3月のジュニア・ニュージーランド遠征🇳🇿日本代表ヘッドコーチになったのを皮切りに、5月の東アジア大会🇰🇷日本代表コーチ、7月のサンタクララ遠征🇺🇸日本代表コーチ、と日の丸🇯🇵を背負ってバリバリ突っ走っていました。
1997年サンタクララ遠征にて(左から、ミシナ先生、アレックス・ポポフ選手🇷🇺、オイラ、タケバヤシ先生)
若気の至りというか、若さ故の傲慢さというか、当時のオイラは本当に偉そうにとんがってましたね。
肩で風切って歩く…じゃないですが、「どうだ、俺は日本代表コーチだぞ!」「俺に教われば速くしてやるぞ」的な振る舞いを沢山の人にしていたと思います。他のクラブの選手に「うちに来ないか?」と声をかけたりしていました。怖いものなしというか、大バカ野郎でしたね、本当に。
ある日、大先輩のコーチに呼び出されて、
「ちょっと調子に乗りすぎじゃねぇか?」
「やって良いことと悪いことの分別がつかなくなってるぞ」
「いい加減にしろよ」
と、忠告されました。
目が覚めましたね。
調子に乗って、浅はかな言動や行動をしていたことを反省し恥じました。
まぁ、時すでに遅しで、1997年9月にオイラはその職場を辞める羽目になるんですがね…。
当時34歳。
今、これくらいの歳のコーチ達に言いたい。
『なぜ今「その場所」にいられるのかよく考えてごらん』
『地位も環境も含めて「その場所」は必ずや誰かの足跡なんだ』って。
『感謝の気持ちや礼儀を忘れないようにしよう』ってね。
歳とったな、オイラも。
実るほど頭を垂れる稲穂かな
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五十路マン
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