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弥勒登山165回目 時計回り 2014/04/07 月曜日
(1)道樹山谷は快い風に沢音が合わさって実に気持ち良い雰囲気になっていた。

(2)

見回せばスミレの鮮やかな紫が沢のあちらにもこちらにも(3)
沢風に
スミレ独りで
花盛り
大谷山頂直前の東側斜面から現れた女性数人のパーティが「カタクリの花」がきれいだったと言う。今まで気付かなかったがそこには三の倉方面に下る道ができていた。(4)カタクリの花
弥勒山頂の祠前に住み着いているらしいネズミが人に成れて来たらしくて、よく姿を見せるようになった。(5)
旧知の常連登山者が、あれは「くさねずみ」だと言っていたが、帰宅して調べても「くさねずみ」と言う種類は見つからなかった。
大きさで言えば「カヤネズミ」の体長5~8cmに最も近いが耳の形が違うようである。
調べた限りでは「アカネズミ」 の姿がもっとも近いようだったが「夜行性」と言う点が気になる。
アカネズミ
【学名】Apodemus speciosus
【分布】日本
【体長】8.5~14cm
【備考】野ネズミの代表種、日本のネズミ類では最も優勢で夏毛は黄かっ色から赤褐色、冬毛は暗色になる
・夜行性で単独性で落ち葉の下にうもれた昆虫や種子、果実などを見つけて食べる
・地中に巣穴を作り、栗・ドングリなどを10リットルほど蓄える
登山者が持ってくるヤマガラやシジュウカラのエサが辺りに沢山散らばっている。(6)
小鳥は意外と不器用でせっかくのエサのかなりの量が散らばってしまう。このねずみはそれをエサにしているようだ。
弥勒登山167回目 時計回り 2014/04/11 金曜日
(1)弥勒山頂のツツジも満開に近くなってきた。
(2)
(3)桜も開花が進んでいる
(4)しかしつぼみもまだ多くて、せいぜい五分咲きと言ったところかな
ツツジと桜、両方が満開の絶景を楽しめるのはもうじきである。
(5)またひとつ洞窟を発見
2014/03/12に記事を書いた穴のすぐ近くにもうひとつの穴を見つけた。
前回のものより大きくて、こちらは大木の根元がえぐられたようになっている。(6)
(7)穴の中にも水が溜まっているようだ。
奥も深そうであるが入り口付近がぬかるみになっていて近づくことができない。
弥勒山東側の中腹 2014/04/14 月曜日 弥勒登山168回目 反時計回り
(1)ついに満開となった弥勒山頂のツツジ
(2)桜もほとんど満開でツツジとの相性は実によろしい
弥勒山頂の祠から廿原方面に少し降るとしばらく階段が続くが最後の段を降りて少し先に倒木で隠れた右へ行く踏み分け道がある。
か細い路でしばしば途切れる(よく観察すれば痕跡は続いているが筆者もしばしば迷ってしまう)のであまりお勧めはできないが、弥勒山頂から降る階段の果てで34番標識のすぐ上に通じたトラバース道である。
(3)右側の倒木が目印
(4)山頂方向を向けば左側にある。
写真からは判り難いが前方に階段の最後の段が見えている。
(5)最初の内は道もはっきりしている

(6)
(7)
(8)水害で崩れた箇所はその上部を迂回していく
(9)まっすぐ登っていく道と左へ若干降っていく道が見える。
ここの場合はすぐに合流するが、場所によっては片方の道が途中で消えてしまうことがある。
踏んだ跡、擦った跡、木の枝や草の茎を折った跡などで、より跡の多いほうを選ぶ。
(10)
(11)しばしば倒木などで遮られる。
四足ではない人間としては乗り越えるか、迂回するしかない。
(12)
(13)
(14)おそらく雪で倒れた木。
筆者の背丈ほどもある壁に見えるが、おかげでよい目印となっている。
(15)終点が近づいてきた
(16)終点が近づいてくると樹間が広くなってくる。
(17)終点。右に行くと弥勒山頂に至る階段が始まる。左へ行くと34番標識になる。
(18)大谷山頂の桜はなぜか、まだ満開になっていなかった。
(19)
弥勒登山170回目 反時計回り 2014/04/19 土曜日
(1)32番標識近くで今年も朴の木の開花時期が近づいてきた。
(2)冬芽がむけてきたのでまもなく新緑に覆われることだろう。
(3)同じ場所にあったこの花はなんだろう?
帰宅して図鑑を漁ったが解らなかった。
04/22に植物画の先生に聞いたところ「アラカシ」の新芽だそうである。そういえば葉っぱに見覚えがあって、秋にドングリの生っていた木である。
歩いていると足元でしきりにガサガサと音がする。カナヘビが活動しているのだ。
16日には27番標識の近くでマムシを見かけた。山はすっかり春であり生き物たちが活動しているのである。
弥勒登山172回目 時計回り 2014/04/25金曜日 暑過ぎ
(1)27番標識と28番標識の間で遊歩道ルート上の最低部にある谷を登ってみた。
(2)流水量も多く春日井三山の中で最大の道樹山谷に次ぐ規模に思え、岩の造作も見事であった。
(3)しかし最後は二枚の巨岩で挟まれた、それ自身は見応えのある谷で行き詰まり、かなり苦しい藪漕ぎを強いられてしまった。

藪漕ぎの末に脱出したところは27番標識から登って来る道で、35番標識に近い場所だった。
夏焼山 2014/04/28 月曜日
信州から尾張に抜ける木曽谷(現代の国道19号線)と信州から三河に抜ける伊那谷(現代の国道153号線)の間には中央アルプスの大山塊が在って交通を妨げていたのでここに抜け道を探す大変な努力が古来からなされて来たのだろうことは想像に難くないが、現在でもその道は三本しかない。
最も古い抜け道は恵那山の中腹を抜ける「神坂峠(みさかとうげ)」であるらしく、峠の頂上には古代の祭祀跡があり神坂峠遺跡と言う。
この道は東山道第一の難所として知られていたが、後に東山道(中山道)は神坂峠を避けて木曾谷を通るように変更されたために神坂峠を越える者は減少した。と何かの本で読んだ記憶はあるがどの本だったかは思い出せないで居る。
この道の大部分は舗装されているが現在は通過禁止になっている
二つ目に開通したのが伊那市と奈良井宿を結ぶ「権兵衛峠」(旧名:鍋懸峠なべかけとうげ)で元禄9年(1696)完成とあり、2006年2月4日 開通の国道361号として改修されている。
三番目が飯田市と妻籠宿を結ぶために飯田藩が開いた「大平(おおだいら)街道」で宝暦4年(1754)の完成である。
現在では国道256号線でもある「清内路(せいないじ)」として整備されているが、それ以前の道の一部が長野県道8号線として残っていて、一応舗装されているがヤタラにカーブが多くて山岳道路と呼んでも良いような道である。
冬季は閉鎖される道路であってしばしば猿が遊んでいる道路であり、景観に恵まれた絶好のドライブコースと言える。
この大平街道の頂上である大平峠の付近には県道8号線に改修される前の古道(本来の街道)が若干残されていてかっての大平宿跡も残っていて、それはそれで興味深い場所でもある。
今回は大平峠の北側にある夏焼山1503mに登ってみた。
(1)清内路(国道256号線)から県道8号線への分岐
(2)
(3)
(4)
(5)
(6)
(7)
(8)大平峠
(9)登山口
(10)
(11)
(12)
(13)
(14)尾根を一旦乗り越えてキャンプ場広場を先に見ておくことにした。
(15)
(16)さすがに1500mの山、日陰にはまだ雪が残っている。
(17)こぶしの花はこれから
(18)ツツジはようやく盛りを迎えようとしている。
(19)キャンプ場は季節はずれで誰も居ないが熊だけは居るらしい。
(20)別ルートで再び尾根に出た。
(21)アップダウンの無い、少し退屈な尾根道
(22)やや拍子抜けのする頂上
(23)御岳山だけはどこから見ても見応えがある。いつもとは違う方角から見るのも嬉しい
樫原考古博物館訪問 2014/04/30 水曜日
京都「みやこメッセ」古書市 2014/05/01 木曜日
良書多く、保存状態良好。さすがは京都!
五月計画 大分県 2014/05/11 日曜日
恒例となった墓参りついでの旅で今年は大分県を見る事にした。
2014/05/11 日曜日 初日 3時30分出発

地図上の松江から出雲市と津和野市へ二本の赤線が引いてあるのは出雲にある筆者実家の墓参を済ませてから松江まで戻って出雲そば「割子 わりご」を食べたからである。
今は年に一度しか食べられない筆者の「心の糧」なのである。
(1)道の駅「津和野温泉なごみの里」車中泊
島根県鹿足郡津和野町鷲原イ256番地 TEL:0856-72-4122
併営「あさぎりの湯」:営業10:00~21:00(最終受付20:30) 休:毎週木曜日 大人600円
2014/05/12 月曜日 二日目

日付の変わった頃から風が強くなりあたりの木立を騒がしていたが風は上空らしく車体を揺する事は余りなかった。
5時ごろ起床して出発した頃は霧雨の状態だったが次第に雨風とも強くなってきた。
低気圧の中心はまだ西の方にあるらしくて九州は本日一杯、西日本は明日の午前中まで悪天候が続くとラジオが言っている。
山口を通過した後、下関市に入らない内から「関門トンネル事故で停止」の道路情報が出ていたが大渋滞のなかにいるのでどうすることもできない。
国道2号線で下関に向かう車のかなりの部分は九州に渡る車だろうと思ったのでそのままついて行ったら関門トンネル方向と関門橋方向の分岐で皆が橋の方へ曲がって行く。
そのまま後について行って、橋の部分だけ高速道路を利用した。
せっかくの機会に橋からの眺めを楽しみたかったが、一瞬で目が回りそうになってしまった。
高所で運転しながら景色を楽しむことには無理があると言うことを理解した。
門司で国道10号線に入りひたすら南下して川を渡ると中津市になった。同時に大分県に入ったことでもある。
(1)中津市歴史民俗資料館
中津市1385番地(殿町)連絡先:0979-23-8615
休:第4水曜日、開館:9時~17時、入場料:無料
(2)一室だけのささやかな資料館だった。
(3)
ささやかだとしても折角運営してくれている資料館には申し訳ないが一点だけ苦情を言いたい。縄文コーナーの解説に「サルから進化した人は・・・・」と記されていたことである。(4)
人はサルから進化したのではない。人の先祖が誕生する前にはサルも居ないのである。
広い意味での霊長類の総てをサルと呼ぶのなら仕方がないけれど、サルと人は共通の先祖から生まれて片方はサルに進化して他方が人に進化した訳なのであって、サルから人が生まれた訳ではないしその逆でもないのだ。
九州に来ていつも思うのはうどん屋の多いことである。
長浜ラーメンの東京進出から九州はラーメン王国であるようなイメージに成って来たが現地にはうどん文化の長い歴史があっておいそれとは交代できないらしい。(5)
羅漢寺の手前で「青の洞門」と標識のある道を通ったが車が十分通れる広さのトンネルであってトンネル内壁も中世に手掘りで作られたとは思えない。(6)
おそらくは本来の「青の洞門」を現代に拡張したのだろう。本来の洞門の一部でもどこかに残っていないのかと誰かに聞いてみたいが、土砂降りの雨の中なのでそのまま通り過ぎてしまった。
(7)羅漢寺 参道入り口
中津市本耶馬渓町跡田1501 0979-52-2211
無休 8:30~17:00 駐車場あり(無料) 本堂庭園300円 リフト往復700円
風は幾分収まっていたが激しく雨の振る中で羅漢寺に到着した。
(8)羅漢寺のリフトは雨ざらしで止まっていたが、聞くと傘を差して乗れると言う。
座席にはぬれないように敷物をしてくれると言うので乗ることにしたが雨中で山頂までは行けず途中駅である羅漢寺までだそうだ。
(9)
(10)
(11)リフト降り場と羅漢寺の間にあった天然の陸橋。
風化し易い岩質であることが洞窟や彫像を生むのだろう。
(12)
山の中腹が削られて屋根のように張り出した岩の陰に多数の仏教施設が山腹へ押し込められるように築かれている。(13)
あるいは山中から建物が滲み出したような不思議な光景だが思い返せば日本中にこのような建築物はある。ほとんどはお堂だったり祠だったりがひとつだけ造ってあるのだが、ここでは施設のほとんどがこのようにして作られている。
自然や山の気を感得する目的なのだろうが、これを作る人たちにとっては大変な苦労だっただろう。(14)
(15)
作務衣を着て販売用のろうそくや線香を並べ直していた老人と立ち話をしたが、やたらとこの施設の自慢をして世界の宝と言う。皆がここで修行をすれば世界は平和になると言う。
敢えて逆らわなかったが、宗教関係者の独善には全く途方に暮れてしまうものがある。
宗教を抜きにして信仰心に限定するならば、この場所で信仰心が生まれることは在るかもしれない。信仰心は、それは人と動物を隔てる徳性であるとの主張にも同意できるし筆者にも自分なりの信仰心があると思ってはいるが、宗教となると全く別物であると筆者は考える。
宗教と言うのは人の信仰心を利用して金儲けを図る仕組みに他ならないと筆者は断定する。
創始期には違っていた可能性もなくはないだろうが、全ての宗教の行き着く先は人を組織して支配して富を効果的に吸い上げる仕組みになってしまうのである。それが人間のサガであり無意識の欲求であるために、それのできるチャンスがあったならば拒める人は稀なのではないかと思う。
宗教が人の信仰心を育むとしたらそれに反対する理由はないが、そこで留まれるとは思えないので総ての宗教からは遠く離れている方が良い。
(16)耶馬渓風物館(やばけいふうぶつかん)
中津市本耶馬渓町曽木2193-1 道の駅 耶馬トピア内 TEL:0979-52-2002
大人300円 9時-17時 休館日:毎週木曜日 10:00~16:30
一室だけで展示物もささやかなものだったが中津市歴史民族資料館よりも新しく明るいのが良かった。
それに風物館というのがどういう物であるのか良く判らないが、こちらは博物館とも資料館とも名乗っていないので文句の言いようがない。そしてここの事務員と会話したおかげで「青の洞門」のことが少し解った。
やはり本来の洞門の一部を拡張して現在の道が作られたそうで、本来の洞門の一部も保存してあるそうなので早速見に行くことにした。
又、本来の洞門が直線ではなく上ったり下ったりしていて、既に水没している部分もあるそうである。
(17)「青の洞門」保存部分
(18)洞門以前の道の一部が崖の中腹に残っていたが見るからに危うい代物である。
(19)この辺りの山の岩質はかなり脆そうで怖いものがある。
(20)なかま温泉
中津市山国町中摩3485-1 電話番号:0979-62-2655 料金は300円で内湯のみ 単槽
本日は雨のために十分な活動ができなかったが午前中の走行距離が長かったので早々と停泊予定地の耶馬トピアに到着して車中泊した。
道の駅 耶馬(やぱ)トピア 車中泊
中津市本耶馬渓町大字曽木2193-1 電話:0979-52-3030
2014/05/13 火曜日 三日目

(1)相原山首遺跡
中津市大字相原3000番地31 駐車場 無料65台(風の丘葬斎場)
(2)
(3)
(4)
(5)
(6)
相原山首遺跡は複数の古墳があるだけなのだが、その場所には現代の「風の岡葬祭所」が建っている。葬祭所を作ろうとしたらそこが古墳の集中地だった訳だが、結局古代人も現代人も同じ目的で選んだ場所が同じ所だったと言うことらしい。(7)
ここはなぜか平野の中で島のように浮き上がった高台になっているので、あるいは古墳期の人間も知らないもっと古代の集落跡だったかも知れない。
(8)宇佐八幡宮 参道入り口
大分県宇佐市大字南宇佐2859 TEL:0978-37-0001
(9)
(10)
(11)
(12)
(13)
(14)
(15)宇佐八幡宮に何かの思い入れがあって寄った訳ではない。
しかしこれだけ有名な場所でこのチャンスを逃せば生涯来ないかもしれないのだから素通りはできなかった。
ただ宇佐八幡宮が有名になった理由は不快である。
奈良時代の神護景雲3年(769年)宇佐八幡宮より称徳天皇(孝謙天皇)に対して「道鏡が皇位に就くべし」との託宣があり、弓削道鏡が天皇位を得ようとしたとされて紛糾したのが「宇佐八幡宮神託事件」である。
神託で最も有名なのは古代ギリシアのデルファイのアポロン神殿であるが、献納次第で内容が変わるためにギリシアの各都市はデルポイに財産庫を築いていて、神託を左右する一種の情報戦もあったと言われている。
いずれにせよ神自身の口ではなく間に入った誰かの口から語られるので、神託と言うものは常に胡散臭さを逃れられない。
(16)
(17)
(18)しかしこれだけ大きな森を残してくれたそのことだけは感謝したい。
(19)大分県立歴史博物館
宇佐市高森字京塚1 TEL:0978-37-2100 休館:毎週月曜日 個人300円
午前9時00分~午後5時00分(入館は午後4時30)
(20)博物館南は広い麦畑になっているがその先の森は博物館とその西側にある史跡公園「宇佐風土記の丘」を併せて囲んだ高台として区切っている。
(21)史跡公園「宇佐風土記の丘」川部・高森古墳群(かわべ・たかもりこふんぐん)
宇佐市高森字京塚1 TEL:0978-37-2100
大分県立歴史博物館は、史跡公園「宇佐風土記の丘」の一角に建ち3世紀から6世紀に渡る6つの古墳に囲まれている。この「風土記の丘」と言うものは近頃全国に作られているらしいが共通するのは古墳集中地に造られていることなのだ。
風土記が書かれたのは奈良時代初期でしかもその内容は中央政府が各地の事情を知るために書かせた官撰の地誌なので古墳とは関係がないのだがどうなっているのだろうか?
名前はともかく、古墳の多い土地を整備して古代に想いをはせようと言うのなら、「縄文時代の丘」も造ってもらいたいのだがどうだろう?
(22)
(23)
(24)古墳とは時代も文化も違う何かの祠が古墳の上に作られている。
見たところ密教系の彫り方だが家紋らしきマークもあるので封建時代の作である可能性もある。関心がなかったのか、判断材料がなかったのかこの祠についてはどこにも記述がなかった。
(25)前方後円墳の前方部分
(26)最も古い3世紀の「赤塚古墳」は周りが広いために外周を観察することができたが、総ての樹木を取り除いた訳ではないので。前方後円墳の形を確かめることはできたが、おそらく以前には樹木に覆われて古墳であることすら気付かない森であったことだろう。
(27)
(28)
(29)
(30)熊野神社入り口
熊野磨崖仏(今熊野山胎蔵寺) 拝観料¥200
豊後高田市田染平野2546-3 0978-26-2070
雰囲気は神社なのか寺院なのか区別が付き難い。
入り口は、今熊野山胎蔵寺(いまくまのさんたいぞうじ)であるがこの寺の脇から急な山道を300mほど登ると岩壁に刻まれた2体の巨大な磨崖仏が現れ、石段を登りきると熊野神社がある。
(31)

(32)
(33)

(34)
鬼の築いたとの伝承がある石段の前に受付があって、拝観料¥200を支払った。
受付脇の樽に竹製の杖が多数入れてあり、受付の女性が「大変な石段なのだから」と利用を勧めてくれたが邪魔になると判断して断った。
降りてきた時にその女性が「どうでした?」と聞くので「それほどでもなかった」と答えてからあまりにもそっけないと思ったので「でもハイヒールの女性が来たら杖を勧めて上げた方がいいね」と付け足した。すると「いるのよ! ピンヒールを履いているのに、平気だって言い張る人が!」と返してきた。
(35)

(36)熊野神社
(37)
(38)
(39)元宮磨崖仏に向かって走っていると、道端の草むらに人影がある。
何をしているのだろうと良く見ると人形だった。
(40)近くの駐車場に入ってみるとぐるりと人形に囲まれてしまった。なんとも楽しいところだ。
(41)元宮磨崖仏
(42)
(43)鍋山磨崖仏
(44)

(45)
(46)
見て回った磨崖仏に共通性は見られず、特異な文化性、特異な芸術性も見られなかったが鎌倉期のどこかで豊後一帯の人々が物狂いに狂って崖といい岩といい手当たり次第に何かの像を彫りまくった時代があったようだ。
それを情熱などと言う明るいイメージを含む言葉で表現したくはない。
エネルギッシュな活動にはエネルギーが必要なのは言うまでもないことなのだが人々にエネルギーが蓄積されるのは平和な或いは幸せな時には起こらないものなのだ。
江戸時代末期に流行した「エエジャナイカ」も同じようなもので、長年にわたって抑圧され蓄積された不満や怒りや苦しみが心と言う入れ物を壊して弾け出したあげくの何もかも見捨てた結果の自由が明るく見えるだけなのだ。
本来は守ろうとしていたあらゆるものを投げ捨てることで、蓄積されていた苦しみや怒りから逃れようとしたのである。
(47)白鬚田原神社
大分県杵築市大田沓掛1693 TEL:0978-52-2222
駐車場:あり無料 30台、 料金:無料
(48)
(49)白鬚神社を各地で見かけているのに筆者はその正体を知らないままで今日に至って来たが、ここ大分にも在ることに気がついたので調べてみた。
滋賀県高島市鵜川にある旧社格県社が全国にある白鬚神社の総本社とされるらしい。
猿田彦命だけを祭神としていて、琵琶湖の湖中に真っ赤な大鳥居を立てて神社越しに比良山を遥拝する形になっている。名前の白鬚は猿田彦が道祖神と同じであるならば老人であるために付いたのかも知れない。
なぜこの場所なのか、なぜ猿田彦なのかはまったく判らないがそもそも猿田彦命自身が正体のよく判っていない神なのである。
全国20社の内にここ大分の白鬚田原神社は入っていないが「御由緒」に「近江の白鬚宮の心霊が・・」とあるので由緒はつながっているようである。(50)

ネットの記事では神社の由来とか神の性格などには触れずにもっぱら「どぶろく祭り」で有名な神社となっているが10月に再びここに来るのは難しい。(51)
(52)両子寺(ふたごじ)/両子山(ふたござん)
大分県国東市安岐町両子1548 電話:0978-65-0253
拝観時間:8:00~17:00 拝観料:300円
(53)
(54)
両子寺は国東半島のほぼ中央にあり、両子山 721mの中腹に位置している。寺にはあまり関心はないのだが、丸い火山性の半島の中央にあると言うことには興味を惹かれた。
(55)
両子山に登る予定も初めはなかったが、境内を見ていく内に次第に引き込まれて行ってついに頂上まで達してしまったのである。
(56)
(57)
舗装はされているが分厚く木の葉、枯れ枝に覆われた急斜面が頂上まで続いている。途中には中々に楽しませてくれるオブジェもある。
(58)両子山山頂
(59)
(60)
(61)
(62)
(63)頂上にはマイクロウエーブの中継施設と自衛隊の監視施設があり作業服の自衛隊員が二人いてジープとワゴン車が止っていた。
この急斜面を車で登るのは何とかこなせるだろうが下りとなると筆者は遠慮したい。
登ってきた道とは別に登山用のルートもあり面白そうだったが、普通の靴で来てしまったので今回はあきらめた。
(64)奥の院
(65)
HOTEL AZ 大分豊後高田店 宿泊
豊後高田市高田2861-1 TEL.0978-23-1301
禁煙 インターネットOK ¥4,660円
ホテル内に居酒屋があったので三日ぶりに生ビールを飲み、タコブツと焼き鯖で日本酒を飲んだ。車中泊しているときは何事かあって車を動かす必要に迫られるかも知れないので禁酒なのである。
弥勒山日記 (17)に続く
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弥勒登山165回目 時計回り 2014/04/07 月曜日
(1)道樹山谷は快い風に沢音が合わさって実に気持ち良い雰囲気になっていた。

(2)

見回せばスミレの鮮やかな紫が沢のあちらにもこちらにも(3)

沢風に
スミレ独りで
花盛り
大谷山頂直前の東側斜面から現れた女性数人のパーティが「カタクリの花」がきれいだったと言う。今まで気付かなかったがそこには三の倉方面に下る道ができていた。(4)カタクリの花

弥勒山頂の祠前に住み着いているらしいネズミが人に成れて来たらしくて、よく姿を見せるようになった。(5)

大きさで言えば「カヤネズミ」の体長5~8cmに最も近いが耳の形が違うようである。
調べた限りでは「アカネズミ」 の姿がもっとも近いようだったが「夜行性」と言う点が気になる。
アカネズミ
【学名】Apodemus speciosus
【分布】日本
【体長】8.5~14cm
【備考】野ネズミの代表種、日本のネズミ類では最も優勢で夏毛は黄かっ色から赤褐色、冬毛は暗色になる
・夜行性で単独性で落ち葉の下にうもれた昆虫や種子、果実などを見つけて食べる
・地中に巣穴を作り、栗・ドングリなどを10リットルほど蓄える
登山者が持ってくるヤマガラやシジュウカラのエサが辺りに沢山散らばっている。(6)

小鳥は意外と不器用でせっかくのエサのかなりの量が散らばってしまう。このねずみはそれをエサにしているようだ。
弥勒登山167回目 時計回り 2014/04/11 金曜日
(1)弥勒山頂のツツジも満開に近くなってきた。

(2)

(3)桜も開花が進んでいる

(4)しかしつぼみもまだ多くて、せいぜい五分咲きと言ったところかな

ツツジと桜、両方が満開の絶景を楽しめるのはもうじきである。
(5)またひとつ洞窟を発見

2014/03/12に記事を書いた穴のすぐ近くにもうひとつの穴を見つけた。
前回のものより大きくて、こちらは大木の根元がえぐられたようになっている。(6)

(7)穴の中にも水が溜まっているようだ。
奥も深そうであるが入り口付近がぬかるみになっていて近づくことができない。

弥勒山東側の中腹 2014/04/14 月曜日 弥勒登山168回目 反時計回り
(1)ついに満開となった弥勒山頂のツツジ

(2)桜もほとんど満開でツツジとの相性は実によろしい

弥勒山頂の祠から廿原方面に少し降るとしばらく階段が続くが最後の段を降りて少し先に倒木で隠れた右へ行く踏み分け道がある。
か細い路でしばしば途切れる(よく観察すれば痕跡は続いているが筆者もしばしば迷ってしまう)のであまりお勧めはできないが、弥勒山頂から降る階段の果てで34番標識のすぐ上に通じたトラバース道である。
(3)右側の倒木が目印

(4)山頂方向を向けば左側にある。
写真からは判り難いが前方に階段の最後の段が見えている。

(5)最初の内は道もはっきりしている

(6)

(7)

(8)水害で崩れた箇所はその上部を迂回していく

(9)まっすぐ登っていく道と左へ若干降っていく道が見える。
ここの場合はすぐに合流するが、場所によっては片方の道が途中で消えてしまうことがある。
踏んだ跡、擦った跡、木の枝や草の茎を折った跡などで、より跡の多いほうを選ぶ。

(10)

(11)しばしば倒木などで遮られる。
四足ではない人間としては乗り越えるか、迂回するしかない。

(12)

(13)

(14)おそらく雪で倒れた木。
筆者の背丈ほどもある壁に見えるが、おかげでよい目印となっている。

(15)終点が近づいてきた

(16)終点が近づいてくると樹間が広くなってくる。

(17)終点。右に行くと弥勒山頂に至る階段が始まる。左へ行くと34番標識になる。

(18)大谷山頂の桜はなぜか、まだ満開になっていなかった。

(19)

弥勒登山170回目 反時計回り 2014/04/19 土曜日
(1)32番標識近くで今年も朴の木の開花時期が近づいてきた。

(2)冬芽がむけてきたのでまもなく新緑に覆われることだろう。

(3)同じ場所にあったこの花はなんだろう?

04/22に植物画の先生に聞いたところ「アラカシ」の新芽だそうである。そういえば葉っぱに見覚えがあって、秋にドングリの生っていた木である。
歩いていると足元でしきりにガサガサと音がする。カナヘビが活動しているのだ。
16日には27番標識の近くでマムシを見かけた。山はすっかり春であり生き物たちが活動しているのである。
弥勒登山172回目 時計回り 2014/04/25金曜日 暑過ぎ
(1)27番標識と28番標識の間で遊歩道ルート上の最低部にある谷を登ってみた。

(2)流水量も多く春日井三山の中で最大の道樹山谷に次ぐ規模に思え、岩の造作も見事であった。

(3)しかし最後は二枚の巨岩で挟まれた、それ自身は見応えのある谷で行き詰まり、かなり苦しい藪漕ぎを強いられてしまった。

藪漕ぎの末に脱出したところは27番標識から登って来る道で、35番標識に近い場所だった。
夏焼山 2014/04/28 月曜日
信州から尾張に抜ける木曽谷(現代の国道19号線)と信州から三河に抜ける伊那谷(現代の国道153号線)の間には中央アルプスの大山塊が在って交通を妨げていたのでここに抜け道を探す大変な努力が古来からなされて来たのだろうことは想像に難くないが、現在でもその道は三本しかない。
最も古い抜け道は恵那山の中腹を抜ける「神坂峠(みさかとうげ)」であるらしく、峠の頂上には古代の祭祀跡があり神坂峠遺跡と言う。
この道は東山道第一の難所として知られていたが、後に東山道(中山道)は神坂峠を避けて木曾谷を通るように変更されたために神坂峠を越える者は減少した。と何かの本で読んだ記憶はあるがどの本だったかは思い出せないで居る。
この道の大部分は舗装されているが現在は通過禁止になっている
二つ目に開通したのが伊那市と奈良井宿を結ぶ「権兵衛峠」(旧名:鍋懸峠なべかけとうげ)で元禄9年(1696)完成とあり、2006年2月4日 開通の国道361号として改修されている。
三番目が飯田市と妻籠宿を結ぶために飯田藩が開いた「大平(おおだいら)街道」で宝暦4年(1754)の完成である。
現在では国道256号線でもある「清内路(せいないじ)」として整備されているが、それ以前の道の一部が長野県道8号線として残っていて、一応舗装されているがヤタラにカーブが多くて山岳道路と呼んでも良いような道である。
冬季は閉鎖される道路であってしばしば猿が遊んでいる道路であり、景観に恵まれた絶好のドライブコースと言える。
この大平街道の頂上である大平峠の付近には県道8号線に改修される前の古道(本来の街道)が若干残されていてかっての大平宿跡も残っていて、それはそれで興味深い場所でもある。
今回は大平峠の北側にある夏焼山1503mに登ってみた。
(1)清内路(国道256号線)から県道8号線への分岐

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(8)大平峠

(9)登山口

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(14)尾根を一旦乗り越えてキャンプ場広場を先に見ておくことにした。

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(16)さすがに1500mの山、日陰にはまだ雪が残っている。

(17)こぶしの花はこれから

(18)ツツジはようやく盛りを迎えようとしている。

(19)キャンプ場は季節はずれで誰も居ないが熊だけは居るらしい。

(20)別ルートで再び尾根に出た。

(21)アップダウンの無い、少し退屈な尾根道

(22)やや拍子抜けのする頂上

(23)御岳山だけはどこから見ても見応えがある。いつもとは違う方角から見るのも嬉しい

樫原考古博物館訪問 2014/04/30 水曜日
京都「みやこメッセ」古書市 2014/05/01 木曜日
良書多く、保存状態良好。さすがは京都!
五月計画 大分県 2014/05/11 日曜日
恒例となった墓参りついでの旅で今年は大分県を見る事にした。
2014/05/11 日曜日 初日 3時30分出発

地図上の松江から出雲市と津和野市へ二本の赤線が引いてあるのは出雲にある筆者実家の墓参を済ませてから松江まで戻って出雲そば「割子 わりご」を食べたからである。
今は年に一度しか食べられない筆者の「心の糧」なのである。
(1)道の駅「津和野温泉なごみの里」車中泊

島根県鹿足郡津和野町鷲原イ256番地 TEL:0856-72-4122
併営「あさぎりの湯」:営業10:00~21:00(最終受付20:30) 休:毎週木曜日 大人600円
2014/05/12 月曜日 二日目

日付の変わった頃から風が強くなりあたりの木立を騒がしていたが風は上空らしく車体を揺する事は余りなかった。
5時ごろ起床して出発した頃は霧雨の状態だったが次第に雨風とも強くなってきた。
低気圧の中心はまだ西の方にあるらしくて九州は本日一杯、西日本は明日の午前中まで悪天候が続くとラジオが言っている。
山口を通過した後、下関市に入らない内から「関門トンネル事故で停止」の道路情報が出ていたが大渋滞のなかにいるのでどうすることもできない。
国道2号線で下関に向かう車のかなりの部分は九州に渡る車だろうと思ったのでそのままついて行ったら関門トンネル方向と関門橋方向の分岐で皆が橋の方へ曲がって行く。
そのまま後について行って、橋の部分だけ高速道路を利用した。
せっかくの機会に橋からの眺めを楽しみたかったが、一瞬で目が回りそうになってしまった。
高所で運転しながら景色を楽しむことには無理があると言うことを理解した。
門司で国道10号線に入りひたすら南下して川を渡ると中津市になった。同時に大分県に入ったことでもある。
(1)中津市歴史民俗資料館

休:第4水曜日、開館:9時~17時、入場料:無料
(2)一室だけのささやかな資料館だった。

(3)

ささやかだとしても折角運営してくれている資料館には申し訳ないが一点だけ苦情を言いたい。縄文コーナーの解説に「サルから進化した人は・・・・」と記されていたことである。(4)

人はサルから進化したのではない。人の先祖が誕生する前にはサルも居ないのである。
広い意味での霊長類の総てをサルと呼ぶのなら仕方がないけれど、サルと人は共通の先祖から生まれて片方はサルに進化して他方が人に進化した訳なのであって、サルから人が生まれた訳ではないしその逆でもないのだ。
九州に来ていつも思うのはうどん屋の多いことである。
長浜ラーメンの東京進出から九州はラーメン王国であるようなイメージに成って来たが現地にはうどん文化の長い歴史があっておいそれとは交代できないらしい。(5)

羅漢寺の手前で「青の洞門」と標識のある道を通ったが車が十分通れる広さのトンネルであってトンネル内壁も中世に手掘りで作られたとは思えない。(6)

おそらくは本来の「青の洞門」を現代に拡張したのだろう。本来の洞門の一部でもどこかに残っていないのかと誰かに聞いてみたいが、土砂降りの雨の中なのでそのまま通り過ぎてしまった。
(7)羅漢寺 参道入り口

中津市本耶馬渓町跡田1501 0979-52-2211
無休 8:30~17:00 駐車場あり(無料) 本堂庭園300円 リフト往復700円
風は幾分収まっていたが激しく雨の振る中で羅漢寺に到着した。
(8)羅漢寺のリフトは雨ざらしで止まっていたが、聞くと傘を差して乗れると言う。

座席にはぬれないように敷物をしてくれると言うので乗ることにしたが雨中で山頂までは行けず途中駅である羅漢寺までだそうだ。
(9)

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(11)リフト降り場と羅漢寺の間にあった天然の陸橋。
風化し易い岩質であることが洞窟や彫像を生むのだろう。

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山の中腹が削られて屋根のように張り出した岩の陰に多数の仏教施設が山腹へ押し込められるように築かれている。(13)

あるいは山中から建物が滲み出したような不思議な光景だが思い返せば日本中にこのような建築物はある。ほとんどはお堂だったり祠だったりがひとつだけ造ってあるのだが、ここでは施設のほとんどがこのようにして作られている。
自然や山の気を感得する目的なのだろうが、これを作る人たちにとっては大変な苦労だっただろう。(14)

(15)

作務衣を着て販売用のろうそくや線香を並べ直していた老人と立ち話をしたが、やたらとこの施設の自慢をして世界の宝と言う。皆がここで修行をすれば世界は平和になると言う。
敢えて逆らわなかったが、宗教関係者の独善には全く途方に暮れてしまうものがある。
宗教を抜きにして信仰心に限定するならば、この場所で信仰心が生まれることは在るかもしれない。信仰心は、それは人と動物を隔てる徳性であるとの主張にも同意できるし筆者にも自分なりの信仰心があると思ってはいるが、宗教となると全く別物であると筆者は考える。
宗教と言うのは人の信仰心を利用して金儲けを図る仕組みに他ならないと筆者は断定する。
創始期には違っていた可能性もなくはないだろうが、全ての宗教の行き着く先は人を組織して支配して富を効果的に吸い上げる仕組みになってしまうのである。それが人間のサガであり無意識の欲求であるために、それのできるチャンスがあったならば拒める人は稀なのではないかと思う。
宗教が人の信仰心を育むとしたらそれに反対する理由はないが、そこで留まれるとは思えないので総ての宗教からは遠く離れている方が良い。
(16)耶馬渓風物館(やばけいふうぶつかん)

中津市本耶馬渓町曽木2193-1 道の駅 耶馬トピア内 TEL:0979-52-2002
大人300円 9時-17時 休館日:毎週木曜日 10:00~16:30
一室だけで展示物もささやかなものだったが中津市歴史民族資料館よりも新しく明るいのが良かった。
それに風物館というのがどういう物であるのか良く判らないが、こちらは博物館とも資料館とも名乗っていないので文句の言いようがない。そしてここの事務員と会話したおかげで「青の洞門」のことが少し解った。
やはり本来の洞門の一部を拡張して現在の道が作られたそうで、本来の洞門の一部も保存してあるそうなので早速見に行くことにした。
又、本来の洞門が直線ではなく上ったり下ったりしていて、既に水没している部分もあるそうである。
(17)「青の洞門」保存部分

(18)洞門以前の道の一部が崖の中腹に残っていたが見るからに危うい代物である。

(19)この辺りの山の岩質はかなり脆そうで怖いものがある。

(20)なかま温泉

中津市山国町中摩3485-1 電話番号:0979-62-2655 料金は300円で内湯のみ 単槽
本日は雨のために十分な活動ができなかったが午前中の走行距離が長かったので早々と停泊予定地の耶馬トピアに到着して車中泊した。
道の駅 耶馬(やぱ)トピア 車中泊
中津市本耶馬渓町大字曽木2193-1 電話:0979-52-3030
2014/05/13 火曜日 三日目

(1)相原山首遺跡

中津市大字相原3000番地31 駐車場 無料65台(風の丘葬斎場)
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相原山首遺跡は複数の古墳があるだけなのだが、その場所には現代の「風の岡葬祭所」が建っている。葬祭所を作ろうとしたらそこが古墳の集中地だった訳だが、結局古代人も現代人も同じ目的で選んだ場所が同じ所だったと言うことらしい。(7)

ここはなぜか平野の中で島のように浮き上がった高台になっているので、あるいは古墳期の人間も知らないもっと古代の集落跡だったかも知れない。
(8)宇佐八幡宮 参道入り口

大分県宇佐市大字南宇佐2859 TEL:0978-37-0001
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(15)宇佐八幡宮に何かの思い入れがあって寄った訳ではない。

しかしこれだけ有名な場所でこのチャンスを逃せば生涯来ないかもしれないのだから素通りはできなかった。
ただ宇佐八幡宮が有名になった理由は不快である。
奈良時代の神護景雲3年(769年)宇佐八幡宮より称徳天皇(孝謙天皇)に対して「道鏡が皇位に就くべし」との託宣があり、弓削道鏡が天皇位を得ようとしたとされて紛糾したのが「宇佐八幡宮神託事件」である。
神託で最も有名なのは古代ギリシアのデルファイのアポロン神殿であるが、献納次第で内容が変わるためにギリシアの各都市はデルポイに財産庫を築いていて、神託を左右する一種の情報戦もあったと言われている。
いずれにせよ神自身の口ではなく間に入った誰かの口から語られるので、神託と言うものは常に胡散臭さを逃れられない。
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(18)しかしこれだけ大きな森を残してくれたそのことだけは感謝したい。

(19)大分県立歴史博物館

宇佐市高森字京塚1 TEL:0978-37-2100 休館:毎週月曜日 個人300円
午前9時00分~午後5時00分(入館は午後4時30)
(20)博物館南は広い麦畑になっているがその先の森は博物館とその西側にある史跡公園「宇佐風土記の丘」を併せて囲んだ高台として区切っている。

(21)史跡公園「宇佐風土記の丘」川部・高森古墳群(かわべ・たかもりこふんぐん)

宇佐市高森字京塚1 TEL:0978-37-2100
大分県立歴史博物館は、史跡公園「宇佐風土記の丘」の一角に建ち3世紀から6世紀に渡る6つの古墳に囲まれている。この「風土記の丘」と言うものは近頃全国に作られているらしいが共通するのは古墳集中地に造られていることなのだ。
風土記が書かれたのは奈良時代初期でしかもその内容は中央政府が各地の事情を知るために書かせた官撰の地誌なので古墳とは関係がないのだがどうなっているのだろうか?
名前はともかく、古墳の多い土地を整備して古代に想いをはせようと言うのなら、「縄文時代の丘」も造ってもらいたいのだがどうだろう?
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(24)古墳とは時代も文化も違う何かの祠が古墳の上に作られている。

見たところ密教系の彫り方だが家紋らしきマークもあるので封建時代の作である可能性もある。関心がなかったのか、判断材料がなかったのかこの祠についてはどこにも記述がなかった。
(25)前方後円墳の前方部分

(26)最も古い3世紀の「赤塚古墳」は周りが広いために外周を観察することができたが、総ての樹木を取り除いた訳ではないので。前方後円墳の形を確かめることはできたが、おそらく以前には樹木に覆われて古墳であることすら気付かない森であったことだろう。

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(30)熊野神社入り口

熊野磨崖仏(今熊野山胎蔵寺) 拝観料¥200
豊後高田市田染平野2546-3 0978-26-2070
雰囲気は神社なのか寺院なのか区別が付き難い。
入り口は、今熊野山胎蔵寺(いまくまのさんたいぞうじ)であるがこの寺の脇から急な山道を300mほど登ると岩壁に刻まれた2体の巨大な磨崖仏が現れ、石段を登りきると熊野神社がある。
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受付脇の樽に竹製の杖が多数入れてあり、受付の女性が「大変な石段なのだから」と利用を勧めてくれたが邪魔になると判断して断った。
降りてきた時にその女性が「どうでした?」と聞くので「それほどでもなかった」と答えてからあまりにもそっけないと思ったので「でもハイヒールの女性が来たら杖を勧めて上げた方がいいね」と付け足した。すると「いるのよ! ピンヒールを履いているのに、平気だって言い張る人が!」と返してきた。
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(36)熊野神社

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(39)元宮磨崖仏に向かって走っていると、道端の草むらに人影がある。
何をしているのだろうと良く見ると人形だった。

(40)近くの駐車場に入ってみるとぐるりと人形に囲まれてしまった。なんとも楽しいところだ。

(41)元宮磨崖仏

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(43)鍋山磨崖仏

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それを情熱などと言う明るいイメージを含む言葉で表現したくはない。
エネルギッシュな活動にはエネルギーが必要なのは言うまでもないことなのだが人々にエネルギーが蓄積されるのは平和な或いは幸せな時には起こらないものなのだ。
江戸時代末期に流行した「エエジャナイカ」も同じようなもので、長年にわたって抑圧され蓄積された不満や怒りや苦しみが心と言う入れ物を壊して弾け出したあげくの何もかも見捨てた結果の自由が明るく見えるだけなのだ。
本来は守ろうとしていたあらゆるものを投げ捨てることで、蓄積されていた苦しみや怒りから逃れようとしたのである。
(47)白鬚田原神社

駐車場:あり無料 30台、 料金:無料
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(49)白鬚神社を各地で見かけているのに筆者はその正体を知らないままで今日に至って来たが、ここ大分にも在ることに気がついたので調べてみた。

猿田彦命だけを祭神としていて、琵琶湖の湖中に真っ赤な大鳥居を立てて神社越しに比良山を遥拝する形になっている。名前の白鬚は猿田彦が道祖神と同じであるならば老人であるために付いたのかも知れない。
なぜこの場所なのか、なぜ猿田彦なのかはまったく判らないがそもそも猿田彦命自身が正体のよく判っていない神なのである。
全国20社の内にここ大分の白鬚田原神社は入っていないが「御由緒」に「近江の白鬚宮の心霊が・・」とあるので由緒はつながっているようである。(50)

ネットの記事では神社の由来とか神の性格などには触れずにもっぱら「どぶろく祭り」で有名な神社となっているが10月に再びここに来るのは難しい。(51)

(52)両子寺(ふたごじ)/両子山(ふたござん)

拝観時間:8:00~17:00 拝観料:300円
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(58)両子山山頂

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(63)頂上にはマイクロウエーブの中継施設と自衛隊の監視施設があり作業服の自衛隊員が二人いてジープとワゴン車が止っていた。
この急斜面を車で登るのは何とかこなせるだろうが下りとなると筆者は遠慮したい。

(64)奥の院

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HOTEL AZ 大分豊後高田店 宿泊
豊後高田市高田2861-1 TEL.0978-23-1301
禁煙 インターネットOK ¥4,660円
ホテル内に居酒屋があったので三日ぶりに生ビールを飲み、タコブツと焼き鯖で日本酒を飲んだ。車中泊しているときは何事かあって車を動かす必要に迫られるかも知れないので禁酒なのである。
弥勒山日記 (17)に続く
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