が大量出現するのと同じ次元に下げちゃいけないことではないの?
日本はまだそう言う文化じゃないはず。(なっても私は言いたかないけど。

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いつの間にか「インスタントいいこと文化」みたいなものが出来た気がして、それが嫌いなのです。
いいことには根気が付きものなんですが、それを始めるためのハードルを下げるため、まずは一週間から、
みたいなパックツアーっぽい雰囲気が出来て、いつのまにかそれが主流になってるように感じます。

そんな短期間だったら、本当に自分たちの方だけ何か感じさせていただく、
程度で終わりそうな気がするのですが、思い切り発信者として、主体としての表現に見えてしまい、
それは失礼だろう、と。

始めることは大事ですし、関わる勇気が持てない者の僻みですけれど。
自分がやったことの大きさが把握できないうちは発信しない方がいいと、発信の方法を練習するブログに書く矛盾。


次は前向きなこと書きたいなぁ。

昔の姿は鏡に映らない。

2011-11-19 22:22:54 | 日記
元記事こちら。
http://anond.hatelabo.jp/20111119203554

ブログ書こうと思ったけど、長文は苦手だ。

>社会性の訓練とか人間扱いとか、匿名から引き剥がして一個の人格として扱うとか、
>そういうレベルから世話焼いてくれるとこがない限り、いちど脱落したものはよっぽどのことがない限り復帰できません。

まだ人間の中で底辺にいるのだけど、これって本当にそうで。

奇跡のような確率で、匿名から引きはがしてくれた人がいて、ずっと自分なんてって言ってたら、それはいまお前の目の前にいる自分に対してひどい言いぐさだって怒ってくれた人もいて。

友達が出来なくて、人付き合いが苦手で、かつこうなったのも自分のせいだという自覚があって、今も性格の悪さもコミュニケーションスキルも変わらないんだけど、

これから自分が出会う人は、自分が普通にしていれば昔のことなんて関係ないのだから、
昔のことを引きずって、弱い者として振る舞うことはこれから自分の周りに生きる人にとって失礼で。

自分が好きだという人もいるし、嫌いだという人もいて。
でも多分、それはここ数ヶ月の自分を見ての結果であって、昔の自分の性格を見聞きしたからではないはずで。

自分が交友関係で失敗したって思ってる場合は、その相手側も多分それを言いふらしたりはしないはずで。
(さりげなく避けられてショックを受けたりするが……w)
わざわざ、今は関係ない、当時の仲も良くない他人の昔のことを掘り出して悪口を言うなんて、明らかに向こうの方の株が下がるだけだし。
自分から見て、自分が悪で、向こうが正義であればあるほどその可能性は低いよなぁ。
もし、そんなことがあったら、自分だけが悪いわけではなかったと胸をなで下ろそうw
(一時とても楽しみにしていた性格の悪さです……

まだじつは人間にもなりきれていないのかもしれないけど、それでも、
ちょっぴり笑顔になって、ちょっぴり言葉から棘を抜いたら、
それだけでちょっぴり周りも柔らかくなるでしょう。

笑う門には福来たるってことで。鏡でも見て練習しますかね。

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ツイッターという場が苦手になりつつあります。
考えなしにつぶやけるので、それで意図せず傷つけてしまって、それをまたぽーんと返されたりして。

勉強が出来ない、大変だ、不安だ、変なもの見た、これくらいしか自分の中で安心して発信できることがない;

まあ、もともと他人がいる場の独り言で言っていい内容なんてそんなものかもしれませんが。

ツイッター上でしかつながりのない人もいるのでまだ止めるかは微妙。