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ツイコラム ツイ川柳 652〜661 10編 おうち居酒屋 散歩中の草花 独居老人 おひとりさま 旬のフルーツ ネット依存症 など

2022-10-19 10:42:16 | 日記
ツイコラム ツイ川柳 652〜661 10編 おうち居酒屋 散歩中の草花 独居老人 おひとりさま 旬のフルーツ ネット依存症 など

#ツイコラム 652
最近、食欲はあるのに #献立スランプ に…そら〜毎日同じスーパーでは飽きるわいな〜ほんで出来合の #おうち居酒屋 で #お肉処弘 #豚串カツ をあっさり #大根おろし に挑戦します。 #デザート には #富有柿 #貧困定食 でガマン😂
#ツイ川柳
・今日から 値上げの秋で 音を上げる
伊奈利🦊⛩️


#ツイコラム 653
4年前の写真ですが、この写真で #マッチングアプリ に登録して45歳、職業はITエンジニア、年収900万とすればワンサと来るかも?しかし、相手の女性も30年前の写真で45歳独身…狐🦊と狸🦝の化かし合いでこのSNSは #嘘の宝庫 気を付けて
・世の中に 甘い話は ありません
#ツイ川柳
🦊🦝


#ツイコラム 654
最近 #おひとりさま ブームなのか検定などが目に…勿論すべて金儲けの手段にしか私には見えないと #おうち居酒屋 の #あんこう鍋 を食べながら思う。 #独居老人 は寂しい?そんなことはなく #無人島 🏝️よりはかなり賑やかで楽しい。
#ツイ川柳
😇死ぬ時は 誰でも一人 練習を
伊奈利🦊⛩️


#ツイコラム 655 #クランベリー
花言葉は #天真爛漫 他には画像にあるが、この #花言葉 を好きな彼女彼氏にセンスがありピッタリ合うのを作り披露すれば💐かなり好印象になるで〜💞 彼女の花言葉 #白い妖精 彼氏の花言葉 #白馬の王子 ☠️破局の時の🗨️花言葉
・貴方は 低所得の 役立たず
・貴女は ブランド好きの 高慢ちき
#ツイ川柳 伊奈利🦊⛩️


#おうち居酒屋 656
#塩銀鮭のあら だが、ぶ厚いのより薄いほうがさっと炙るだけでせっかくの #不飽和脂肪酸 DHA・EPA が落ちない。私は #魚のあら が大好きで #鯛のあら煮 鍋物なら #真鱈 #あんこう のあら、骨の周りの肉をお箸でせせり骨だけにする。
#ツイ川柳
・魚のあら ストレス解消 ボケ防止
伊奈利🦊⛩️


ツイコラム 657 #ネット依存症
#都会の農業 でも農産物の #盗難防止ネット 漁業でも #定置網 …スポーツでもテニスのネット、 #ネット裏観戦 で #TVの全国ネット 私の好きな #網タイツ 👯 #捜査網 つまり、世の中全てが #ネット中毒 になる。
#ツイ川柳
#あみだくじ 辿りし先に 何がある
伊奈利🦊⛩️


#ツイコラム 658 #マルバルコウ
花言葉 #常に愛らしい だが、この #愛らしい に可を付けると #可愛いらしい になるが、不を付けると #不愛らしい ⇐意味不明。 #可もなし不可もなし という言葉が私は好きだが、残りの人生 #可人 で行きたい🌠
#ツイ川柳
・人生なんて 考えようで どうにでも
伊奈利🦊⛩️


#ツイコラム 659
先月は約2万円の赤字…節約するのはもはや食費しかない。ほんで安くなった #メークイン を10個(410円)買って毎日1個食べることにした。 #イオンビール 500㍉121円があれば #おうち居酒屋 の #貧困定食 で楽しい飲み会
#ツイ川柳
・金持ちの 朝メシ我が家で ディナーかな😂
伊奈利🦊⛩️


#ツイコラム 660
#旬のフルーツ を食えば若さと美貌と健康になると信じている私… #旬の柿 #和歌山の柿 が5〜6個429円税込、これは去年と同じ価格で嬉しい😄医学的に #柿が赤くなると医者が青くなる 柿1日1個で #かぜの予防 #ガン予防 #老化防止
#ツイ川柳
・柿食えば 美貌と健康 #ボケ防止
伊奈利🦊⛩️


#ツイコラム #661
#散歩中の草花 は雑草以外は持ち主が世話をしている。それをパチリ📸撮るだけで「いいね」が貰える。 #マミラリア もこれで #花言葉 #内気な乙女 …私も #内気な私 で本当は小説を読んで欲しいが、こんなコラムを書いている😂
#ツイ川柳
・コラムでも 内気な私 叱ってよ
伊奈利🦊⛩️

これはツイッターに投稿したものです。私のツイッターは「音川伊奈利」で検索して下さい🦊⛩️




1200年前の車折神社は狐の芸能学校だった。伏見稲荷大社の物語 番外コラム 

2022-10-17 09:50:29 | 日記
二代目稲荷神社宮司 荷田生成 車折神社は狐の芸能学校だった。1200年前の人口の水路は今でもある。

 伊奈利神社の宮司、秦伊呂具は785年3月1日に95歳で亡くなっていた。後継ぎは長男の生成(いなり)に伊呂具の生前から決まっていたが、長岡京の桓武天皇はこの伊奈利神社に従二位の位を与え、そして荷田の姓を与えられた。さらに社名を稲荷神社によせと命令していた。

 従二位とは最高位の正一位、従一位、正二位の次の位になる。これで「従二位 稲荷神社」二代目宮司の荷田生成として稲荷神社創設75年目のスタートになった。生成は秦の血筋で嵯峨嵐山で土木工事を請け負っている秦酒公の技師見習いとして15歳から35歳までの20年間修業させられていた。その間に土木工事の他には造園技術も覚えて奈良から長岡京への引っ越しの際には貴族の屋敷、それに寺院の庭の造園もしてきた。そして伊奈利神社に帰ってきてからは伊奈利山の参道の整備に力を入れていた。

 ある日、生成は桓武天皇から平安京造営の相談を受けている。天皇は、
「丹波の木材を嵐山まで筏で運ぶが、その後の陸路の道が悪くてどうも10年では都ができない…」生成は、
「それなら嵐山から都の中心部まで水路を掘って原木の筏を流せばいい。それに木材を水揚げした後はその水を中心地から西南に元の桂川まで戻せば壬生、西七条、唐橋、吉祥院の田畑のかんがい用水にもなります」
「ほお~さすがに伊呂具の息子じゃ!考えることが大きい!」
「はぃ、京都盆地は北と南の標高差が約55メーターもありますから、これを上手く使えばかんがい用水、それに大雨などの治水、上水に下水と人間がこの水を上手くコントロールできます」
「そうか~ほなこの河川工事は生成に任すが、神社の宮司はどうする?」
「これは私の子供もいるし、それに神官と巫女の大学の卒業生も100名を超えました。もう、ほっといても神社の運営はできます」
稲荷神社は商売上手とはいわれているが、一方では大学教育に力を入れている。さらに稲作にはかかせない天文学も教えているが、これは何も人間だけでなく夜学として狐にも門戸を広げていた。

 こうして生成は嵐山左岸から水路を引く工事をして三か月目、桂川から数百メーターのところで工事用の大八車の車輪が折れる事故が続発した、それに工事人夫が怪我をしたり、はたまた食中毒で倒れたりしていた。そこで生成はこれは狐の仕業と思い、工事現場に神棚を置いてそこに油揚げを毎日10枚供えていた。

 この10枚は夜の内に持っていかれてどの狐の集団かは判断ができないが、とりあえずこれを一か月続けたある夜に生成の夢の中に狐が現れて、
「生成さま、いつも美味しい油揚げをありがとうございます。私は全国の旅芸人の元締めをしている狐座の女狐で斎王女と申します。生成さまの水路の工事の真下に我々の命でもある芸能学校の能舞台があるのです。それに森全体が狐の寮になっているために全国に公演に出かけている狐の帰るところもありません。どうかもう少しだけ水路を南か北へ…」
「いゃ、あの水路は原木の丸太の筏で直線の川でないと流れない。もし流れが曲がっているとそこに原木が衝突して溜まり大渋滞を起こす。とはいっても我々が先住民の狐の生活を脅かすことはできない」
「でも…なにかいい方法は?」
「それなら水路の北側にそれなりの森と神社を造成するからそこに芸能学校と能舞台を引っ越ししていただけないか?その費用も私たちが負担いたします」

 こうしてできたのが「車折神社」でもちろん今でも芸能上達の神社として有名になっている。この神社の前の道がその後の三条通でこの三条通り沿いに嵐山から市内中心部の千本三条まで一部暗渠になってはいるが今もあります。この水路は明治時代に山陰線ができて蒸気機関車で木材が運ばれるまで水路として利用されてきた、そしてこの木材の集積場にできたのが現JR二条駅になります。

 ちなみに機関車が走ってからはこの水路は利用されなくなり嵐山から三条まで多くあった木材問屋は消えたがまだ○○木材という会社は三条通り沿いには点在している。そしてその広大な木材置き場の跡地にできたのが東映撮影所(東映映画村)、大映撮影所、松竹撮影所になります。1200年前の人口の水路が今も同じコースで流れているが、もう誰もこのことは知らない。

★…画像は嵐山の人工河川の水の取り入れ口、車折神社内の芸能神社・渡月橋から左岸のこの水路沿いに歩いて三条通から車折神社は歩いて行けます。


この小説「伏見稲荷大社の物語」は98話まで書けています。音川伊奈利
       

2分で読める小説 駆け込み寺居酒屋ポン吉「 サザンカの女 椿」…働く女性たち 51話

2022-10-15 10:40:56 | 日記
2分で読める小説
駆け込み寺居酒屋ポン吉「 サザンカの女 椿」…働く女性たち 51話

 音吉が朝の散歩をしている途中の西大路九条交差点のマンションに植えられているサザンカの花を写真に撮っていた。その時若くて綺麗な女性から、
「あの~これは椿ですか?」
「いえ、これは秋から冬にかけて咲くサザンカです、椿は冬から春に咲きます」
「そうでしたか~私の名前は椿なのにそんなことも知らないで恥ずかしいです…」
「ほぅ、椿さんとは素敵な名前だ!。これから出勤ですか?」
「はい、それも今日が最後で…」
「あらら、まだお若いのに寿退社ですか?」
「いえ、それならいいですが…色々あって…」
「もしなにか事情があるならお聞かせください、お役に立てるかはかりませんが…私はこの先の、西大路駅近くで居酒屋をやっていますから帰りにでも寄ってください」
「はい、マスターさんですね、退社の時に時々お顔を拝見させていただいています」

 その日の午後6時前には椿さんが店に来た。
音吉は若い女性の悩みはすべてママの幸子に丸投げをしていた。その幸子に椿は悩みを訴えていた。椿は色白で背も高く長い黒髪が似合う美人で一流製薬会社のOLだった。その椿は兵庫県の高校を卒業した後に京都の私立大学に入学したが、ホームシックからかすぐに同じ大学の学生の恋人ができていた。学生生活も派手になっていく一方で時給850円のコンビニのアルバイトからより高収入のスナックのホステスになっていた。大人の世界に首を突っ込んだ椿は恋人のたよりなさが目に付き彼とは別れていた。

 そこまで話をした時にこの店の常連の武田が大きなクーラーボックスを持って現れた。この武田は釣りが好きで今日も釣りをして釣ってきたタチウオを自慢している。
「どや、ママ、このタチウオは105cmの大物で今日の釣り大会で優勝した」
「あらら、珍しいいつもは坊主ばかりなのに、しかし、この大きなタチウオは私もさばくのは初めてよ…」

 その話を聞いていた椿は、
「ママさん、そのタチウオは父が良く釣ってきたので私がさばけます」
こうして椿はカウンターの中に入り手際よく料理していた。このお刺身を食べていたが、店に客が立て込んできてママも音吉も椿の悩みを聞くチャンスがなかった。そこで音吉は武田に、
「この椿さんの悩みを聞いてあげてほしい、カウンターでは不味いからテーブル席に移動しては…」

 武田は65歳で製薬会社の営業をしていたが、定年後はその会社の関連会社の取締役として働いていた。妻とは離婚して今は一人で暮らしている。その定年前の会社というのが椿が今日まで勤めていた製薬会社という奇遇から武田と椿は意気投合していた。椿は武田に相談をしている、
「そのスナックよりももっと高収入になると女子学生仲間から風俗に誘われて私はそこを1年ほど勤めてからこの会社に就職をしたのですが、その時の常連客がたまたま就職した製薬会社にいたのです」
「しかし、あんな風俗では素顔ではなく濃い化粧をしているのでは…」
「はい、それが私の右側の耳の下の首に黒い黒子が二つ並んでいるのです。その社員は店の待合室に飾ってある濃い化粧の写真をいつのまにか撮っていてその写真にもその黒子があったのです。ある時、その社員にその写真を見せられて、君は木屋町のヘルスにいた「サザンカ」に間違いがないというのです」
「ほう、そんなこともあるのか…?…それで椿さんはサザンカさんだったの?」
「はい、その通りですが、もちろん私は違うといいましたが、その噂が社内中に広がって私は今日退職をしてきたのです」

 武田と椿はもう白ワインのボトル2本目で椿の色白の肌がピンクに染まってきた。そして武田が、
「その常連の男からなにか脅迫でも…」
「はい、その男は私にヘルスと同じサービスをしてくれたらこのことは内緒にするとメールがありました。もちろん断りましたが、男は納得せず社内に噂を広めた卑怯者です。この男は経理部の係長の30歳で同じ会社に勤めている専務の孫娘と婚約しています。社内では逆玉の輿として将来を約束されて来週の土曜日に結婚式を予定しています」
「ほう、あの専務は次期社長になるが、その孫娘の婿となるとすぐに経理課長か部長が約束されている」
「はい、その通りです。そこで私はその婚約者の孫娘に今日の退社時に今までの経緯を書いた手紙を手渡してきました」
「ほう…復讐ですか…?」

 この話の途中にその婚約者から椿に電話があった。椿は相手の質問に答えている様子だが、その電話は3分ほどで切られていた。そして椿は、
「あの手紙を専務にも見せたそうです。そして婚約は破棄されて彼は明日付で懲戒解雇されるそうです」
「ほう、見事な復讐劇になった、おめでとう~!、ところで椿さんは魚のさばき方が上手いが、実家は料理屋さんですか?」
「あら、自己紹介が遅くなってすいません。私は河原崎椿で兵庫県西宮の今津港で育ちました。実家は元々漁師だったのですが、今では釣り船と民宿「河原崎 祥豊丸」を経営しています」
「えぇぇぇ~実はそのタチウオを釣ったのは祥豊丸です。その民宿ももう何回も泊まっているし、それに次の土曜日にも予約を入れています」
「へえ~祥豊丸の船長は私の兄です…そんな人に私の過去の過ちの話をしてしまった…」
「いゃいゃ、私は彼と違って脅迫はしませんから安心してください」
「でも…それでは私の気がすみません…」

 そこにママの幸子が口を挟んできた。
「武ちゃん~椿さんは武ちゃんに色々話を聞いてもらって気が晴れ晴れしているのよ…こんな日は女って優しい男性に抱かれたいものよ…」
「いゃいゃ、俺は…もう65歳で…こんな若い娘をどうこうする気は…」
「何をいっているの、武ちゃんが私を抱きたいといつも愛のメールをしてくれるけどあれは嘘だったの?」
「いゃ~何もそんなことを椿さんの前で…」

 椿はこのママと武田の話を笑って聞いていたが、
「武田さん…なにも心配しないで私がサービスをしますから、それに私も実家に会社を辞めたことを報告しに帰りますから一緒に車に乗せてほしいの…」

 ママの幸子は武田に、
「今夜は武ちゃんの自宅?それともラブホテル?、ラブホテルならタクシーを呼びますが…」
武ちゃんは顔を真っ赤にしてママに、
「ラ、ラブホテル…ママ、今日の昼間は釣り大会で優勝、そして夜も空前の大漁…」
「そう、大漁旗と竿もおっ起ててネ…武ちゃん」

この小説は55話まで書けています。


「風俗嬢から祇園の割烹の女将に 鮎子」 駆け込み寺居酒屋ポン吉 27話

2022-10-13 10:02:49 | 日記
「風俗嬢から祇園の割烹の女将に 鮎子」 駆け込み寺居酒屋ポン吉 27話

女は賢くしたたかに生きる
「風俗嬢から祇園の割烹の女将に 鮎子」 駆け込み寺居酒屋ポン吉 27話

 JR西大路駅近くの「洋風居酒屋ポン吉」のマスターの音吉はたまにしか店にでてこないが、店で使う食材はママの幸子の指示で買い出しに毎日いっていた。この指示はネットの掲示板に書かれている、たとえば「蛸のお造り」「かつをのたたき」「ブリのお造り」「イカのお造り」の短冊をそれぞれ5人前ぐらいなどと書かれている。

 この掲示板は客にも解放されているのでこの食べたいお造りがあれば予約ができるというシステムで、例えば仕事が遅くなり午後10時半しか店にこれない客は目当ての生ものを予約できるし、また本日のメニューの情報にもなる。この居酒屋にとってはこの生ものを余らすというロスが最大のネックになるからだ。それに完全に売れればこのお造りなど生ものも1人前500円程度の安さで売っても儲かることになる。

 音吉は魚類の買い物は近くのスーパーの鮮魚専門店「魚嘉」で買っている。いつも20人前程度のお造りを買っているので店のレジの女の子とも仲良くなる。ある日、その鮮魚店の店員が、
「いつも買っていただいてありがとうございます。このお造りなどはどこのお店で使っているのですか?」
「あぁ~これは駅近くの「駆け込み寺居酒屋ポン吉」という居酒屋でお客様におだししています。店のブログがありますので一度見てください。

 それから一週間ほどしてこのブログの付属掲示板に、
「魚屋の店長の妻で「真澄」と申します。ブログ等を拝見いたしましたが、一度姉のことで相談したいことがあります」と書かれてあったので音吉はそれの日時を掲示板に書いていた。そして真澄が店に来た。

 この真澄は28歳でこの鮮魚店の経営者の長男の嫁でこの長男は京都の直営5店の総括店長をしているという。真澄は姫路の出身でこの姫路の鮮魚店で夫と知り合い結婚をしていた。この真澄の二つ上に「鮎子」という姉がいるが、この鮎子はかなりの不良で風俗店に勤めていたが、同じ姫路のホストに貢いで借金まみれになっていた。しかし、この鮎子もこれらを反省して新天地にこの京都で働きたいということだった。真澄は、
「この姉が風俗で働いていたことや借金があったことなどを夫には絶対に相談はできないのです…」
「そら~あの鮮魚店「魚嘉」は100年も続いている関西でも50店舗を展開する有名な老舗になる」
「はい、借金は私の両親と私のへそくりでなんとかしましたが、姉が風俗店で働いていたことがわかると…それにもう両親も私もお金がありません」
「しかし、一度風俗のボロ儲けを経験したら時給900円や1000円では働けずまた風俗に戻るものです」
「それが私も心配でもし京都でなにかの摘発で姉が逮捕されたら名前が「鮎子」というのですぐに夫やその家族にバレます」
「それで私の経営するマンションと店で監視してほしいというの?真澄さん」
「はい…マスターなかなか察しがいいですね~本当にたのもしいお方です」
「おぃおぃ、こんな老人をおだてて…」
「お礼といってもなんですけれど…音吉さんが「タラバガニ」が大好きだとブログに書いてありましたから、根室で獲れた最高級のタラバガニをお持ちしました」

 こうしてタラバガニで買収された音吉は家具と電化製品、それに台所用品がすべて揃っている103号室に鮎子を迎えていた。当面は居酒屋で働くという約束で家賃は社宅として免除していた。その鮎子は30歳だが、これより5歳は若く見える化粧なのかイケイケネーチャンの雰囲気だった。店のママの幸子と気が合うのか?それともフルタイムで働くのでわずか半月で「チィママ」と呼ばれる人気ものになっていた。それでも前科者?として音吉とママは鮎子を1人にさせずに監視していた。

 ある日、店の開店前のひと時に、鮎子は音吉とママに、
「なんとなく私を監視しているようだけど、マスターもママも安心して私はもう風俗に勤めたりホスト遊びは絶対にしませんのことよ~ホホホ」
ママの幸子が、
「いぇ、監視しているつもりはないけど…やっぱりマスターも私も心配なのよね~」
「私はママの接待や料理、それに着物の着付け、お品書きのお習字などを覚えて2年後には祇園の一等地に「割烹 魚嘉祇園店」のママになることがもう決まっています」
「えっ~魚嘉って妹さんの店の支店?」
「はい、妹の旦那の高広さんとの約束なの」

 音吉はそんなことは初耳なので鮎子に聞いていた、
「なんで?妹さんの夫の高広さんとそんな約束をしたの?」
「うん~これは絶対に妹には内緒だけど、実は姫路の私の勤めていた風俗店に偶然だけど高広さんが遊びにきたの、それで二人ともビックリ仰天したけれどもお互い内緒にしておこうとなったの。それで店で禁止されているサービスなどをして十数回も指名で来てくれたの」

 それから高広は口封じのために鮎子がまじめになって料理の一つでも覚えてくれれば真澄のお姉さんとして店の一軒でも出すと約束をしてれたという。それで妹に京都に住みたいといったらこのポン吉さんを紹介してくれて私は今一生懸命にママから水商売のイロハを習って一流の祇園の女将になるという。幸子は、
「それで、今は高広さんとは?」
「ううん、それっきり何の関係もないわ~だって、その時は風俗嬢だったけど今は妹の旦那じゃないの~ホホホ」
「そうよね~女は賢くそしてしたたかに生きなければならないのよね~」
と、幸子と鮎子は手を握り合ってこの話のすべてを共感していた。その時、その噂の真澄とその旦那の高広の二人が店に現れた。その高広は、音吉に、
「真澄の姉がここで大変お世話になっていることを聞いてご挨拶にきました。いずれこの鮎子を私の方で引き取りますからそれまでなにかとご指導をよろしくお願いいたします」

 それからこの5人で仲良く乾杯をしていたが、幸子がポツリと、
「世の中捨てる神あり拾う神ありというけれど…なんとなしにうまくいくのよね~」
というと、5人全員がそれぞれ違う意味で納得をしていた。


この小説「駆け込み寺居酒屋ポン吉」は55話まで書けています。🦊⛩️

お賽銭や願いことのお礼は願いが叶った後の後払い…千本鳥居の1本目 伏見稲荷大社の物語 66話

2022-10-12 15:09:48 | 日記
お賽銭や願いことのお礼は願いが叶った後の後払いになるというのが千本鳥居のルーツになる。千本鳥居の1本目 伏見稲荷大社の物語 66話

 平安時代の初期はまだまだ貨幣が十分流通していなかったので物々交換が市場の原則だった。稲荷神社もお賽銭の箱はあるが、これはほとんど利用されなくて信者達は米や野菜、それに海産物、絹糸、絹織物などをお供えとしていた。ただこれらは重くて持ち運びに不便になるので願をかける、または祈祷やお祓いを受ける時には持参してこなかった。

 まあいわば無料で先に神様にお願いしてもしそれが叶ったらその時には大八車にお礼のお供え物を持ち込むか、日本通運にお願いして輸送するかの手段が一般的になる。つまり、神様としてはこれらのお願いごとに応えなければその分、神社へのお供えが減るという真剣勝負にもなる。しかし、これがもしお供えの前払いだったら神様も手を抜くし、また忘れることもある。

 人の世界というのは悩みが途切れないから一つのお願いが叶ってもまた次の悩みや相談事ができるもので先のお願いのお礼として米を一升~一俵お供えしてた上で次の悩みや願いことを神職に相談していた。この悩みを聞く神職は10名ほどいるが、やはり一番人気は稲荷神社三代目の宮司の伊蔵になる。ただこの宮司の占いや祈祷はすべて予約制でもう2年先まで予約でいっぱいだった。

 今日の伊蔵の予約者は塩問屋で豪商の「播磨屋」だった、この播磨屋は伊蔵に、
「都の塩の需要は毎年倍々ゲームで増えています。ところが赤穂から船で大阪湾の淀川河口、ここで三十石船に積み替えて淀川を上がり淀の港に着きます。そこから京街道(鳥羽街道)を牛貨車、または大八車で東市まで運ぶのですが、これが高くつき塩の値段が下がりません」
「そうか~最近、野菜の保存食として「京つけもの」が大流行だが、これには安い塩が大量に必要になる」
「はい、それで東市(朱雀大路松原付近)から撤退して油小路(油の問屋街)のような塩小路を淀に近いところに作れば便利になります」
「しかし、播磨屋は卸問屋だからそれでいいが、今度は塩の小売店が淀まで塩を取りにいかねばならない」
「そうですね~そこでどの場所がいいのか占ってほしいのです」

 伊蔵はこれを占っていた、そして結果を、
「それなら淀港からまた船に積み替えて鴨川を上がってくればいい」
「しかし、鴨川は水量がそんなになく船の底が…」
「そう、だが、この水量に合わせて船底を平らにすればいいことになる」
「な、なるほど発想の転換ですね…」
「そう、船着き場は七条辺りの鴨川右岸にしてその船着き場を塩小路とすれば洛中の塩小売商も近くで便利になる」
「つまり、塩を降ろしたその場所が塩問屋街になるのか…」
「それに帰りの船には「京つけもの」や「酒、味噌、醤油」を積んで浪速の国などにも売れる」

 この船は底が平らで十石ほど積めることから塩10石船(約1500キロ、後に高瀬舟)と呼ばれていた。この船は川船仕様の簡単で底が平らということで安価、なおかつ大量に造船できる。播磨屋は伊蔵にお礼は何がいいかと尋ねている。
「そうだな~もし播磨屋さんがこれで儲かれば鳥居を一つ寄進してほしい」
「はっ?鳥居でいいのですか?」
「そうだ、商売繁盛の願いが叶った場合には鳥居を一つ寄進していただけたら、それが1000年後にはこの稲荷山のすべてに鳥居が建つことにになる」

 こうして千本鳥居の1本目が建つことになった。この話を聞いた嵯峨天皇は伊蔵に、
「ほう、わずかな水量の川でも荷物が運べるとは伊蔵も頭がいいのう~」
「いえいえ…ただこの船を鴨川に沿って上流まで運河(高瀬川)を作れば宮中まで直接船が入れます」
「ほう、ではその運河の近くに酒や味噌、醤油の工場を作れば画期的な流通になる」
「はい、それは今後の事として考えてみます」

 京に都が遷都されたころは都で消費される食料や酒、絹織物や日用品まですべて他国からの輸入に頼っていたが、わずか遷都から26年で洛中には工場ができて今度は各地に物資を輸出するという発展国になった。そこで淀港までの陸運からこの高瀬舟になり鴨川から淀川、そして大阪湾から全国に物資が運ばれるようになった。これで儲けた商人はお礼にと稲荷山に鳥居を寄進したというお話しでした。ちなみにこの千本鳥居の数は私と娘との調査では山の中腹の四つ辻までは798本、全体では約2万6千本と推定しています。

画像は若き頃の凛ひとえさん、音川伊奈利。この小説は98話まで書けています🦊⛩️