08月10日に西新井西公園や十条その他に立ち寄った帰り道、環七沿いの西加平神社に偶然立ち寄ったが、この風化してしまった石像があまりにも不憫で仕方がなかった。
寛文十(1670)年十月
状態は良いようだ
天保八(1837)年
少々状態が良くないようだ
天明八(1788)年七月
一度折損したのを修復したようだ
今回、http://koktok.web.fc2.com/index.htm 内の、“石川博司氏 庚申著作集”にあるExcelファイルを参考資料として活用しました。
寛文十(1670)年十月
状態は良いようだ
天保八(1837)年
少々状態が良くないようだ
天明八(1788)年七月
一度折損したのを修復したようだ
今回、http://koktok.web.fc2.com/index.htm 内の、“石川博司氏 庚申著作集”にあるExcelファイルを参考資料として活用しました。
西加平神社の記事を全て読ませて頂きました。
写真の溶けかけたようなお地蔵さん、以前は別の場所にありました。現在の足立区青井5-14-1辺りです。
記事中の地図で見ると、環七を挟んで西加平神社の下に「アコレ」「綾瀬グランドハイツ」「(緑色表示の)公園」。
それらの右横に西加平神社横を通る広い道路。
鋭角な三角の土地を挟んで広い道路に突き刺さる道。
その三角土地の脇から綾瀬川に向かって斜めに伸びる細い道があります。
これは江戸時代からの古道。
「突き刺さる道」には昭和40年代までは用水路が流れていて、その元用水路の道と古道がぶつかる角にこのお地蔵さんが佇んでました。
私が子供の頃にはすでに写真通り溶けかかったような風体でしたが、トタンの囲いと屋根付きで大事に祀られてました。
足元にはちゃんと石の香立てがあって小さな賽銭箱も設置されてましたし、お供物もよく置かれてました。
隣には庚申塔もあって… 記憶違いかも知れませんが写真の3基並んでるのがそうだったような…?
元用水路の道はコンクリ板で蓋をされてしまいましたが、通学路だったので皆自然とお地蔵さんに慣れ親しんでました。
(すぐ斜め向かいに長屋門があって、よじ登って遊べるからそちらの方が人気でしたが。笑)
西加平神社の方へ移動してからは通りすがりの人が手を合わせる姿を見る事は無く、雨曝しで大切にされてる様子もなく、私も不憫に思ってました。
昔は小川と畦道沿いに佇んでいたであろうお地蔵さんと、田園地帯の面影が残ってた頃の西加平神社と鎮守の杜、社務所前の広場、懐かしい写真を沢山見る事が出来て嬉しかったです。ありがとうございました。
あの石像は地蔵様だったのですか。
地域と共にあった頃の姿が脳裏に浮かんでくるかのようです。
正月に立ち寄りましたが、日を改めて訪問する事にします。