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楽しい出来事

私の楽しい出来事、うれしかった出来事日記

畿内てっしるか?それも知れ!

2025-08-29 15:14:31 | 日記
 部署が変わり上司が変わって、京都に関連する事柄を知っていて当たり前と言われて勉強していますと言ったら、「畿内て知ってるか。言ってみ。」といわれました。急に言われたのでわかりませんでした。「京都、大阪、奈良、山城などですか」と答えたら、勉強しているわりに知らんな。摂津、大坂、京、大和、山城。もっと勉強せよ。」とさらに酷な言葉が返ってきました。
 よく知っている先輩からは、仮にも会社の先輩だから聞いてやれと言われていたので、初めは日本最初の国道葛城古道から、加茂神社をたどりました。あと約15年かかって、山の辺の道、藤原京、大和三山、恭仁京、平城京、難波宮、平清盛の築いた雪の御所、安徳天皇御座所(モルガンお雪の燈籠の寄進がありました。)暗峠数えきれないほど回りました。本当に京都に住んでいる京都人の方はみなご存じなんでしょうか?各会社の先輩の言うように。
 葛城の加茂神社がルーツで、各都に加茂神社が築かれ、最終的に平安京の加茂御祖神社や上賀茂神社につながっていくのがわかりました。
 仁徳天皇、応神天皇(譽田八幡があり、その宮司さんが京都から来られるのは珍しいとおしゃっていた)、ニホンタケルノミコト(百舌鳥)、百舌鳥古墳群(この頃は、堺博物館の学芸員の方が戦災で皆かなり壊れていますといわれ、今のように仁徳天皇陵のように1周回れなかった・遠回りして何とか回れたのを思い出す・世界遺産になるような状態ではなかった)、大津王子(大和)、嵯峨天皇、淳和天皇、平城天皇(平城京の真北に位置するのにはびっくり)、中将姫(大和・京の市役所前に中将姫ゆかりの寺院がある)、在原業平(十輪寺)、惟喬親王(大原・辺鄙なところ)、楠木正成(大坂)、正行(四条畷)、正行(大和・辞世の句 かへらじとかねて思へば梓弓なき数に入る名をぞとどむる)、桜井の別れ(奈良じゃなく水無瀬にありました)、高倉天皇(墓所に引っ付いて小督の墓もありました、かわいかった)、源頼政(平等院塔頭)、以仁王(井出の7家が守っておられ、敷石はのちのもの)、後白河天皇、足利尊氏(等持院)、後醍醐天皇(唯一門が京に向かって北向いている・・・嵐山に祭られていた後醍醐の神社にむいている・大和)、護良親王ゆかりの鎌倉宮(比叡山に刀剣があった・鎌倉宮には山本元帥の句が送られていた・公家にして公家にあらず、武士のような振る舞いだったように伝えられている)、古田織部(京寺内、堺、堺にある千利休、徳川家康(南宗寺)、秀吉(阿弥陀ヶ峰)、織田信長(大徳寺)、濃姫、宇治宿祢、鎌足(談山神社奥)、聖徳太子(大坂)、小野毛人(ひとけが無くジョロウグモの巣でいっぱいだった・洛外)、蘇我馬子(大和)、入鹿(大和)、行基(大坂)、長屋王(平群郡)、吉備内親王(生駒)、清少納言(木津・本当は四国にあるという)、紫式部、清盛廟(墓は不明)、熊谷直実、平敦盛の首塚、胴塚、墓(金戒光明寺)、旭日代将軍【木曽義仲】首塚(移設されている)、平将門首塚、明智光秀首塚、明智光秀(西教寺・近江)源範頼の墓(伊豆)、石川五右衛門、姉小路公知、木曽義仲(機内ではなく近江)、黒塚古墳、高松塚古墳など数えきれないほど天皇陵や古墳、墓所もめぐりました。秀吉の母の墓所は大徳寺と聞いていますが、私にはよくわからない、妹の旭姫は家康に大事にされたようで整然としたお墓でした。弟秀次は高野山で死を賜り、その前に妻や妾数十人三条河原で無残に処刑される。悪党という文字を刻んだ石の大きな墓、高瀬川を作るときにでてきた)、平徳子の墓は宮内庁の立て札だけで見られなかったように思う。安徳天皇母で無残にも子供は三種の神具ともに海の藻屑となる。高倉天皇の正妻だったにもかかわらず高倉天皇良の墓に小督の墓が寄り添うようにあった・建礼門院徳子・この頃の女性の出家は頭を丸坊主にしなくても、肩まで来たらよかった)本当に京都人はキャパが大きいか、からっぽかです。京都人大嫌い!
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