楽しい出来事

私の楽しい出来事、うれしかった出来事日記

ロキソニンの話

2016-07-27 04:58:51 | 日記
 私は、知らずしてブラック企業に入社したために、普通20代の前半で終わる荷造り作業や点検、荷揚げなどを台車や重機などを使わずに手作業で30代までさせられました。先輩のアドバイスもなく(腰痛ベルトの着用や安い台車の活用方法など)、台車の購入などを部長に何度も進言しましたが、お金をかけずにやれの一点張りで、とても封建的なKYの会社でした。
 まだ若く、体力や力には人一倍自信があったのと、負けず嫌いの性格だったので、年齢とともに少しずつ落ちていく体力には気づかずに、とうとう30台に入ってから、30から50キロ以上ある服地を200反ほど荷受けから点検、包装をほどき、手作業でエレベーターに乗せ、5階の売り場(展示場)まで運んで、お客様に購入してもらうように段違いに服地を積んで、天井近くまで積む作業で、いくつも山を作ります。一山、100から150反ほどあったと思います。
 この現物展の作業を朝から晩までしていて、会社の社則でスーツにネクタイ着用でしたから、家に帰るときには、朝には真っ白だったカッターシャツはドロドロで、ネクタイも汗だらけでしわしわになって、泥汚れや擦れでドロドロになっていて、みじめな姿で、電車に乗って帰った記憶が何度もあります(売れて出荷するときもすべてに得意先に出荷するまで自分でしました。。
 3日目にして両肩に反物をのせても痛く、休む暇もなく、ついに反物を持つときにガシという大きな音が背骨にあり、同時に激痛が来て動けなくなりました。医務室で少し寝ていましたが、持とうにも激痛が治まらずにもう荷物を持てませんでした。
 すぐに帰って近くの病院の整形外科にいったら、まだとてもきれいな骨ですといわれ、痛みが治まるまで重たいものを持たないでくださいといわれました。その病状を部長に話して治るまで事務に回してもらいましたが、半年後に治ったら、また同じ仕事もやれといわれ、2年続けてまた同じ事故が起きて激痛で、その時に同じ病院の整形外科で見てもらったら、背骨の間隔がかなり狭くなっていて、次に同じようなことが起きたら一生痛み(激痛)と付き合わなければなりませんよと言われました。それから、腰や腰、坐骨神経などに痛みを感じるようになりました。

 使い物にならない私は事務に回され、また、経理の仕事と集計の仕事を女性の2から3倍もやれといわれ、頸が疲れて1から2回回しただけで、部長から首を回さずに仕事をやれ。その時間も会社が給料を払っているのだからと罵倒されました。さらに、頚椎もやられ、頚椎と腰痛との闘いのはじまりです。
 その後、会社の営業時間の関係で病院には行けず、近くの接骨医院に午後8時まででしたが、事情を話して8時半までに入ったら治療してもらうようにしてくださいました。感謝。労災の認定は難しい時代でしたので、長期療養ということにしていただきました。その後、40代の時に管理部門に回され、定時近くで帰れる日が多くなったので、痛み止めを出せない接骨医院から整形外科のある病院にいき、ロキソニンを調剤していただき、もう20年以上飲んでいます。

 あまりの激痛で、救急車で運ばれ、1か月ほど入院したこともありました。最初の10年間は腰に激痛が来て動けなくなっても、ロキソニンも痛み止めの座薬も、先生が打たれる麻酔系の痛み止めの注射も全くききませんでした。
 いろいろな病院に行きましたが原因不明で治らず、今は亡き母から、名医という心療内科の中井先生を紹介していただいて、原因の一つがわかり、3年ほどたってからようやく痛み止めのロキソニンや座薬、シップ、注射が聞くようになってきて喜んでいます。 
 胃腸の調子もこの10年ほどよくなかったので診療してもらっていましたが、母の死ぬ前にちゃんと見てもらいなさいというので、3年前から定期的に胃の検診などしてもらい、つい25日には小腸・大腸検査をしましたがそうたいした所見は見られず、あと5年は大丈夫ですと主治医の先生に太鼓判を貰いました。

 胃の方は少し赤い斑点が数か所にあり、会社の時にできたストレス性の十二指腸潰瘍痕、老齢による逆流性の傷が上部にあるようで、特に大きな問題はありませんと言われました。
 ロキソニンは悪く言われているようですが、私の通っている病院では1日3回飲んでもよいですよとなっています。先生によってはきつい薬なので、1日に1回という方もいらっしゃいます。
 個人差はあるともいますが、私の場合は、以前の6年くらいは毎日常用していましたが、現在は、かなり痛い時に飲むようにして、大丈夫なようです。
 若い皆さん、社員を大切にする会社に入社ください。きつい仕事も会社でも、人的な事故が起きないようにマニュアルや対策を講じている会社、先輩がアドバイスしてくれる良き先輩の多い会社に入社して、いつもまでも体を大切に仕事を続けてください。若い時には自分をスーパーマンの様に思う傾向があります。いくらその時に強くても加齢により少しずつ弱くなってきます。大切なことです。

 この会社(京都の老舗)の管理部長は、人間は日々1日ごとに成長している。今日できないことでも明日できる。今年出来ないことでも来年できるという考え方で、1年ごとに会社に提出する設定目標には、毎年高い基準を言われました。例を言うと、家に建てるのに最低1か月かかるところを3週間でやれ。それが出来たら2週間でやれ。仕事も共同作業でやっています。専門家が休めばできません。自分もできないのに、その補てんはお前がやれ。手抜きはするな。その間はどんなことがあっても休むな。わからないことは自分で調べて、1人で全部期限内に仕上げろと。更地作業、廃材の処分、木材や機材の手配、基礎の施行、組み立て、壁塗り、屋根貼り、ガラスや欄干などのはめ込み、網戸を作りはめ込み作業、電気系統の配線、ガスの配管、上水と下水の分離作業と水道管の取り付け、ガレージや門の取り付けなどなどすべて自分でできて当たり前の会社でした。分業なんて、協働なんてありません。亜土は椅子も1つもない。あったとしたら足を引っぱること。人を陥れること。本当にブラック企業だと今では思います。

 (家内が、朝午前6時過ぎに倒れ、先生の手術の時間もあり、長時間の手術になりました。家内が、朝午前6時過ぎに倒れ、手術が終わったのが午後8時半ごろ))。行きつくところとどまるところを知りませんでした。妻が気絶して倒れ、救急車で大きな病院に運んでもらい、死にかけて緊急手術したときも、夜遅くなりましたが、遅くなっても会社に出て来いといわれました。

 調べてもわからないことがあれば、答えを全く教えずに、ヒントもくれず、「この世の中にはわからないことはない」「人間の歴史は長いのだから」と罵倒して、自分もできないくせに偉そうにして、私より早く帰って、上から目線でいうばかりで、今では仕事もできない口だけの部長だったと思います。京都工繊大学を出ておられましたが、公立を卒業していてもたことないなと痛感しました。

 腰痛は今後もうまく付き合わなければなりませんが、胃腸の調子もいまいちですが、悪いところがないのがわかっただけよかったと思っています。
こんなブラック企業ですが、社長は昨年、勲章を貰われたようです。社員を大切にしない。業績が悪くなった途端に給料の大幅減額に、賞与なし。最後には、社長の言いなり人間にだけ賞与をだす。最後に大幅なリストラを決行。親族関係はあくびを切らずに、縁者でどうしてもリストラするときは、その人間だけ子会社出向にされました。それ以外の無縁の社員は紙切れ一枚でハローワークで必死になって職を探しました。会社のために一生懸命働いている社員を人と思わないこんな会社に勲章なんて似合わないのではないでしょうか。