心理カウンセラーの眼!

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赤ん坊から見た世界(その2)

2009-06-08 16:36:04 | 赤ん坊から見た世界
前回につづいて「赤ん坊から見た世界(言葉以前の光景)」(無藤隆・著)から

みなさんといっしょに新鮮な発見を見つけていきたいとおもいます。

「赤ん坊は先に聴覚が発達する」ということでしたが、

* それでは“胎教”についてはどのように記述されているかというと、

「たとえばモーツァルトを聞かせるのがよいかどうかなどに、別に根拠はないと思われる。・・
実は親のふだんの言葉で十分なのである。
とくにある種の刺激を与えた方が、発達にプラスになるという証拠はない。」(無藤隆)・・

大方の期待に沿わず残念ながらそういうことでした。

もっとも母親の言葉掛けはつねにを赤ん坊に良い影響を与えることはそのとおり!

* また新生児が「複数の外国語を聞き分ける」という実験があります。

つまり、何度も聞かせることで“馴化(じゅんか)”して別の言語とのちがいを聞き分けることができるということです。

まあ、外国語が解っているわけじゃありません、誤解の無いよう。

でも、「明らかに、新生児は言語に特有の音の響きを敏感にとらえる力をもって生まれている。

つまり人間は言語に対して特別な感受性をもっている。」(無藤)ことに注目しておいた方がよい。

これはとくに“科学者”を名乗る先生たちに人間の言語脳の科学性を知っておいていただくために強調しております。

* つぎに、「生後間もない新生児が、(目の前の相手の)口を開いたり、舌を突き出したりという口振りを模倣できる」という実験です。

ここではみんなが思っている以上に高度な「認知と行動」がもうすでに実現できていることに、
みなさんもご一緒に驚きましょう!

無藤隆氏はこのことを、
「その動き(相手をした人の口振り)が新生児に内部的な情報をもたらし、その情報との対応によって模倣が生じていると考えざるをえない。」といい、

つまりここでも、「新生児は、人らしさへの反応の準備としての能力をもって生まれてきているといえる。」と感心する。

これを田原先生の言葉で言い換えると、ヒトは胎児のときにすでに「音を視覚のイメージに変える」こと、

また「視覚の認知」のスタンバイができつつあるということであります。

さらに補足すると、まず

脳のハードウェアのシステム上、「聴覚と視覚が共時的に働く」ようになっていること。

そのために、聴覚の発達に触発されるように、胎児の眼球運動(レム睡眠)が起こされることで、

音を視覚のイメージに変換する用意が具わりつつあることを示唆していること。

また視覚は「手、舌、皮膚」の外延化されたもの、つまり手や皮膚感覚の延長された機能であり、

間接的に触れているという知覚的な認知の働きをします。

さらに大脳新皮質には五感覚にむすびつく「記憶の部分」が分布されており、

新生児が「見たもの」のうち、“自分の知覚にむすびつくもの”は

即自的に「認知」すなわち「記憶」されるために、

「模倣という行動」が成り立つというメカニズムを理解しましょう。

新生児の「生理的微笑」もこのメカニズムから生み出されているといえるでしょう。

* やがて「生後2,3ヶ月頃には、母親の声に乳児が声を出して反応すること」が観察されてきます。

この時期の実験は、「母親が対面したとき、乳児に無表情で接してみる」というもので、

このとき、「乳児の微笑が減じ、母親から目をそらす」ことが観察されています。

このことはつまり、母親(代理を含む)が「微笑みながら、言葉をかける」ことを乳児が求めているという点で、

原初的な「対話」の成り立ちを意味するとともに、

社会の中でも求められる人間関係の基礎がもうすでに乳児のときに形成されると無藤氏は述べている。

また乳児との「対話」のポイントは、乳児の声や表情をまねすることで、

20分ぐらいはつづけられることもあるという。

(次回につづきます)


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